表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

短編集 〜 カレッジノート〜 

百匹の猫

作者: 星川ぽるか

 小学四年生の夏。まだ私が純真無垢の光の権化であった頃、夏の自由研究の発表会があった。

 私は誰よりも自信満々で研究成果を発表した。

「僕の家はたっくさんの家族がいます。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、仙道、カボチャ、立花、トコ塩、コメツブ、春川、団子、藤川、川餅、金剛、猿山、マーボー、サザンクロス、どんぐり、Z、ユキくん、ココア、佐藤、ボヘミー、小林、ロロクラキュロス、堂林、林道、こころ、イッセイ、モッズ、鮎川、たたみ、ユースケ、ジミヘン ———。ちょっと多過ぎて言い切れませんが、僕の家族です。百匹の猫です。僕はコメツブに頭を引っ掻かれてから、僕の猫が本当に僕のことが好きなのか気になりました。なので、百匹の猫を家から出して家に帰ってくるのか実験をしました。先日の神戸新聞の地元欄を騒がせた『猫の叛乱』は僕の仕業だったわけです。えっへん! そして研究の結果ですが、なんと百匹とも帰ってきたのです! 誰一人かけることなく、魚を咥えて家に帰ってきました。僕の猫たちは僕のことが大好きということがわかりました! 以上です」

 偉大な愛の成果を発表した日から、私は猫の王としてこれまで崇拝されて過ごしてきた。家の中は静かな時がなく、一日中騒がしく、猫じゃらしを構えた日には大乱闘が勃発するほど皆がイキイキいていた。

 私は毎日が楽しく、家族の誰も欠けないことを祈り続けた。

 しかし愛の試練は再び訪れた。

 父がかごの魅力に取り憑かれて九州で消息を絶った。何でもガジュマルの木で独創的な籠を編むと意気込み、志なかばで連絡が無くなったことをきっかけに、母はこともあろうに猫アレルギーの男と再婚したのだ。くしゃみと蕁麻疹が止まらない再婚男を痛ましく思った母は厳しい世の中に百匹の猫を解き放とうとした。

 私は断固とした反抗姿勢を見せたが力及ばず、私と猫たちの愛に亀裂が生じた。何とか結婚した兄さんと姉さんの家庭へ猫たちを避難させようとするも、どちらの家庭も猫アレルギー持ちの家庭だった。バスセト神の加護すら届かない試練に私は膝を屈しかけた。すると祖父が手を差し伸べてくれた。

「大学で一人暮らしをしなさい。そこで家族を守るんだ」

 祖父の慈悲にすがった私はカワイイ猫たちと共に実家を離れて百匹の猫と大学生活を始めた。

 大学近くの古ぼけたアパートの二階に引っ越した。腐った六畳間は愛と抜け毛でこんもりと溢れ返る。百匹とも風呂嫌いだったので部屋の中は独特の獣臭が充満した。単位を棒に振って家族を食わすためにバイトに励んだ。大黒柱として責任感に胸をいっぱいにし、ニャーとねだってくる可愛いカボチャや猿山の声が私の疲れた体を癒した。

「安心しろ。お前たちは私が守る」

 金が必要になるから経済学を学んだ。特に使い道は分からなかった。いつでも体を労われるように人体力学を学んだ。だが彼女たちが人間ではなかったことを思い出して、意味がなかったと悟った。何を考えているのかを読み取るために心理学を学んだ。だがニャーとしか話さない彼女たちの心を読むにはまだ年季が足りなかった。

 小学四年生の頃は手に取るようにできた意思疎通が今となっては困難を極めていた。まず六畳間に響く鳴き声が誰のもか聞き分けることができなかった。聖徳太子を羨ましく思ったし、テレパシーなる超能力を手に入れるため京都の寺に何度も願掛けをしたが、チャオチュールを全員が欲しがっていたことだけはわかった。大学の友人は「あらゆる畜生の中で猫が一番利口だな。魚じゃなく肉を食わせれば多少は馬鹿にるんじゃね?」と言っていた。もちろん私は友人の鼻の穴に体についた猫の抜け毛を詰める粛清をした。友人はバスセト神から嫌われた猫アレルギーであり、それならば私の敵だった。彼女たちを馬鹿にすることを私は許さない。

 そんな苦難の中にあった私はほどほどに幸せだった。私は猫たちが好きだったし、猫たちも私が好きだったからだ。

 だが大学二年の冬、またまた事件は起きた。

 愛しの家族であるサザンクロスが姿を消してしまったのだ。昼夜問わず、私は街の中を駆けずり回った。

「サザンクロスー! どこに行ったんだー!」

 くすくすと聞こえる笑い声も意に介さず、声をあげて探し続けて三日三晩が過ぎた。警察に捜索届も出したがいまだに連絡はない。どうしてこんなことになってしまったのか。私は平等に家族を愛していた。チャオチュールだって二日に一つはあげていた。サザンクロスだけ仲間外れにしたことは一度だってなかった。自由を愛するサザンクロスを狭くも暖かい六畳間に押し込めたことが原因だったのだろうか。とにかく彼女の姿を見つけることが先決だった。

 いくら探しても見つからないままさらに一週間が過ぎた私はすっかり憔悴していた。サザンクロスがいなくなったというのに他の猫たちはニャーと鳴くだけ。いつからこんな薄情な奴らに育ってしまったのか。大学の課題もかなぐり捨てて探し歩き、私は久しぶりの大学へ辿り着いた。まさかいるはずもないだろうと思いながらひと欠片の希望を持って大学構内を歩いた。体育館の裏。総合館とコンピューター棟の暗い隙間。食堂のゴミ捨て場。サザンクロスがいそうなところを闇雲に当たっていると一つの足跡を見つけた。小さな生き物らしき肉球の跡だった。

「サザンクロスか……」

 私は足跡のある方へ走って行った。枯れかけの芝生が生い茂るもっとも大きな木の下まで出ると、木の上で暖をとるように猫を抱えながら本を読む女を見つけた。文学少女的な空気をまとい、白いマフラーを巻いて吹きつける風に髪をなびかせた可愛らしい女だった。そして彼女が抱えている三毛猫みけねここそ、我が愛しの家族サザンクロスだった。

「サザンクロス!」

 運命の再会に私は飛び跳ねた。安堵に震えた胸に思わず大粒の涙を流した。

 私は女に声をかけた。

「君すまない。その猫を返してくれないか?」

 女は木の上から本を閉じて私を見下ろした。

「あなたはもしかして、猫の王かしら?」

「そうだが、私を知っているのか?」

「だってなんだか猫臭いし、全身に抜け毛をつけてるもの。ひと目でわかるわ。有名ですもの」

 ころころと笑う彼女は猫のように愛らしく、私は何だか彼女の近くにいたくなった。だが彼女は我が家の猫と違って同じ人なので適切な距離感を保つべきだと思った。

「それでこの子はサザンクロスって名前なの? 南十字星っておかしな名前ね。おかしいのおかしいの」

「おかしくない。いいじゃないかサザンクロス」

「それならヘラクレスの方がかっこいいと思うけど」

「よしてくれ。その子は女の子だ」

 それから私は何度か彼女に「返してくれ」と頼んだが、彼女は猫から手を離さなかった。サザンクロスが我が家を飛び出してから彼女がサザンクロスを世話してくたらしく、今はどこに行くにも猫を抱えて出歩いているらしかった。

「どうしたらサザンクロスを返してくれるんだ?」

 もう何度目かの交渉の末、彼女は「しょうがないなー」と呆れたように言った。

「いつか私はオーロラを見たいの。だからオーロラを見せてくれたらこの子を返してあげるわ」

「君を南極にでも連れて行けというのか。無茶だ。無理だ。荒唐無稽だ」

「あなたは猫の王なのでしょ? サザンクロスが愛おしいならそれくらいやって見せてちょうだいな」

 私は途方に暮れた。しかし、サザンクロスが彼女の腕から離れる様子もなかったため、私は観念するほかなかった。

「……わかった。何とかしよう」

「楽しみにしてるわ。私は室戸岬むろとみさきよ」

 運命は再び、私に巨大な試練を与えた。


 ○


 その日から私はオーロラについて調べた。大気の発光現象という以外は私の明晰な頭脳を持ってしても分からなかったが、手っ取り早いのは室戸岬を南極やら北極やらに連れて行くのが早い。しかし我が家計は九十九匹の猫たちの健康維持によって圧迫している。エンゲル係数的に見ても私に時間はさほど残されていない。だからといって彼女たちを犠牲にしてサザンクロスを助けることはできなかった。それでは私の愛に不平等を招くことになる。私が苦しむのはいい。だが猫たちにひもじい思いをさせることはできない。とは言ったものの私一人の力はたかが知れていた。

 大学でのんびりしている教授たちに「オーロラを出す方法」を聞き出しても「早く課題を提出しなさい」などと呑気なことを言ってくるばかりで進展はなかった。

 私は手柄山の麓を煙草を吹かしながら悠々と歩いた。コーヒーを片手に冷たい冬空の下でますます途方に暮れた。猫のために獅子奮闘の働きをする私は栄えある猫の王。しかし王の力を持ってしてもオーロラを出す方法は見当もつかない。ひたすらに時間だけが過ぎていき、サザンクロスが室戸岬にうつつを抜かしていると思うと気が気でなかった。彼女は私を愛していると信じてきたが、もしかすると愛想を尽かされたのかもしれなかった。

 これではいつ他の猫たちが出て行っても不思議ではない。私の何がいけないのか、彼女たちは正確に伝えてくれないから治す部分も分からない。献身的に尽くすほかにないのが歯痒かった。

 私は室戸岬にオーロラを諦めてもらうことに決めた。

 室戸岬はどんなに寒くても木の上で本を読む目立った女だった。文学部に所属する彼女は本を愛し、言葉を愛し、「おかしいの」という響きを愛した。そしてオーロラを見たがっている猫が大好きな女学生である。今となっては猫の王たる私に対して無理難題をふっかけてくる豪胆な一面もあった。

 私は今日も彼女に熱々のミルクティーを献上の品として持っていき、サザンクロスの返還を求めた。

「オーロラは見せれそうにない。それ以外なら何だってやるからサザンクロスを返してくれ」

「私はオーロラ以外はいらないの。でもミルクティーはもらうわね」

 サザンクロスは私がこんなにも熱心に迎えに来ているのに呑気にあくびをしていた。さすがの私もサザンクロスの怠惰ぶりに嫌気が差しそうになった。主人をもう少し労ったり、いつものようにチャチュールをねだってきたりしてもいいじゃないか。それさえしてくれればこの愛の試練も容易にくぐり抜けられるというのに。

 辟易した私はお手上げだった。

「どうしたの? そんな途方に暮れたような顔をして。サザンクロスならしっかりお世話してますよ」

「途方にも暮れるだろう。いくら王とて、オーロラなんて見せれない。私は諦めているんだよ」

「なんて器量の小さいことを言うの。オーロラなんて今のあなたなら砂のお城より簡単なことよ。おかしいのおかしいの」

 室戸岬は小首を傾げて笑った。

「ところで木の上が好きなんだな」

 私はいつも木の上にいる彼女を不思議がっていた。

「あら、いいところに目をつけたわね。そうそう。私は木の上が好きなの。緑に囲まれて地面から離れた枝の上にいると、ものすごくファンタジーな気分になるの。太い枝の方だと本も読めるし、猫ちゃんは降りられないからいい暖を取れる。まさに万歳!」

 愉快に微笑む室戸岬のそばにいると何故だか私は家にいる猫たちのことを忘れていることが多かった。水や餌もちゃんと用意していたどうかも忘れることがあったし、バイト代のほとんどは猫たちに使っていたのがいつの間にか室戸岬のために使っている割合が増えていた。猫たちに触れると冷たかった手は温まり、憂鬱なんてつまらないものは私に寄りつくことはなかった。それが室戸岬でも同じことが起きていた。彼女と触れ合っているわけではないのに、心の奥底がぽわぽわとした温もりに何度も包まれた。そうなった時、私は無性に猫たちを抱きしめたくなった。抱きしめるたびに猫たちに体を引っ掻かれ、抜け毛の量は一つの山を築くほど積もっていた。

 ニャーニャーニャーと六畳間に響き渡る鳴き声。フランス革命を思わせるチャオチュール合唱は定期的に訪れる台風である。私が台所から取り出すより先に、小林やココア、ボヘミーが棚を漁りチャオチュールを独り占めする。そうなると他の猫たちがますます怒りを募らせた鳴き声をあげて、それを鎮めるために鰹節を撒き散らしてさらに猫たちを甘やかす日々が続いていた。


 ある冬の午後。

 室戸岬はサザンクロスを抱えて私の前に現れた。

「私、明日は旅行に行くの。古き良き京都に。だからサザンクロスを預かってくれないかしら」

「もちろん。もともとは僕の家の猫だ」

「今からあなたの家に行きましょう。どんな家なの?」

「領地面積六畳間の猫の王国である」

「猫の王国? 素敵な響きね」

 大学から歩くこと二十分。アパートの近くからすでに猫の臭いがしてくる我が家はアパートの二階にある。

 空はどんよりとした分厚い雲がかかっており、大粒の白い雪が舞い始めた。ドアノブに手をかけると扉の向こうから物音がした。大した違和感でもないので平然と扉を開けた。玄関から溢れんばかりの猫たちがいつもなら出迎えてくれるのに、猫たちの姿が一つもなかった。

「みんな!」

 玄関へ一歩踏み込んだ途端、押し入れから九十九匹の猫たちが群れをなして猪突猛進で突っ込んできた。

 私も室戸岬も上擦った声を上げた。夥しい数の猫たちが雪がちらつく冬空の下に解き放たれた。まるで連結電車のように九十九匹の塊が二階から架け橋をかけるようにジャンプして、向かい側の一軒家の屋根に着地する。

 その時だった。

 九十九匹の猫たちの大量の抜け毛が宙に舞った。雲間の隙間からさす射光と白い雪の反射やら何やらの光を受けた万の毛が受けた光によって、廃墟同然のアパートの頭上に光のカーテンが浮かび上がる。薄い空気をさらに薄めたようなオーロラが金魚の尻尾のようにひらひらとなびいていた。我が家の猫の抜け毛でオーロラが現れる。たった数秒間のそれに、私も室戸岬も唖然と眺めた。

 猫の抜け毛が風にさらわれるとたちまちオーロラは霧散した。

「すごい、すごい。本当にオーロラが見れたわ!」

 息を荒げて子供のように室戸岬は飛び跳ねる。興奮して頬を赤らめる彼女の顔を見た私は、家出してしまった家族のことなど気にしていなかった。何故、私の猫たちが集団失踪なることをしたのかとか、オーロラが現れた化学的理由だとか、そういったことよりも彼女のオーロラを見た顔が途轍もなく愛おしかった。

「なんて日なのかしら。猫の抜け毛がオーロラの源だったなんて、事実は小説よりも奇なりって本当だったのね」

「……室戸岬」

「何かしら猫の王様? サザンクロスなら返すわよ」

「いいや。それはいつでもいい。明日、私も旅行に行く」

「それはまた唐突ね。でもどうして?」

「君の横いれば冬を越せそうだ。私はたった今、猫たちを失ったばかりだから」

「あら? 王様なのにおかしいのおかしいの。でも猫のいない王様は王様ではないものね。でも私の横は高いわよ?」

「喜んで払おう。今の私は身軽になったから」

 それからの私はどうなったか。

 かつて大学構内で猫の王と轟かせた私はそれから一匹の猫と一人の女性と暮らした。

 九十九匹の猫の行方は今も知れないが、猫のオーロラと呼ばれる現象が兵庫の夜にしばしば起きたらしい。私の顔を見飽きた九十九匹の愛しい猫たちと共に過ごしたあの六畳間には今も抜け毛の山が残っている。

 私はそれらを持って加古川の橋の上で花咲爺さんのごとく抜け毛を舞わせて見てたが、オーロラはついぞ出なかった。猫の抜け毛は神秘に満ちていると私は思った。

 


1、狂気

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ