山茶花焚き
【出会い】
木から土へと向かい。
木から空へと向かい。
ひらひらと舞う山茶花のはなびらを一枚。
人差し指と親指で掴んだ瞬間。
刹那にして。
凍りつき。
ほんの少しの僅かの指の力で。
粉々に砕け散って。
氷の粒は残った指と指の間からすり抜けて。
何も残らなかった。
木から川へと向かい。
木から洞へと向かい。
ひらひらと舞う山茶花のはなびらを一枚。
片手全部で掴んだ瞬間。
瞬く間に。
燃え尽き。
ほんの少しの僅かの手の力で。
片手全部にこびりついたと思ったら。
炭の粒は一息吹いただけですべてが飛んで行き。
何も残らなかった。
いや。
見つけたのだ。
雪男は炎女を。
炎女は雪男を。
(2022.11.10)
【出遭い】
はらはらと。
山茶花のはなびらが舞う、はずだったのに。
慮ってくれているのか。
離れたくなくなったのか。
怖くなってしまったのか。
淡い紅だった縁を僅かに茶へと染めて。
ぺちゃんこのまま山茶花の花は木に咲き続けていた。
これでよかったのかもしれないな。
いくらこの手に留めようとしても、すり抜けるだけならば。
このまま木に咲き続けて、吸収されればいい。
土にではなく、木に直接。
と、ほぼ一日中黄昏れていたのは、つい先日。
今はそんな暇はなかった。
何故ならば。
「「おーい。人間の幽霊。今日も特訓に励むぞ」」
「ほんともう勘弁してください!」
超熱血指導者たちに毎日毎日毎日追いかけられるにようになったからだ。
(2022.11.12)
【心残り】
心残りと言える代物ではないだろうに。
唯ふと何となく。
山茶花のはなびらを一枚掴んでみたいなと思っただけだ。
他愛もない、願望。
叶っても叶わなくても構わない。
はずだったのに。
(そんなに未練があったなんてなあ)
死んでから、幾度眠って、幾度起きたのだろうか。
山茶花の花が咲く頃に目覚め、すべてが散る頃に熟睡する。
幾度。
幾度目、だろうか。
本当に。
「あんたたちに捕まってから幾度目の初冬を迎えたんでしょうかね?」
「「知らない。どーでもいい」」
「そーですよねえ。僕もどーでもいいんですけど」
「「なら訊くな。それよりも山茶花の花が全然落ちて来ないぞ。落ちて来ないと特訓できないぞ」」
「山茶花が花と離れたくないんですよ。じっと待ってましょうや」
「「そうか。それならしょうがない。待とう」」
あっさりしている処もあるのになあ。
何故。
「僕は離してもらえないんでしょうねえ」
「「山茶花のはなびらを掴みたい同盟を結んだからだろう」」
「結んだ覚えはないんですけどねえ」
「「忘れているだけだ」」
「へー」
「「じっと待てと言っただろう。静かにしろ」」
「はーい」
本当に忘れているだけだとしたら。
僕は何故、雪男と炎女と同盟を結んでしまったのか。
甚だ疑問。では、ない。
きっと。
(2022.11.13)
【心待ち】
「助けてくれてありがとう」
蕾はまだなく、艶やかな青葉が生い茂る山茶花の下を通った少女は、その鮮やかさに見惚れて足を止めたのだが、災難が降りかかった。
一陣の風が通り過ぎたかと思えば、山茶花の葉を食べていた毛虫の毛が降り注ぎ、触れてしまった顔や腕に激しい痒みが生じたのだ。
少女は一人だった。
何が原因かも分からず、ただ不安と苦痛に苛まれて山茶花の下で泣く事しかできなかった処を、炎女が通りかかり山茶花から遠ざけて少女に治療を施したのだ。
「うむ。毛虫はちっこくて分かりにくいからな。あまりこの時期の山茶花に近づかない方がいい」
「うん」
「痒いか?」
「うん」
「じきによくなる」
「お姉ちゃんは大丈夫なの?」
「ああ。おれは大丈夫だ」
「太陽の神様だから?」
「おれが神様?」
「うん。だって髪の毛と目が赤いから」
「いや。おれは神様じゃない。まあ、人間でもないがな」
「そうなんだ」
「そうなんだ」
「あの山茶花が好きなの?」
「どうしてそう思うんだ?」
「山茶花見ている時のお姉ちゃん、すっごく嬉しそうだから」
「ああ。まあ。うーん。分からん。次に会った時まで考えておく」
「ふふ」
「ん?どうした?」
「んーん。何でもない。じゃあ。お姉ちゃん。私、行かなくちゃ。本当にありがとうございました」
「ああ。じゃあな」
「うん。またね!」
炎女は少女を見送ると山茶花に近づき、毛虫を一匹残らず視認すると跡形もないように一気に小さな炎で燃やしたのち、幹に背凭れてその場に座り込んで目を瞑った。
「雪男も人間の幽霊も早く目覚めろよな」
(2022.11.15)
【焦れる】
「助けて下さりありがとうございました」
花が散っても、艶やかな青葉が生い茂る山茶花の下を通った女性は、その力強い生命力に見惚れて足を止めていたのだが、災難が降りかかった。
冬に起きて春夏秋に眠りに就き、蝶ほどの大きさであり竜の一族でもある竜花が山茶花の葉を食べようとしていたのだが、近くに居た女性もまた山茶花の葉を狙っていると勘違いし襲おうとしたのだ。
小さくとも竜の一族である。
山茶花の葉のような羽から竜巻を発生させて吹き飛ばした処に、雪男が通りかかり空で抱きとめると、竜花に雪雲を巻き付けると遥か遠くへと運ばせたのち、雪が降り積もる地に降り立ち女性を立たせた。
「災難だったな」
「ええ本当に。まさか空に飛ばされるだなんてびっくりです」
「何処も怪我はないか?」
「はい」
「人間は雪が嫌いだと思っていたが。大人は特に」
「どうでしょう。寒くなるのは嫌だけれど、私は好きですね。心が躍ります」
「そうか。だがじきにひどくなる。早く帰った方がいい」
「はい。本当にありがとうございました」
女性は深々と頭を下げて転ばないように気をつけながら帰路に就いた。
幼い頃のように思った事を言えなかったなと思いながら。
貴方は月の神様ではないのですか、と。
(似ていた)
銀色の髪の毛と瞳の男性は、不思議と幼い頃に助けてもらった赤い髪と瞳の女性を想起させた。
「あれから結局会えてないけど、分かったのかな」
「何故隠れたんだ?」
ほとんどの炎種族は冬の間は眠りに就いているのだが、つまらないと言い根性で起き続けていた炎女は、雪男と出会ってからはもっぱら冬の間は小さな炎の姿になって雪男の肩にしがみついて過ごしていた。
それが空を飛んでいた雪男が女性を助けて、また居なくなるまで、ずっと雪男の懐に隠れていたのだ。
嫌ってやまない懐に、だ。
「まだ答えが見つかっとらんから出会うわけにはいかん」
「答え?」
「そうだ」
「そうか」
「そうだ」
「おまえ、肩より私の懐に居た方がいいんじゃないか?」
「いやだ。窮屈だ」
「消えるなよ」
「だれに。言っとるんだ。莫迦め」
莫迦が。
咄嗟に言い返そうとした言葉は飲み込んで、雪男は洞へと向かったのであった。
「早く山茶花の花が咲けばいいな」
「ああ」
(2022.11.16)
【山茶花】
「なあ」
「「………」」
「なあなあ」
「「………」」
「なあなあなあ」
「「………」」
「すごい集中力ですなあ」
横向きに寝そべって、山茶花のはなびらが落ちて来るのを待つ炎女と雪男を見ていた人間の幽霊は、仰向けになって見た。
うろこ雲が支配している空を。
焼死と凍死。
どっちが痛みが少なく死ねるかな。
ぼんやり思う。
繰り返す。
目覚めと眠り。
ぼんやりと支配される。
はなびらを掴みたいという願望に。
繰り返し、繰り返し。
終わりのない世界。
苦痛はそれほどない。
別段、このままずっと続いてもいいとも思うが。
同時に疑問を抱くのだ。
成仏するとしたら。
願望を叶えた時か。
炎女に焼かれた時か。
雪男に凍らされた時か。
予兆もなく突然何ともない時にか。
(まあ、妥当なのはこの山茶花が死ぬ時、だろうなあ)
確か、数百年を超える、と何処かで聞いた事があるような。
けれど、妖怪にずっと付き纏われているのだ。
人間の幽霊にだって付き纏われているのだ。
もしかしたら、途方もない寿命を会得しているのかもしれない。
(苦痛に感じ始めたら)
頼む、だろうか。
炎女に。
雪男に。
殺してくれ、と。
(うーん。想像できん)
ごろごろごろごろごろごろごろりん。
地面の上を右に左に上に下にと転がっていたら、黙って座って見ていろと熱血指導者たちに言われてしまったので、へいへいとおとなしく横向きに寝そべった。
「あ、燃えた」
「あ、凍った」
「あ、すり抜けた」
(2022.11.16)
【永久に】
何十年。
何百年、過ぎ去ったのだろうか。
根気強く続けて山茶花のはなびらを掴めるようになった炎女と雪男が、あっさりと背を向けて立ち去って行ってから。
これで成仏できるんじゃないかと思ってから。
何も変わらなかった。
目覚めて、寝て、ぼんやりとはなびらを掴みたいと思って、掴めなくて。
繰り返す。
ああ、本当にずっとこのままなのかもな。
大地が終わるまでずっと。
(2022.1.16)
【朽ちず】
「まっっったく。こいつは変わらんな」
「はなびら掴みに情熱を燃やさないしな」
「おれたちが先に掴んでもひょうひょうひょうひょう」
「あっさり離れてもひょうひょうひょうひょう」
「終わりの知れない寿命に嘆く事も喜ぶ事もなくひょうひょうひょうひょう」
「あれ?炎女に雪男。念願も叶ってあんたらどっかに行ったんじゃなかったっけ?何で寝転がってんの?」
「「ここで寝転がりたいからだ」」
「そっか」
「「そうだ」」
「そうかあ」
「「そうだ」」
おまえの傍で。
とは死んでも言わないだろうな。
と。
炎女と雪男は思ったのであった。
(2022.11.17)
【後書き】
人間の幽霊も、炎女も、雪男も。
山茶花のはなびらを掴みたい理由もなく。
それぞれの特性を生かす大きな出来事もなく。
もしかしたら、偶然、もしくは必然的に手にした永遠とも言える寿命に嘆く事も喜ぶ事もない。
力まない。
感情がないわけではなく、けれどそう大きく動かない一人の人間と。
大きく感情を動かしてみたいのにそうできない人間に苛立ちながらも心地よさも感じる炎女と雪男を書いてみたかったんだと思います。
(2022.11.17)