プロローグ
”正義”なんてものはこの世に存在するのだろうか。いやそもそも正義とは一体なんだろう。
強盗、恐喝、傷害、殺人ー、テレビをつければ物騒なニュースばかり流れてくる。その被害にあった者たちは果たして本当の意味で救われているのだろうか。俺にはそうとは到底思えない。人の金を奪ったものは、その人の金も奪われるべきだ。人の命を奪ったのなら、その人の命も奪われなければならないんじゃないのか?「目には目を、歯には歯を」この間世界史の授業でそんな言葉を習った。そうだそれこそまさに、俺の思い描く正義〈セイギ〉ー。
「なーに難しい顔してんだっ、一条正義くん!」
後頭部をポンっと叩かれた。振り向くとそこには見慣れた顔があった。
「いてーな、理人。人の頭をいきなり叩くんじゃない。暴行罪で訴えるぞ。」
今宮理人、俺の中学からの同級生だ。中性的な顔立ちで、女子人気も高い。まるでメンズ雑誌に出てくるモデルのようだ、とは言い過ぎかもしれないな。ちょっと性格に癖があるんだが、根はいい奴だ。
「今のは寝ぼけてる正義の脳みそにおはようのあいさつをしただけ。それにこれが暴行罪なら、僕はもう懲役百年はとっくに超えてるな。」
あっはっは、とまるで漫画のように高笑いをしながら言う。
「まったく、朝からうるさい奴だな。」
こいつのやかましさはほとんどの場合うざったいだけなのだが、結果的に少し目が冴えた気がするので今のところは許してやろう。
「何を考えてたのか当ててやろうか?今朝のめざめるテレビでやってた一家惨殺事件のニュースのことだろ?」
石坂家一家惨殺事件。約半年前、一家四人が自宅で死体となって発見された事件だ。四人の体には計百ヶ所以上の刺し傷があり強い恨みを持った人間の犯行だと考えられた。その後親族の一人が容疑者として逮捕されたのだが、精神病を患っており、犯行時精神耗弱状態だったことから無罪判決となったというニュースだった。
「うっ…」
頭の中を覗かれたような気分だ。こいつはエスパーか。いや五年以上の付き合いからくる経験則か。図星をつかれたことに不覚にも俺は少し驚いてしまった。
「その顔、正解だな。さっすがぼくちゃん。正義のことを一番よくわかってるからね。」
えっへんと言わんばかりに腰に手を当てて理人は言った。
「どうしてわかったんだ?俺そんなに顔に出やすいのか…」
「正義ってばいつもこういう事件が起こると『許せねえ!』とか『ふざけんな!』とか僕に愚痴ってるじゃん。」
理人の言う通り。俺はいつも考えたくなくても考えてしまう。刃物で刺されるとき、どんな痛くて苦しかっただろうか。もしも生き続けていたら、どんなに楽しいことや幸せなことが経験できただろうか。殺された人の気持ちを想像してしまう。その結果、心臓の奥底に何とも言葉では言い表せない汚濁が溜まっていくのだ。きっと俺はそれを誰かに吐き出して、少しばかり楽になりたいんだろう。
「だってあまりに酷い事件だと思わないか?」
俺の問いに理人は腕を組んで首を傾げる。
「うーん、確かに凄惨な事件だとは思うけど」
「けどなんだよ」
「実際僕たちに関係ないじゃん?別に知っている人でもないしさ。関係ない僕らが必要以上に悲しんだり、怒ったりする必要ないんじゃないかな。」
確かに理人の言うことは正しい。
「そうかもしれないな。でも俺は絶対に許せない。できることなら俺が代わりに復讐してやりたいくらいだよ。」
やれやれと少し呆れた様子で理人は言葉を返す。
「少しは肩の力を抜きなよ、正義。世の中生きてりゃ嬉しいことも悲しいことも起こるさ。僕たちは幸運なことに生きているじゃないか。だったら楽しいこと考えたほうが得だと思うんだ。例えばおいしい食べ物とか、かわいい女の子のこととか…」
「まったくお前の楽観主義者ぶりは、もはや尊敬に値するよ。」
やっぱりこいつは俺の親友だ。こうして話しているだけで心がスッと軽くなっていくような気がした。
「そういえば正義、進路希望調査票出した?」
進路希望調査票ー。大抵の高校三年生が四月に書かされる書類。進学か就職か。人生の大きな分岐点の選択を教師に知らせなければならないのだ。
「やべっ。提出今日までだったよな!?」
にやりとした顔で理人がこちらを見ている。
「その反応、まさか持ってくるの忘れたのか?あーあ、進路担当の木村先生怒ったら恐いからな。こりゃ見物だな、はっはっは。」
朝から何て気分の乱高下だ。昨日寝る前に提出物を確認しておくべきだったと激しく後悔した。
「ちくしょう。教室に行く前に職員室に寄って謝りに行くか…。」
「まったく何てだらしのない人間だい。それが君の”正義”かい?」
嘲笑う理人に返す気力も失い、落ち込んでいると急に目の前が暗くなった。
「うわっ」
無意識に手で払い除けると、一枚の紙が地面に落ちた。
「これは…進路希望調査票じゃん!」
満面の笑みでこちらを見つめ、前髪をさらっと指で撫でて理人は言う。
「書き間違えたら困ると思って、二枚目をもらっておいたのさ。なんて優しい友達なんだ僕は。これは感謝してもしきれないねえ…正義ちゃん?」
言い方さえもう少しマシだったら、俺は熱い抱擁を持って感謝の意を示しているところだ。
「まじで助かる。今度借りは絶対返すから。」
俺は顔の前で両手を合わせて言った。
「第一希望はやっぱり警察官?」
少し真面目なトーンで理人が聞いてきた。
「そうだな。俺は困っている人を助けたい。法を犯す輩を放ってはおけないしな。」
「名前の通り正義感の塊みたいな人間だね。名付けてくれたご両親に感謝しないと。」
頭を撫でようとしてくる理人の手をガードしながら言う。
「この名前好きじゃないんだ。もっと普通の名前が良かったんだがな。まあ今となってはもうどうでもいいことだけど。そういうお前はどうなんだ?まさかホストとかふざけたこと書いてるんじゃないだろうな。」
「ひ・み・つだよ」
「なんだよそれ。どうせお前のことだから適当にホストとか書いてるんだろ。」
ちっちっち、と人差し指を振りながら答える。
「僕をみくびってもらっちゃ困るなあ。まあ正義には予想もつかないだろうね。」
いちいち言い方が鼻につく奴だ。
「なんかムカつく。絶対に当ててやるからな。」
「そんなことより、進路希望調査票の借りのことだけど今度じゃなくて今日返してもらおうかな。」
予想外の言葉が返ってきた。
「今日?どういうことだ?」
「放課後ちょっと付き合ってほしいんだ。」
どうせ「女優似のかわいい女の子を紹介しろ」とか「世界一おいしいパフェ屋を見つけてこい」とかめんどくさいことを要求してくるかと推測していたのだ。
「そんなことでいいなら、全然オッケーだよ。」
「よっしゃ、決まり!じゃあ放課後掃除が終わったら玄関で待ち合わせな。遅れないでくれよ、正義ちゃん!」
そう言ってわざとらしく肩をぶつけて校舎まで残り50メートル程の坂道を軽快に走り去っていってしまった。
理人と話していると徒歩30分の通学があっという間に感じる。本当に自由人だ、あいつらしい。さて俺も急ぐとするか。
俺は小走りで通学路を駆けて行った。
この当たり前の日常が続くはずだった。あの光景を目の当たりにするまではー。
活字アレルギーで普段ほとんど本を読まない私が思いつきで書いてみました。全くの素人ですので生暖かい目で見てください。誤字脱字や表現の良し悪しについては、ど素人なのであしからず。