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キューピッドは振り返らない!  作者: 山下香織
第二章 天使と悪魔
16/17

16・天使と悪魔

「はい、お茶入ったよー、エリスちゃん」

「あんがと」


 エリスの住むアパート――『一流荘』の六畳一間の部屋で、アテナの淹れてくれた紅茶を一口啜るエリス。


「しっかし、とんでもなくボロアパートだなー、ここ」

「梅こぶ茶はないのかえ?」


 何故かクローズとカーミラもここに居る。

 ついでに淹れてもらった紅茶のカップを手に、部屋を見渡していた。


「一流なのにお風呂もないのよね、トイレは共同だし」

「アンタそれ、何か間違ってる……」

「あ、また空が光ったよー」


 学校の方角から時折破壊音が聞こえ、閃光が迸っている。


「まだ終わらないのかなー」

「いやいやエリスちゃん。あの数相手にしてたらすぐには終わらないでしょー」

「てか勝てるわけなくね? 地球も時間の問題じゃね?」

「梅こぶ茶はないのかえ?」


 エリスの学校で戦端が開かれた対エイリアン戦争は、世界各国からのヒーロー達の集結によって激化の一途をたどっている。

 鉄の子アントムをはじめ、九人のサイボーグ戦士やマント姿のアメリカ人、強化スーツを着込んだ鉄男、蝙蝠のコスプレ男、ロボットに変形するスーパーカー、セーラー服の美少女戦士等、戦場はいまや世界コスプレ会場と化していた。

 エリスたちはそれらにすべてを任せ、さっさと自宅アパートへと帰宅したのだった。


「戦闘になってるのって、日本だけみたいですよー」


 アテナは最近エリスの部屋に設置された、小型のブラウン管テレビのニュース画面を見ている。その下のテレビ台はダンボール箱だ。

 

「学校が跡形もなくなっちゃったねー」

「戦場のど真ん中だから真っ先に破壊されてるし」

「てかあそこ何かの特異点だったろ? 刺激与えて大丈夫なんかね」

「梅こぶ茶はないのかえ?」


 クローズが指摘した通り、特異点であった学校跡は次第にその光景を変えてゆく。

 最初は黒い小さな点だった。――それが少しずつ大きくなると、学校跡地はやがて暗黒空間に飲み込まれた。

 その闇の中で蠢くものがある。暗黒の中から這い出してきたそれは、さらに漆黒の闇だった。


「なにあれ?」

「やばい感じがするね。敵か? 味方か?」


 暗黒から生まれ出た闇は透明な闇(・・・・)という性質を持ち、(ドラゴン)の形を作った。

 透き通るドラゴンの背後は、重力レンズ効果で歪んで見える。

 

 テレビカメラが移動すると、ひとりの少年を捉えた。――亀頭大だ。


「あ、あいつテレビに映ってるじゃん。てか生きてたんだ?」


 テレビカメラの前でキトーは呟く。


暗黒物質龍(ダークマタードラゴン)だ」


 その途端カメラがブレて映像が途切れる。テレビの画面には、ザアーと砂嵐が流されていた。


「ああっ、続き見せろよー! めっちゃ気になるじゃん!」

「気になるなら学校戻ったら? クローズ」

「それもちょっと面倒くさいな」

「エリスちゃん、外が……」

「梅こぶ茶がほしいのじゃ」


 アテナが窓の外を指さす。釣られて三人が見たそれは――暗黒だった。

 空を埋め尽くしていた円盤は、今や暗黒の闇に塗りつぶされていた。

 その闇は円盤を侵食し、取り込んでしまう。


 ぶぶぶとエリスのラブコン(L S C C)が震えた。


「なあに? ママ」

「緊急事態なのですわエリス。とってもとっても大変なのですわ」


 コンパクトの鏡部分に映る女神アフロディーテの表情は、いつもと変わらず柔らかだ。


「現在地球に現れたダークマタードラゴンは円盤を飲み込んだ後、地球を取り込み始めます。そうなると、あら大変。地球上の『愛』が消滅してしまうのですわ」

「アテナのゼウスがあれば何とかなるんじゃないの? ママ」


 アフロディーテは横から突き出された手が持つ、A四サイズ程の用紙を受け取った所だ。


「たった今入った情報によりますと……ダークマタードラゴンは時間の干渉を受けない事が判明いたしました。つまり、逆行によるやり直しは出来ませんわ。そして全世界に散らばった円盤、およそ十億を飲み込むまで約一時間。――エリス、タイムリミットは一時間です。それまでにダークマタードラゴンをなんとかしてくださいね」


 アフロディーテの無茶ぶりに、困った顔のエリス。


「なんとかしろって言われても……どうすればいいの? ママ」

「『金の矢』ですわ。エリス、『金の矢』を使うのです。『鉛の矢』は強制的に奪う矢ですが、『金の矢』は差し出させる矢(・・・・・・・)なのです。では頑張ってねエリス」


 そこで通信を切られてしまった。


「え? あたし今の説明で理解できなかったんだけど、結局どうすればいいのよ」

「『金の矢』を使うだけだよー、エリスちゃん。もう一時間切ってるし、現場行こうかー」

「いや、その『金の矢』じたい分からないんだけど……」

「『金の矢』は『金の矢』だよ。なんとかなるだろ? とにかく行ってみようじゃないか。面白いものが見れそうだ」

「梅こぶ……」


 


 エリスたちは再び学校へと戻る――いや、学校跡だ。高校だった建物は既に跡形もない。

 あれだけ居た各国のヒーローたちも、どこに行ったのか誰も居なかった。


「みんなやられちゃったかな?」


 ダークマタードラゴンは、上空で暗黒のブレスを吐き続けていた。

 ブレスはどこまでも続き、空はどこまでも漆黒の闇だ。


「チェンジ! モード・エロス!」


 掛け声とともにエリスの体に光が収束し、その衣装を剥ぎ取る。

 全裸の背中には申し訳程度の小さな白い羽が生え、女神エロスの化身となったエリスはキューピッドの能力を授かった。


「『金の矢』ってどうやって出すのよ~」


 弓の弦を引くも、現れる矢の先端は鉛色に輝いていた。


「修行が足りないとかー? エリスちゃん」

「アンタのママは何て言ってた?」

「えっと、『鉛の矢』は奪うもので、『金の矢』は差し出させる……だっけ」

「じゃあ、こういう事じゃね?」


 クローズはおもむろに右手の中指と人差し指でエリスの顎を上向かせ、その唇に自らのそれをあてた。


「んん!?」


 舌は柔らかくゆっくりと、時に激しく蛇のように絡み付き、蛭のように吸い付く。

 エリスの頭は一瞬、霞がかかったが、クローズの左手が裸のヒップに伸びた時、我に返った。


「ちょっとまった! 何してんのよ!」

「ちっ、やっぱりアンタには効かないのね」


 サキュバスの魅了はエリスには効かないようだ。


「だけど分かったかしら? アンタが魅了されていればアンタはアタシにすべてを差し出して(・・・・・)いたはずよ。アタシは奪う事なく、アンタが差し出す。こういう事じゃなくて?」

「唇奪っておいて何言ってんのよ!……あ、でもそうね、何となくわかったかも」


 何かを閃いたエリスは、弓の弦をゆっくりと引き絞る。

 目を閉じ、小声でぶつぶつと何かを呟いた。


(あたしはキューピッド……奪うのではなく……惚れさせて全てを……虜に……)


 目を開け天を睨むエリス。


「あたしは奪わずに、奪う。――あたしからは盗らない、だから――差し出せ!」


 光が収束し矢を形成してゆく、その先端は『金色』に輝いていた。

 これこそがキューピッドの真骨頂『恋する矢』だ。

 この矢に射られた者は恋に焦がれ、苦しみ抜く運命を背負う。そして恋した者に己のすべてを差し出すのだ。


 エリスは弓を、空のダークマタードラゴンに向けた。


「あたしに恋せよ! ダークマタードラゴン!」


 矢が天に放たれ、暗黒ブレスを止めたダークマタードラゴンがエリスを向く。

 その胸部を、――『金の矢』は貫いた。



 

  ◇  ◇  ◇




「で、こいつどうすんのさ? エリス」

「さあ……どうしよ」

「エリスちゃんのペットでいいんじゃないかなー」

「妾の同胞が……まあよい。どうせ帰れなんだ」


 地球の空すべてを覆っていた十億の円盤は、暗黒物質龍(ダークマタードラゴン)によって一掃された。

 そしてそのドラゴンは今、小型化してエリスの足元にすり寄っていた。

 透き通る闇の体は朧に揺れ、表情さえ窺えないが、頭を擦り付けるようなその動作で、エリスにご執心なのがよく分かる。

 

「まあ、クローズのおかげで『金の矢』も作れたし、いっか」

「ゼウスも出さなくて済んだしねー、エリスちゃん」


 奇しくもサキュバスのその能力と似通った『金の矢』は、クローズの機転で生まれたようなものだ。

 

「ひよっこのキューピッドがやっと、一人前になったって所かしらね」


 クローズの皮肉にも、エリスは言い返す事をしなかった。


 闇から解放された地球の空は、夕日の赤に染まり、穏やかな風をそよがせている。

 まるで何事もなかったかのような風景に、その二人の姿は溶け込む。


 

 その二人は……悪魔(うばうもの)と――


 

 ――天使(うばうもの)だ。



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