10・そして誰もいなくなった。
「やられた……」
深夜の高層マンション。
上層階の窓の外で、全裸のエリスは金髪を激しく風に遊ばれながら、反応の消えたラブコンを見つめて呟く。
ゆっくりと地上に降り、モードをキャンセルすると、ずっと下で待機していたアテナが近寄ってきた。
「エリスちゃん、先回りされちゃったね」
「そうみたいね」
今夜この場所で、特大の『愛』の結晶を手にするはずだった。
だが直前でその反応は無くなってしまったのだ。
それの意味する所は――
「クローズね。とことんあたしらの邪魔をしたいみたいね」
――クローズと接触して以来、エリスは今回のような妨害を既に、数回に渡り受けていた。
「もう帰ろ帰ろ。アテナうち寄ってく?」
「うん、夜は不利みたいだねー、エリスちゃん。対象が寝ちゃうと途端にサキュバスの土俵になっちゃう」
クローズがどのようにして先回りをしているのかは謎だったが、夜に不利となるのは本当のようだ。
「しばらく昼間だけにする? エリスちゃん」
「うーん。そうねー……ちょっと様子みようか」
いまだに白昼の全裸に抵抗のあるエリスは躊躇う。
「そうだエリスちゃん。明日は一月八日で学校の始業式だよー」
「そうなの? ……そうね、学校もそろそろいいかもね」
エリスたちは一度だけ登校したものの、それっきり学校へは行っていない。
そのうち冬期休みに入ってしまって、その休みも今日までだ。
「じゃあ学校行ってみようかしら」
「そうだね、エリスちゃん。気分を変えようよー」
◇ ◇ ◇
「ようしお前ら、転校生だぞ! そして喜べ男子、今回も美少女だ!」
HRに担任の仏田が声高らかに宣言すると、教室の扉で待機していた少女を呼んだ。
少女が教室に一歩入ったその瞬間、教室中がざわついた。
スラリとした細身の身体はしなやかに動き、柔らかくゆっくりと移動する制服姿に遅れて、色香が振りまかれる。
少女が教壇の前で向きを変え教室を見渡すと、亜麻色のポニーテールが弾んだ。
「HEY every one! フィンランドの方から来ましたヨー。三田クローズでーす。nice to meet you!」
「「あーーー!」」
エリスとアテナが揃って声を上げる。
教壇の前で愛想を振りまく少女は、いつぞやのサンタクロースだ。
制服姿のクローズは、エリスたちに視線を向けるとウインクした。
「どういうつもりよ!?」
「お? 愛野は三田と知り合いか? ちょうど席も愛野の前が空いているから三田はそこに座りなさい」
「はーい。せんきゅー!」
エリスの前の席はいつのまにか空席となっていた。彼女の記憶では、誰かが座っていたはずだ。
おそらく何ものかに記憶操作された結果なのだろう。
エリスにゆっくりと近づくクローズは、不敵な笑みを浮かべている。
「なんかすっげーエロくね?」
「やばい鳥肌たった……」
「やだ、同じ女なのにキュンキュンするぅ」
「可愛すぎですしお寿司)
「フェロモンぱねぇ! まじぱねぇ!」
「ふ、ふつくしい……」
「おっきした……」
「くんかくんか」
クローズはどちらかと言えば童顔なのだが、サキュバスの性だろうか、歩くその姿だけで人間を惑わせる。
エリスの席の直前でくるりと踵を返したクローズは、教室の中を見回すと――
「人間の少年少女のみなさん、アタシを見て芽生えた『愛』を育むがいいわ。ある程度育ったらアタシが搾り取ってあげる。それはもう気持ちいいわよ? 童貞くんが居たら卒業させてあげるのもやぶさかでないわ……」
「何言ってるのよあなたはー!」
――エリスに思い切り背中を蹴られたクローズは、強かに転んだ。
「な、なにすんのよ! 露出狂女!」
「あなた何しにこんな場所まで来てんのよ! そんなにあたしの事邪魔したいの?」
「あったりまえでしょ? アンタ馬鹿あ? 付きまとうって言ったじゃない、アタシは神界の崩壊が見たいんだから邪魔するに決まってるでしょ!」
エリスからしたらクローズの持つ『愛』さえ奪えればそれで解決なのだが、それが出来ないもどかしさに憤る。
「アテナ! あなたの力でこの女なんとか出来ない?」
「そうだねー、エリスちゃん。ちょっと調べるねー」
人間の目を気にしないアテナは、それを唱える。
「チェンジ! モード・メティス!」
キュイン! と甲高い音が弾けると、黄金の光に包まれたアテナは制服を霧散させ、シースルーベール一枚の全裸となり、知恵の女神メティスの化身となる。
その知恵の元となるアイテムは携帯端末だ。
「おいおい全裸きたよ、きちゃったよー」
「あそこの三人やばいだろ。この教室おかしいって」
「生きててよかった……」
「もう死んでもいい……」
「触ったら怒られるかな?」
「鼻血止まんねー!」
「ハア……ハア」
教室がさらに騒がしくなる中、クローズはアテナに怪訝な顔を向ける。
「ちょっとそこの青い髪の……全裸で何やってんのよ?」
「ちょっと待ってくださいね。調べてる所です」
ここでようやく、担任の仏田が止めに入る。
「おーいお前ら。先生の前で何してくれてんだー? 裸になっちゃ駄目だろお?」
「黙れ! 仏田! 引っ込んでろ!」
「そうだ! 俺たちの青春の一ページを汚すんじゃねえ!」
「いや、だってお前ら……教室で裸はやめようよ?」
「うるせえ! ブッダ! 氏ね!」
「ブッダお前それ以上しゃべると、俺の右腕がエターナルフォースブリザードを発動するぞ?」
「えええぇ……」
強面のスキンヘッドの仏田も、ブーイングを受けてタジタジだ。
クローズの目の前で、スマホを手になにやら検索していたアテナはやがて――
「エリスちゃん、これなんかどうかな?」
――スマホの画面をエリスに見せた。
「うん。アテナ、まかせた!」
「じゃあいっくよー。チェンジ! モード・ゼウス!」
アテナが唱えた瞬間、シュワワと光が収束し、彼女の身体を光の粉と変えて拡散させる。
全知全能の神ゼウスの化身となったアテナはその肉体を捨て、精神的な存在へと昇華させた。
教室から姿を消し、宇宙の意識となったアテナの目の前に、地球があった。
『えっと。どうやるんだろー』
いまだにゼウスの行使には不安を隠せないアテナだったが、精神を集中させてエリスの所在を確認した。
『よし。そこねー』
地球に向けて腕を伸ばすアテナ。それは透き通ってはいるが可視化されて腕の形を保っている。
『そーっと。そーっと』
慎重に目標を定め、やがてエリスの居る学校を捉えた。
(アテナ大丈夫? クローズはここに突っ立っているから懲らしめちゃって)
(おっけーだよー、エリスちゃん)
アテナは親指と中指を合わせて、狐のような形にした。
先ほどのスマホには、ゼウスの攻撃の検索結果がこう記されていた。
《デコピン(超物理攻撃)》
『えいっ』
ぺしっと中指が弾かれてエリスの居た学校を直撃すると――
粉微塵に粉砕した。
――地球が。
『……』
この後、時間を戻してなんとか事なき? を得たアテナだった。




