9・愛という名のもとに
なんとか地球を元に戻した二人は、モードをキャンセルして帰還した。
「ホントどうなる事かと思ったねー、エリスちゃん」
「いやいやアテナ、それあたしのセリフだから」
いつもと逆のやり取りをする二人は、夜の駅前広場だ。
駅前の時計塔の時間を見れば、午後十一時五十九分を指している。
「そろそろ来るんじゃない?」
「そうだねー。サンタクロースってどんな人だろうねー、エリスちゃん」
時計の針が零時を指した瞬間、夜の闇がピンクに染まった。
深夜にも関わらず、クリスマスと言う事でまだ駅前も賑わっていたが、この場に居る人々はこの異変に気付いていない様子だ。
「空がすごい色になってるよ、エリスちゃん」
「なんでピンク?」
(シャンシャンシャン)
「「ん?」」
(シャンシャンシャン)
「何か聞こえない?」
「鈴の音が聞こえるよ、エリスちゃん」
鈴の束を揺らしながら、何かが近づいてくる。
ピンクの空を見上げると、次第にそのシルエットが浮かび上がってきた。
少しずつ大きくなってゆく影はやがて、スノーモービルに跨る恰幅のいい老人の姿となって現れた。
白い髭をたくわえた老人は白いトリミングのある真っ赤なコートを着込み、同色の三角帽子には、縁に白いファーと先端に白いポンポンが付いていた。
背中にはプレゼント袋だろうか、真っ白でとても大きな袋を背負っている。
「サンタクロース?」
「たぶんそうだねー、エリスちゃん」
サンタクロースと思われる老人は、スノーモービルをエリスたちの手前五メートル程の空中に停止させた。
「Are you Jesus?」
サンタクロースはエリスに話しかける。
「はい?」
「I came to meet Jesus. Are you Jesus?」
「何言ってるのよ? 地球人ならちゃんと日本語しゃべりなさいよ!」
「いやいやエリスちゃん、それちょっと違うから」
「チェンジ! モード・エロス!」
エリスは変身するなり電光石火、サンタクロースに弓を構え、矢を射た。――容赦など微塵もない。
だがその矢はサンタクロースの体に刺さって消えるも、何も起こらなかった。
「何? どういう事?」
「ラブコン見てみてー、エリスちゃん」
アテナの言う通りに、ラブコンを手に出現させたエリスは首をかしげる。
「反応がないわ」
アテナが感度設定を下げたラブコンといえど、神界を救おうかという巨大な『愛』の前で反応しないはずがなかった。
「いきなり攻撃してくるとか……どんな教育受けてんのよ、まったく」
女の声が突然聞こえてくる。どこから?――サンタクロースを見ると背中のプレゼント袋がもぞもぞと動き出した。
袋の口から足の先端が突き出され、少しずつ上に向かって伸びてくる。
ぶ……ぶぶ……ぶぶぶとラブコンが反応し始めた。
「アテナ、本体はあっちのようよ?」
「そうみたいだねー、エリスちゃん」
袋から出てくるのは女の足だ。黒いハイヒールと網タイツの両足のふとももまでが外に露出され、艶めかしく揺れる。
「よっこいしょっと」
袋の縁に手が掛けられ、女は一気にその姿を現した。
ピーーーッ! と極大の反応を示したラブコンを掌から消し、エリスは弓を構える。
「ちょっと待った、待ちなさいよアンタ。挨拶もなし?」
そう言う女――少女はエリスと同い年くらいだろうか。
胸と腰だけを隠した黒いボンデージファッションは、どこか背伸びをしている子供が着ているようだ。
背中には小ぶりながらも、蝙蝠のような黒い翼が生えている。
亜麻色の長い髪はポニーテールにしていた。
「じゃあ訊くわ。あなた何者?」
「てかなんでアンタ全裸なのよ! まぢビビるわ!」
「うっ……ほっといてよ! あなただって何のコスプレよ!」
「コスプレちゃうわ! しかも何? その小さい胸。よくそれで全裸になれたものね」
「そっちこそ同じようなもんじゃないのよ! ちっぱい!」
「ちっぱい言うな! Bはあるんだから!」
「あたしだってBはあるもん!」
「いやいやエリスちゃん、それくらいにしてよー。仕事しようよー」
怒りと羞恥で顔を真っ赤にしたエリスは、弓を構え矢を番える。
結局お互いに自己紹介もなく、罵り合っただけだった。
バヒュン! と矢が放たれ、ボンデージ少女の胸に突き刺さる――手前で消滅した。
「アンタ馬鹿ぁ? 天使の矢が元天使に利くわけないでしょうに」
「なんですって?」
「アタシはイエスが復活したかと思ってここに来ただけなの。アンタには用はないわ」
「どういう……事なの?」
元天使と言われたらそれは堕天使だろう。そして彼女のその姿は――悪魔にも見える。
「チェンジ! モード・キャンセル!」
矢が利かないと分かって全裸で居る事もないと、エリスはモードをキャンセルする。
「あきらめた? なら自己紹介くらいしましょうか? アタシはクローズ。ワケあって神界を追放されて名前を閉ざされたわ」
「あたしはエリス。アフロディーテの娘よ。神界に居たなら分かるかしら」
「アンタのその顔は……美の女神のものね。ふん、なるほどだわ」
二人はようやく、落ち着いて話始めた。
アテナは二人のやり取りを、黙って聞いている。
「なんでそんなに『愛』を抱えてるのよ? 何が目的?」
「愛? ……ああ、これは餌よ。イエスが復活した時のためにね。アタシはあいつに恨みがあるのよ。それを晴らすためだけに生きているの」
クローズは自分の胸に手をあて、『愛』の在りかを示す。
「どうやってそこまで溜めたの?」
「そんなの、毎年クリスマスにイエスに向けられた愛を回収しているだけよ。夢枕に立って、良い『夢』を見させてあげると、良い『愛』が取れるわ。そんな事を何百年もやってればこれくらい溜まるでしょ?」
「それって……」
アテナが呟くように言う。
「サキュバス?」
ボンデージ少女クローズは、少しの間アテナをじっと見つめてから、ふぅとため息をつき、語りだす。
「アタシは元の自分の名前を忘れてしまったから知らないけど、堕天してから数百年これをやっていたら、色々と呼ばれたわ。『獏』とか『夢魔』とか『悪魔』とか……ね。どれも正解と言えるのだけど、強いて言えばサキュバスね。でもアタシ、精子ってイカ臭くて嫌いなの。あの匂いが駄目なのよ。だから男女問わずに『愛』を吸い取ってるわ。そして最近はこの『二号』にやらせてるのだけどね」
そう言うとクローズは、隣の恰幅のいい真っ赤な老人の頭をポンポンと叩く。クローズが出現してからというもの、この老人は機械のように動きを止め、ピクリともしていない。
「で、笑っちゃうのがこいつの名前が、誰が付けたか知らないけど『サンタクロース』なのよ。アタシの『サタン・クローズ』をもじったとしか思えないのよね」
現代の人類にとって衝撃の事実とも言えるそれを聞いても、エリスたちの反応は薄い。
「で、なんでイエスとかいうやつを追ってるのよ?」
その名前を聞くとクローズは眉間に皺をよせ、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「あいつは……アタシがたまに下界で悪さしてるのを知って、大天使にチクったのよ。それが原因でアタシは堕天したの。あいつ……イエスは、サキュバスが吸い取った精子を使って生まれた悪魔の子の分際で、天使のアタシを陥れた……。そしてどういうわけか神の子と崇めたてられてんのよ。人間の身体を持っていたために滅んだと思われてるけど、いずれ復活するのはわかってるわ。だってこれまでだって何度も生まれ変わってきてるから。アタシがやつに陥れられたのは六代目イエスかしら。――名前は違ってるけどね」
クローズの語った事が真実だとしたら、そして人類がそれを知ったとしたら。――様々な物議を醸し大きな波紋を呼びそうだが、エリスにとってそれはどうでもいい事だった。
「で、あなたからその『愛』を奪うにはどうすればいいのかしら」
「あははっ、無理に決まってるでしょ。ひよっこのキューピッドがどうやってアタシから奪うってのよ。『鉛の矢』しか使えないくせに。せめて『金の矢』を使えるようになってから言いなさいな」
むむむ、と唸るエリス。実は鉛とか金とか言われても意味が分かっていないのだ。
確かにエリスの使う矢の先端は『鉛色』にいつも輝いていた。
だが、『金の矢』とは? その意味とは? 今すぐ聞きたいと思いつつも、キューピッドたる自分が自身の事を悪魔に尋ねるなど、出来ない相談だ。
「いいわ、今日の所は見逃してあげる。さっさとどっか行きなさい」
自分自身の事が分からなくて、少し赤面ぎみのエリスの言葉は負け惜しみともとれる。
「あはは! めっちゃウケるんですけど! きゃはは!」
クローズは大うけだ。笑われてさらに赤面するエリス。
「あは……逆に訊くわ。アンタなんで『愛』が欲しいの?」
「……神界が崩壊の危機なのです」
エリスを庇うようにアテナが前に出た。
「神界を救うのに『愛』のパワーが必要なのです。クローズさんのそれは譲れないものなのですか?」
「ふーん、神界がねぇ……まあアタシには関係ないね。でもいい事訊いた。面白そうじゃん、それ」
クローズはゆっくりとエリスたちの目の前に降り立った。
両手を腰にあて、上体を前かがみに亜麻色のポニーテールを揺らしながら、幼さの残る顔をエリスに近づけると――
「アタシが見届けてやるよ、神界の崩壊を。だからそれまで、――アンタにつきまとってやる」
――薄い唇の端に八重歯を光らせ、そう宣言した。