4・天使の弓・1
「……暇ね」
「いやいやエリスちゃん。暇じゃないよー、忙しいよー。エリスちゃんも手伝ってよー」
エリスの六畳間の部屋でアテナは、引っ越しのダンボール箱の中身をせっせと仕分けしていた。
当のエリスはというと窓辺に寄り掛かり、物憂げな表情でアンニュイ女子を決め込んでいた。
「アテナもあたしに付き合う事なかったのに。学校行きたかったんじゃないの?」
「私はエリスちゃんのサポート役だよー。エリスちゃんが学校行かないなら私も行かないよー」
二人は登校二日目にしてサボっていた。
昨日と同じ時間に迎えに来たアテナに対してエリスは、断固として登校を拒んだ。
昨日の今日で、あの教室に行きたくなかったのだ。
「あたし、結晶集めは学校以外でやろうと思うの」
「そうなのー?」
「だって毎日同じニンゲンと顔合わせて、毎日あたしの裸見せなきゃならなかったら嫌じゃない? 向こうは忘れていても、私はこの人に裸を見られたっていう記憶が残ってるのよ?」
「そんな毎日はないんじゃないかなあ? でもエリスちゃんがそうしたいなら私は反対しないよー。どこで集めても同じだしねー」
どうせ集めなければならないのなら、学校以外で知らないニンゲンの前で一度だけ裸になればいい。
その後はそのニンゲンとはもう会わないのだから、一回辱めを受けるだけで済む。
学校だとそいつの顔を見る度に思い出してしまう。――エリスはそう考え、もう学校での結晶の回収は止めようと思っていた。
「でもエリスちゃん。どうせ学校も来週から冬休みだよ」
アテナは現界専門家のアドバイス帳を見ながらエリスに教える。
二人は十二月という半端な時期に編入したので、昨日の初日がちょうど期末試験の最終日だった。
その後には冬期休みが控えていたのだ。
「とにかくあたしは、暫くは学校はいいや。楽しそうかなって思ったけど、初日があれじゃ……」
昨日の羞恥を思い出したのか、またしてもアンニュイ女子へと戻るエリスであった。
窓の外を見やるその横顔は、黙っていればとても美しい。
「お茶でも淹れるねー」
アテナはちょうど、ヤカンをダンボール箱から発見した所だ。
キッチンで水を入れ、ガスコンロに火を点ける。
「コップってあるのかな? エリスちゃん」
「生活に必要な物は全部、送られてきてると思うんだ。だからどこかにあると思う」
そういうエリスはいまだに、パンツを発見できていなかった。いや、探してもいなかった。
昨日の登校から、今までずっとノーパンだ。
ようやくエリスもダンボール箱に触りだした。
部屋に積まれたダンボール箱は、まだ半分も片付いていない。
「マグカップはっけ~ん。ふたつあるよーエリスちゃん」
「でもアテナ、コーヒーも紅茶も何もないんだけど……」
「……ないの?」
「うん」
「そういえば今日まで飲み物とか食べ物とか、どうしてたの? この部屋冷蔵庫もないよね……エリスちゃん」
部屋を見回すアテナの視界に入るものは、ダンボール箱と、唯一の家具らしき姿見の鏡だけだ。
「いやあこの世界ってさ、コンビニっていうちょ~便利なお店があってさ、夜中もやってるし何でも置いてあるのよ。おにぎり温めますか? なんて聞かれちゃったりして、はい熱めで、とか言っちゃったりして」
エリスはこの世界に来て、コンビニを発見してからというもの、毎日通っていたのだ。
ポイントカードも作成済みである。
「コンビニもいいけど、どこかお店でも探してお茶しようか? エリスちゃん」
「そうね。この辺りにコンビニ以外に、どんなお店があるのかもまだ知らないしね。散策に出ようか」
「うん、行こう。エリスちゃん」
アテナはコンロの火を止めながら――
(エリスちゃんに今度、手料理でも作ってあげよう)
――とフライパンも鍋も、何もないキッチンで思うのだった。
外に出ると、大家の桐流一子が竹箒を手に、アパート前を掃いていた。
「あら、お友達かい? エリスちゃん。今日は学校はお休み?」
朝の陽射しを受けて、サングラスがキラリと光る。服は今日も豹柄ワンピースだ。
エリスはいつもの白いワンピース。アテナは登校するつもりでエリスを迎えに来ていたので、制服のブレザー姿だ。
「うん。休みだよっ」
「芽手巣アテナです。おはようございます」
「あら、挨拶出来てえらいじゃないか。そうなの。お友達も可愛いねぇ。……おや、エリスちゃんアンタ……」
桐生一子はエリスを、そのサングラス越しにじっと見つめる。
「アンタ受難の相が出てるよ。……方角は……駅の方へは行かないほうがいいみたいだね」
「そうなの?」
「あたしゃこれでも人相家として結構有名だったんだよ。信じるか信じないかは、エリスちゃん次第だ」
「わかった。気を付けるねー」
「ああ、なるべく駅には行っちゃ駄目だからね」
「うん、大丈夫だよっ。またねー」
そして二人は駅前を目指して歩く。――駅ビルにはショッピングモールもある、色々なお店が集まっているだろう。――そう考えたからだ。
先程聞いた桐生一子の言葉は、頭に入っていないのだろうか。
駅に近付くにつれ、視界に入る風景も賑やかなものになってくる。
走る車やクラクションの音、店の外に溢れ出る音楽、売り子の掛け声、駅のホームから聞こえるベルの音など渾然一体となった喧騒の中で、ひときわ騒がしくしている箇所があった。
二人の視線も自然とそちらに向いた。
「なんだろう、行ってみる?」
「なんだろねー、見てみるー? エリスちゃん」
人だかりに近寄ってみれば、聞こえてくる野次馬たちのささやき声。
「強盗らしいぞ?」
「銀行強盗? いまどき?」
「どうせすぐ捕まるだろう」
「人質が心配ね」
銀行に強盗が押し入り、人質をとって立てこもっているらしい。
「強盗ってなに? アテナ」
「所謂悪い人って事じゃないかなー、エリスちゃん」
「何をすれば悪い人なの?」
「うーん。……後学のために見学してみようか? エリスちゃん」
「そだねー」
ちょうど警察が到着した所らしい。人員配置にバタバタとしている間をぬって、二人は銀行に入ってしまう。
「ごめんくださーい」
アテナが挨拶しながら入ると、途端に二人は覆面をかぶった男数人に取り押さえられた。
「おい! なんだそいつらは!?」
「わかりません! フラっと入ってきました!」
「ガキか? ちょうどいい、人質が増えたな、そこに座らせておけ」
店内には客として来ていた者と、銀行員と思われる制服を着た者たち、かなりの人数が床に座らされていた。
「早く金を詰めろ! 警察が来ちまったじゃねーか!」
外の様子を窺っていた男が、店のカウンター内に向けて叫ぶ。手には拳銃も持っている。
「なんだか雰囲気が怖いねー、エリスちゃん」
「覆面被ってる人たちが悪い人じゃない? お金取ってるっぽいし」
床に座らされて周りを見回した二人にも、なんとなく状況が分かったようだ。
覆面を被った強盗は、十人は居るだろうか。
「どうする? アテナ」
「どうしよーエリスちゃん」
「そういえば、アテナはモードチェンジ出来ないの?」
「できるよー。モード・メティスとモード・ゼウス」
「二つもあるの? どんなの?」
「えっとねー、メティスは知識だけが豊富になるやつでー、ゼウスはなんか全知全能の神とかって話なんだけど、私まだ使い方がよくわかってないの」
「ゼウスはあたしより使えそうじゃない? あたし、愛の結晶奪うだけだもん」
「でも本当に使い方がよくわからないのよー、エリスちゃん」
「そこの金髪! 静かにしてろ!」
二人は近くに居た覆面の男に注意されるが、無視をして会話を続ける。
「何もしないでもうちょっと見学する?」
「そうだねー、この後どうなるのかも見ておこうか? エリスちゃん」
「あたしら関係ないしね。見学だけして帰ろう」
「静かにしろって言っただろうが!」
拳銃を持った男のひとりがエリスの襟元を引っ張り上げ、立ち上がらせようとする。
するとワンピースだけが引かれて、エリスの何も履かない下半身が露わになった。
「おい、こいつノーパンだぜ!」
「よく見りゃすげえ美人だな」
「ふたりとも若いな。高校生か?」
「警察も来ちまったし、しばらく籠城だ。今のうちに楽しんでおこうぜ!」
エリスとアテナは、店内の奥の部屋に連れて行かれた。




