第二十六話 妻としての務め
いよいよ海回です。
蓮梨と歌多、二人の初めての海をお楽しみください。
『うわー! 海だー!』
「すごい……! これが海……!」
車から降りた蓮梨と歌多さんは、感極まった様子で海を眺めている。
そういえば蓮梨も海は初めてだったな。
片道二時間半、蓮梨が車から飛び出して行かないよう、ナビゲートしながらの運転は少し大変だったけど、来た甲斐があるというものだ。
しかし思ったより客が少ないな。
空いているのはありがたいが、クラゲでも出てるのだろうか。
海の家で確認して泳ぐのに適さないようなら、水辺で波に足を浸すくらいが良いかもな。
「更衣室はあっちみたいだな。歌多さん、荷物はこれ二つともいるの?」
「あ、あの、その黒い方は車に置いておいて大丈夫です」
「わかった」
帰りの着替えはそっちかな。
私は赤い荷物を歌多さんに渡すと、自分の荷物を取り出し、鍵を閉める。
「多分私の方が早いだろうから、パラソルとシートを借りておく。そこを目指して来てくれ」
「わかりました」
『楽しみにしててねー』
更衣室に入ると水着に着替え、前開きのシャツを羽織る。
着替えと貴重品の大半をコインロッカーに入れると、防水の袋に小銭と携帯を入れ、更衣室を後にする。
海の家を覗くと、やはり閑散としている。
これは確認しておかないとな。
「すみません」
「おや、泳ぎに来たのかい? 悪い事は言わない。今はやめときな」
溜息を吐きながらそう言う海の家の主人。
やはり何かあるのか。
「クラゲでも出てるのですか?」
「いや、クラゲならここは入江だから、あそこの岬から岬に網でも張れば何とかなったんだが……」
何とも歯切れが悪い。
「……あんまりよそで言わないでくれよ? ましてやSNSなんかには載せないでくれ」
「わかりました」
「……出るんだよ」
「出る? と言うと……」
「そう、海で未練を残した幽霊が、出るんだよぉ!」
「海にも出るんですね……」
私が頷くと、主人は不思議そうな顔をした。
「あんた、驚かないんだな」
「え、あ、まぁ……」
妻がそうですから、とは言いにくい。
「とにかく海に入ると、波が静かでも何かに足を取られるんだ。特に若いカップルは間違いなくやられる。そして倒れると身体中にびっしり手形が付くんだ」
うわ、それは怖い。
「わかりました。ならパラソルとシートを貸してください。せっかく来たので砂浜で楽しみます」
「おう、そうしてくれ。今のところ死人は出てないが、万が一があったらそれこそこの海水浴場も終わりだからなぁ……」
「お察しします」
残念だが、砂浜で波音を聞きながら歌多さんのお弁当を食べるだけでも悪くはない。
パラソルとシートを借りると、眺めの良い場所を選んで組み立てる。
『あ、陽善さんいたー! お待たせー!』
「あ、あの、お待たせ、しました……」
二人の声に振り向くと、
「!?」
歌多さんの姿に釘付けになる!
パーカーだ!
パーカーを着ている!
前を半分開けて、胸元からビキニらしき赤い水着がちらりと見える!
その上、パーカーは腰の辺りまでしか丈がないので、赤い水着が、まるで下着のように見えている!
水着なのに、まるで見えてはいけない部分が見えているような背徳感!
くそ、これが蓮梨の授けた策か!
悔しいが、これは確かに目を奪われる!
「あ、あの、どうですか……?」
「……すごく、可愛い……」
「あ、ありがとうございます!」
『さぁ歌多さん! ここからゆっくり、焦らすように脱ぐんだよ! そして波打ち際の魔力で悩殺だよ!』
「ぬ、脱ぐんですね。う、海に入るなら、仕方ない、ですよね……! うう……!」
……こんなに盛り上がっているところ悪いけど、泳げない事を伝えないと。
「それが、今は泳げないそうだ」
『えっ、何でー!?』
「海に入ると何かに足を取られて、転ぶと身体中に手形が付くそうだ。幽霊の仕業だと海の家の主人が言っていた」
「えっ……、そんな……」
『ひどーい! せっかく来たのにー! ちょっと待ってて!』
言うなり蓮梨は海の方へと飛んでいった。
「あ、おい蓮梨! ……大丈夫なのか……?」
「どうするつもりなんでしょう……?」
見守っていると、何やら海に向かってしゃべったり身振り手振りをしたりして、何かを伝えているらしい。
相手は幽霊だ。
相手がその気になったら、蓮梨に何か害が及ぶんじゃないか?
気が気じゃない。
「……長いですね。蓮梨さん、大丈夫でしょうか……」
「とりあえず、何かをされてる様子はないけど……」
あ、戻ってきた。
「蓮梨、大丈夫か?」
「何かひどい事されてませんか!?」
『ん? 大丈夫だよー。それより、もう海に入っても平気だよー』
「え?」
「え?」
『みんなね、わかってくれたよー。私の事とか陽善さんの事とか歌多さんの事とか話したら、恨んだり妬んだりばかりじゃなくて、ちゃんと生まれ変わって生きるって言ってくれたよー』
「え、成仏、したのか……?」
『大体はそうだねー。何人かは、自分の大事な人の守護霊になるって言ってたー』
「す、すごい、ですね……」
そんなあっさり……。
蓮梨の説得がすごいのか、それとも幽霊が元々良い奴らなのか……。
『陽善さんと歌多さんの楽しい思い出を、邪魔させる訳にはいかないもんねー』
何の気なしに海の怪異を解決した蓮梨は、いつもの笑顔でくしゃっと笑った。
読了ありがとうございます。
海の幽霊は、海面から手が伸びるアレです。
主にリア充を憎み、集団で襲いかかっていました。
しかし若くして亡くなった後も夫のために新たな相手を探す蓮梨、蓮梨を想い独り身を貫こうとする陽善、不幸な境遇から死を選ぼうとするも今は前向きに頑張る歌多、それぞれの話を聞いて、自分達の浅はかさを反省し、それぞれの道へと向かいました。
良かったね! 海の家の主人!
次話はいよいよ歌多さんがパーカーを脱ぎます!
お楽しみに!




