第九話 思わぬ綻び
少し間が空きましたが、お出かけ編です。
……前回の予告でのフラグはがっつり機能し、歌多の隠れた技能を出す前に、目安の二千字を超えてしまいました。
書き溜めなしに次回予告をするとこうなります。
良い子は真似しない。
話は少しだけ進みましたので、どうぞ広い心でお読みください。
『オッケー! 次は口紅塗ってー』
「あ、あの、陽善さんをお待たせしてるので、もう……」
『いーのいーの! 陽善さんだって、一緒に連れている女性が綺麗な方が嬉しいもんよ!』
「そ、そうですね! 陽善さんの恥にならないようにいたします!」
『恥なんて事は絶対ないけどその調子ー!』
……近所に買い物に行くだけで、大変な騒ぎだ。
昼食に限りなく近い朝食を終え、蓮梨の提案した策を実行するべく、日用品の買い物に出かける事になった。
「……『歌多さんに我が家に慣れてもらおう大作戦』か……」
蓮梨のネーミングに、苦笑に近い何かがこぼれる。
長根さんが我が家で少しでもくつろげるようにと、ちょっとした外出から帰ってくる事を繰り返し、ここが帰る場所だと認識してもらおうというのが目的だ。
蓮梨が副題と称して、
『〜そしてここは終の住処に〜』
だの、
『〜もうあなた以外に「ただいま」って言えない〜』
だのと付けようとしたけど却下した。
蓮梨は不満そうだったが、『大作戦』を通しただけでも優しさを褒めてほしい。
「お、お待たせしました」
「いえ、大して待ちは……」
一瞬、呼吸を忘れた。
肩出しの白いブラウスに、黒いパンツスタイル。
目元を強調する化粧で、幼さというかあどけなさが隠され、五歳下とは思えない堂々とした表情になっている。
かと言って老けている訳ではない。
形容するなら、『可愛い』から『美しい』になったと言うべきだろうか。
『どうどうー? ショッピングモールで買った夏向けブラウスと、歌多さん自前のパンツを合わせた大人コーデ!
「……おぉ……」
『私が世話したい系だったからね。歌多さんは隣に並んで立つ系の大人女子が良いと思って!』
「……あぁ……」
『ほらー、ちゃんと褒めてあげてよー』
「う……」
言葉が、出てこない。
簡単なはずなのに。
似合っている。綺麗だ。モデルみたいだな。
軽くそう言えば良いだけなのに。
「あ、あの、似合わない、ですか……?」
「いや、似合って、いる……」
「……あ、ありがとうございます……!」
顔を赤らめてうつむく長根さんを見て、自分の顔もつられて赤くなるのを感じる。
何だこれは。
綺麗な女性を見ただけで顔が赤くなるなんて、思春期の男子よりひどい。
『んふふー』
満足そうな顔をしている蓮梨!
くそ、これも蓮梨の作戦か!
こっちが作戦に乗っているという安心感を逆手に取って……!
「と、とにかく、買い物に行きましょう!」
「は、はい」
『はーい』
とにかく買い物だ。
するべき事をして頭を落ち着かせよう。
「お待たせしました」
「では行きましょう」
『次は晩御飯の材料探しだね』
薬局を後にして、商店街に向かう。
『あ、そうそう。一応買っといてもらったからね』
「何をだ?」
『勘違いの方〜』
「!」
生理用品を買うのに男がいてはと思って、外で待っていたのは間違いだったか!
いや、私が心を強く持てばいいだけの事だ。
性欲などに負けるものか!
「そうか」
『使う時は私ちゃんと他の部屋に行ってるからね』
「使わないから余計な気を遣うなよ」
『……でもそれじゃあ歌多さん、可哀想だよ……』
「……」
蓮梨の言い分もわかる。
長根さんは自殺を考えるほどに傷ついている。
もし彼女を新たな妻として受け入れたら、一定の安らぎは得られるはずだ。
……だが、同情だけで娶るなんて、蓮梨にも長根さんにも失礼だ。
長根さんは美しい。
気持ちが立ち直りさえすれば、こんな三十手前の男を選ぶ理由はないはずだ。
『新婚生活を満喫する間もなく妊娠なんて……』
「……! つ、使わないってそういう意味じゃない」
『知ってるー』
「? どうしたんですか?」
思わず声が高くなり、長根さんに気づかれた。
ごまかす事は、できないな……。
『あのね、さっき買ったアレ、ちゃんと使ってねって話』
「! あ、あれって……!」
蓮梨は言うよ。そういう奴だよ。
そして再び真っ赤になる長根さん。
……夜の店で働いていたと聞いていたけど、耐性はあまりないようだ。
「は、はい……、あの、陽善さんが、したい時に、使って、ください……」
「待ってください。私はそんな事をするつもりであなたを家に迎え入れたんじゃないんです」
「でも、それじゃ……」
お母さんが亡くなられた後、昼と夜の二重生活で借金を返し切った長根さんだ。
借りを作ったままではいられない真面目さ。
人に頼らず自力で道を切り拓く強さ。
そして少しのせっかちさ。
蓮梨が長根さんを嫁にと推す理由が、少しわかった気がする。
「我が家にいる恩を感じてくれているなら、急いで恩返しなんて考えないでください」
「……はい」
「蓮梨を見送ってから四年、一人で暮らしてきたのです。誰かと共にする食事、家に自分以外の人がいる暖かさ、そういったものをゆっくり味わいたいのです」
「……!」
みるみる歌多さんの顔が明るくなる。
あ、蓮梨も喜んでる。
『やった! デレたよ! 二日目にしてデレたよ!』
「はい! 嬉しいです!」
『今夜は精のつくものをたくさん食べさせようね!』
「はい! 美味しいものいっぱい作ります!」
やはりどことなくずれている二人を見ながら、私もこのややこしい状況が少し楽しく感じられ始めてきた。