新たな街で
新世界アルカディア。
【白銀の女王】リナリス・レインバードが世界を滅ぼし、新たに創造した世界の名である。
新世界アルカディアに存在する十字の形をした新たな大陸。
人々が暮らす新大陸を五つに区切り、【白銀の女王】は五つの国を作り上げた。
北に位置するザラマナル王国。
西に位置するトスカルラ王国。
東に位置するエーギトリア王国。
南に位置するフォルセン王国。
そして中央には【白銀の女王】が統べる軍事国家グランネビル。
世界を創りなおした【白銀の女王】もまた、永遠の存在として今現在も生き続けている。
各国がそれぞれの政策で国を統治しているが、世界は【白銀の女王】が支配していると言っても過言ではない。
なぜなら【白銀の女王】は各国の内政干渉を自由に行えるからだ。それが許される"法"が新世界に存在している。
【終の執行者】カイム・ライナイト。
【白銀の女王】の右腕であり、軍事国家グランネビルに所属する彼が、旧世界の遺物を回収し自由に国を行き来できるのも、そういう法律が世界に定められているからである。
他国への自由な内政干渉、支配という言葉から【白銀の女王】が暴君だと勘違いするかもしれないが、それは違うらしい。
【白銀の女王】や彼女の統べるグランネビルの軍事力は、国同士の争いを抑止する存在となっている。状況によっては他国に兵や人材を貸し出し、時に資金の援助も行う。新世界になってから過去に一度も国同士による戦争は起こったことがなく、世界秩序が守られているのは【白銀の女王】のおかげであるそうだ。
「【白銀の女王】に逆らえる者が誰もいないから、当然と言えば当然だけど」
――と、この世界の簡単な常識をリィゼは教授してくれる。
僕は今、リィゼとソフィア。
バルバラ、コニミルという名前の二人の侍女達と共に、トスカルラ王国の街に来ていた。【終の執行者】の手によって地下室のカプセルは跡形もなく消えており、僕の予定が変更されたおかげである。
街の景観。屋敷や建物の造りは僕の知る旧世界の物とはあまり変化はなかった。
でも旧世界の街とは決定的に違う景色がここにはある。
大人、子供。街の中にはちゃんと外に人がいる。倒壊した建物は一つもない。ちゃんと、街は活きている。カイムさんの言っていた平和という言葉が、改めて胸に落ちた。
最初に僕とリィゼとソフィアの三人で服屋に訪れた。
何着かの服を選び、僕は白のシャツの上に紺色のジャケットを羽織り、サイズの合ったズボンを履く。下手な装飾はいらない。シンプルな服装に着替える。
「どうよ?」
新調した服でちょっとポーズを取ってみる。
「そんなもんでしょ」
「いや、そこは似合ってるよって言うところじゃない?」
「それは男が女に言う台詞でしょ」
え、そうなの? 男女が逆でも言うでしょ。
「似合ってますよ、ソランさん」
「ありがとう!」
リィゼなんかと違い両手を合わせソフィアが微笑んでくれる。世辞でも嬉しい。
「リィゼ様、お金の方はわたしが払っておきますので」
「ええ」
ソフィアは店員の女性に声をかける。
僕は無一文だからね。仕方ないね。せめて、という訳じゃないけど僕が着ていたぶかぶかの服はしっかり持って帰ろう。
「その服はそっちで処分してもらって構わないわ」
店員から僕が着ていたぶかぶかの衣服を受け取ろうとすると、リィゼがそれを遮った。
「え、まだ着れると思うんだけど勿体なくない?」
「誰が着るのよ」
男物の服だし確かに女性であるリィゼ達は着る機会はないかもしれない。
しかし、彼女から貸し出された大人の男性の服。それはつまり――。
「……いずれ処分するつもりだったし丁度いい機会よ」
服の所有権は当然だがリィゼにある。彼女がそれで良いなら良いのだろう。僕が余計に口を挟むことじゃない。
「いつになるか分からないけど、きちんとお金は返すよ」
「はっ?」
「え?」
何その反応。
「何かおかしいこと言った?」
「気にしないでいいわ。服は……、別に大した額じゃないしタダであげるわよ」
お金持ちだからだろうか。内心では有難い話ではあるけど。
「まあ、それでもきちんとお金は返すよ」
新しい世界で、住む場所と食事を提供してくるだけでも十分過ぎるのだ。返せる物はきちんと返していきたいと僕は思う。
「ふふ、ソランさんは真面目なんですね」
「えぇ……」
店から出てきたソフィアも僕にそんなことを言う。
もしかして馬鹿にしてるのかと驚いたが、ソフィアの表情からそうでもないようだ。純粋に思ったことを口にした様子であり逆に困惑した。
何かおかしなこと言ってますかね僕?
服屋を出た僕とソフィアは次に市場へと向かう。
それぞれのお店には野菜、くだもの、魚類といった彩り溢れた食材が並んでいる。どれも美味しそう。ただ商品を眺めているだけでも楽しめそうだ。
「ちゃちゃっと済ませてきますね」
人混みを軽やかに避けながらソフィアは市場を周り、買った荷物は僕が持つ。といっても野菜と紅茶の葉っぱぐらいで買った物は少ない。
今回の目的は食器の買い込みであり、食材を買うのはあくまでおまけであるそうだ。
僕が目覚める前。早朝に起きた地震によって食器棚が倒れ、殆どの食器がダメになったらしい。なので、食器を買う雑貨屋の方には僕達と別れたバルバラさんとコニミルさんの二人の侍女が向かっているのだ。場所と時間を定め、二人の侍女とは後で合流することになっている。
「ところで、この世界でお金ってどうやったら稼げるの?」
買い物をするソフィアの後ろ姿を眺めながらリィゼに尋ねる。
「あっちの\世界《旧世界》ではどうやってお金を稼いでいたのよ」
「ハンニバル部隊に、軍に所属していたからだけど。【白銀の女王】のおかげで戦争はないんでしょ? この世界に軍人が活躍するような場所ってあるの?」
旧世界には魔族という女神・ティロフィーナが定めた分かりやすい敵がいたが、この世界にはどちらも存在しないようだし。
「敵がいないと言ったら働かないのかしら?」
「いや、なんでさ。別に軍じゃなくてもどこかに働いてお金を稼ごうとは思ってるよ」
戦うことは得意だ。旧世界の戦争に生き残れたのが何よりの証拠であり、自負もしている。
だが、戦うことは得意というだけで、別に戦いが好きなわけじゃない。あくまで面接の際のアピールポイントになるというだけだ。
「……真面目ね」
「さっきもソフィアに同じこと言われたけど何? もしかして馬鹿にしてる? それともこの世界じゃ働かなくてもお金が手に入るの?」
「悪気はないわ。ただ素直に感心しただけよ」
「それ、やっぱり馬鹿にしてるよね?」
しかも本気でそう思ってるぽいのが余計にたちが悪い。
僕みたいな人間じゃ働けないとか思われてるのだろうか? どんな雑用だろうがこなして見せる自信はあるのに。
「何のお話ですか?」
小さな紙袋を手にソフィアが戻ってきた。
小動物のように首を傾げる姿が愛らしい。
「大した話じゃないわ。それより、それで終わりかしら?」
「はい。予定通り時間が余りましたし、どうしましょうかリィゼ様?」
「あ、なら僕は街の中を見回ってもいい?」
「少し待ちなさい」
リィゼはそう言って考える素振りしながら、僕とソフィアを交互に見る。
「ソフィア。私は少し寄る所があるから、悪いけどあなたは彼と二人でもらえないかしら?」
「え、あ、それは勿論構いませんけど、リィゼ様はどちらに?」
「いつもの情報屋よ。それよりソフィアも……」
リィゼはソフィアの肩に手を置いて耳元に口を近付けた。
「……ああ、いや。何でもないわ」
「? そうですか?」
何かを言おうとしたリィゼは口を閉ざし、代わりに微苦笑を漏らしてソフィアから離れる。
「時間に遅れないようにしないさい」
リィゼは凛々しく背中を向けて歩いていく。
その姿を見送ってからソフィアが自然に僕の隣に立つ。
「ソランさんはどこか行っててみたい場所とかありますか? どこだって案内しますよ。……って、この街に何があるかとか分かりませんよね」
「どこでも。街の中ならどこだって良いんだ。ただ街を歩くだけでも十分に楽しいし」
「ソランさん、街に来た時から子供のように目を輝かせていますものね」
そう言ってソフィアは温かい笑みをこぼす。
浮かれているという自覚はあるが、改めて指摘されると少し恥ずかしい。
「こんな光景はもう二度と見れないと思ってたからね。どうしたって感慨深くなっちゃうさ」
買い物をする主婦。おしゃれに着飾る淑女。声を出して客寄せする店主。物珍しい骨董品を探す老人。町の安全を守る兵士。子供と手を繋ぐ親子。
人と人が行き交う街で見れる、何の変哲もない穏やかな光景。それでも僕の目には、そのどれもがとても尊く映っている。
油断してると目頭が熱くなるね。
「…………」
「あ、いや、そんな重たい話をしようとかそんなつもりじゃなく……!」
ひえぇ、なに一人で感傷に浸ってるんだ恥ずかしい! 旧世界はもう存在しないのに、こんなこと言われてもただ反応に困るだけじゃないか!
「い、いえ、やはりというかソランさんは旧世界の方なんだな、と。私と同じ年くらいなのに重みのある言葉でした」
「わ、話題変更。ソフィアは今何歳なの? 僕は18歳だけど」
ただし僕が眠っていた年月は含めないものとする。
「あ、一つしか違わないんですね。わたしは19です」
「え?」
年上……。童顔という程でもないが年齢よりも幼く見える顔立ち。勝手に年下なのかと思っていた。僕もよく外見から2つほど幼く見られがちだが、ソフィアも同じであったようだ。さん付けして呼んだほうが良いかな?
「因みにリィゼ様は16歳なんですよ」
「へぇ」
リィゼの言動や立ち振る舞いから、あまり年下のようには見えなかった。年齢よりも大人びた雰囲気を持っているし体も成熟している。
「今、リィゼ様のほうがわたしより年上っぽいなと思いましたね? 確かにわたしの体は貧弱ですけども」
別にそんなことは思っていないけど、ソフィアのむくれたような顔が可愛い。
確かにソフィアはリィゼに比べると凹凸のない平坦な体である。しかし、それはそれでちゃんとした魅力があると僕は思うが、ソフィアは自身の体型に思うところがあるのかもしれない。
「甘やかされたお嬢様とは違う、しっかりしている感じだなとは思ったよ」
「はい、リィゼ様はとても立派で凄いお方なんですよ。幼い頃から強くあろうと、才能に自惚れず沢山の努力を積み重ねてきました。今も……、一生懸命に頑張っているんです」
ソフィアは主を誇るように、でも後半は、どこか寂しそうな顔でそう言った。
「…………」
テオフォードとの会話の内容や一度も見ていないリィゼの両親。彼女が何かを抱え、普通とは異なる人生を歩んでいるのは間違いないだろう。彼女に同じような雰囲気を持つ人間は旧世界にも多くいた。
だからといって僕が口を挟む話ではない。教えてもくれないと思う。
まだ親しい仲ではないし、他にも一つ。
被害妄想かもしれないが、初対面の相手を警戒するのとはまた別の理由で警戒されていると、そう感じるからだ。
まあ、推測は立てている。
それは恐らく、僕が旧世界人だからだろう。
テオフォードも僕が旧世界人だと知った途端に警戒心を高めていたし、剣を向けてきた男も最初は怯えていた。旧世界人というだけで警戒される理由は分からないが、彼女を怒らせるようなことをした記憶はないし他に理由も思い当たらない。
改めてそう考え出したせいか、何だかまた気になってきた。変に悩み引っ張るのもあれなので早速聞いてしまおう。
「ソフィアは僕のことをどう思う?」
「ふえ?」
おっと抽象的な質問だった。
「僕たちのことは好き? 嫌い?」
「え、えっと……?」
ソフィアは戸惑いながら、言葉の意図を探ろうと難しい顔で僕を見つめてくる。
「旧世界人って周囲から嫌われてるの?」
「さ、最初からそう聞いてください。心臓に悪いですよもう」
ほっと安心したようにソフィアは息を吐く。まあ遠回しだったのは認めます。
「きっとその内知るとは思いますけど……」
どこか緊張した面影でソフィアは話し始める。
僕は相槌を打ちながら黙って旧世界人がこの世界の人間にどう思われているかを聞いた。
「なるほどなぁ」
「お、怒ってますか? 旧世界人について悪く言ったから」
「え、怒ってるように見える?」
僕の言葉にソフィアは首を横に振る。
だよね。リィゼもそうだが、そんなに僕が怒りっぽい奴に見えるのだろうか?
……いや、違うな。
僕が旧世界人だからだ。
もし怒らせて機嫌を損ねたら、とか不安に思われているのだろう。
『旧世界人』というカテゴリーで一纏めにされて思うところがないわけじゃないけど、文句を言っても仕方がない。
歴史が積み重なるのと同じで、人の行いもまた積み重なっていく。時と共に植え付けられた旧世界人の悪印象を簡単に払拭することは出来ない。出来ないし、別にするつもりもない。
「でも今後のことを考えると旧世界人という肩書が邪魔だな」
旧世界人というだけで周りから敬遠されてたら素直に困る。
「わたしもそうですが、殆どの人は旧世界人の顔を知りません。自分から名乗り出ない限り誰も気付かないと思いますよ」
「なるほど確かに」
街を歩く人々の中に僕が旧世界人だと気付いた者は誰もいない。彼らだって旧世界人がメイドの子と一緒に歩いているとは思っていないだろう。
「……で、ソフィアは僕と一緒に居て大丈夫なの? 知っての通り旧世界人だけど」
「最初は正直怖かったですけど、不思議ですね」
そう言ってソフィアはどこか困ったように笑った。
「ソランさんがあまりに普通だから、そのことをつい忘れてしまいそうになります」
「天使かな」
「はえ!?」
何だこの子大丈夫か。
そんな考えで危ない目にあったらどうするんだよ、もっと警戒心を高めた方が良いよ、うん。
「天使かよ」
「な、何なんですか!?」
でもそう言ってくれてめっちゃ嬉しいです、はい。
無駄にテンションが上が状態で一通り街を歩き、僕たちは噴水のある広場に着く。
食器の買い出しに向かったバルバラさんとコニミルさん。リィゼの三人との合流場所である。
「まだ来てないですね」
周囲を見渡してもリィゼの姿はなく、メイド服を着た者もソフィアを除いて誰も居ない。
「座って待ちましょうか」
空いているベンチを見つけ僕とソフィアは腰を下ろし、手に持っていた荷物を横に置く。
「ありがとうございます、ソランさん。本当なら荷物持ちはわたしがするべきことなのに」
「僕が勝手に持っただけだし別にいいよ。こっちは新品の服を買ってくれたし、むしろ僕のほうこそお礼を言わなきゃ」
「服を買うお金を出したのはリィゼ様ですよ。お礼ならリィゼ様に言ってあげてください」
僕としたことが、そういえばお礼をまだ言っていなかった。
「後できちんと言うよ。でもソフィアにもお礼を伝えておきたかったんだ」
「そんな、わたし、お礼を言われるようなことをしましたっけ?」
ソフィアが首を傾げる。その瞳の奥に疑心の色が見えるのは僕が旧世界人だからか。別に取って食べたりはしないのに。
「コホン。それは新世界で早々、女の子とデートできたからだよ」
「……。……デート?」
「うん。男女が二人街を歩けばそれはデートだよ」
「え、わ、わたし、デートは初めてで、そのっ、そんなつもりじゃ」
ソフィアの顔はどんどん赤くし、恥ずかしそうに僕から目を逸らす。
軽い冗談のつもりで言ったのだが予想以上の反応だ。とても初心で可愛らしい。
何と言うか、こう……。
「愛でたい」
「え、え?」
「ちょっと頭撫でて良い?」
「ええっ!? な、なんでですか!?」
「こう、頭をわしゃわしゃって凄く撫でたいから」
「か、髪が乱れるのは嫌なんですけど」
「そこはほら、優しく撫でます」
「えっと、その………………どうぞ」
ソフィアは逡巡しながらも、恐る恐ると頭を前に差し出してくる。
やや強引だったかもしれないが、「やったね」と内心でガッツポーズ。
僕は胸を躍らせながら、髪をとかすように優しく頭を撫でる。きちんと手入れのされた柔らかな茶色の髪。指通りが滑らかでいつまでも撫で続けられそうだ。
なんだか、とても懐かしい。心が落ち着く。
いつだったか【 】の髪も、こうして――
「~~、あ、あの!!」
「――っと」
耐え切れなくなったのか、ソフィアは頭を上げ僕の手から逃れる。
顔を真っ赤にさせながら腰を浮かせ、ほんのちょっとだけ僕から体を離した。
「な、なんだかとてもいやらしい手つきでした!!」
「うっそ、まじで?」
自分じゃ普通だと思ってたのに。ショック。
「女の子に気軽に触るなんてダメなんですよ! わ、分かりましたか!」
「えぇー……」
「い、いいですか!」
「了解しました」
許可を得たはずなんだけど、どうやらテンパっている様子。
それを見て悪戯心がわいてくるが、嫌われたくないので軽く謝っておく。
「何をしているの?」
するとそのタイミングでリィゼが僕とソフィアの前に現れた。
彼女の無愛想な顔を見て和んでいた空気が自然と冷えていく。
「おかえり。別に悪いことは何もしてないよ」
「お、おかえりなさい、リィゼ様。少し遅かったですね」
「ソフィアの頭に触れていたようだけど、何故かしら?」
見ていたならわざわざ聞かないで欲しい。
「ソフィアの頭を撫でるのに君の許可が必要だった?」
「合意の上なら問題ないわよ」
じゃあ何も問題はないね!
「そ、それにしても、バルバラさんとコニミルさんの二人は来ませんね」
ソフィアは逃げるようにベンチから立ち上がり、また一歩僕から距離を取って時計を見る。
「時間に余裕を持たせたはずなんですけど、何かトラブルでもあったのでしょうか?」
「そうね。何の理由もなしにあの二人が遅れるはずはないし」
「探しに行く?」
改めて周囲を見渡してもメイド服を着た女性の姿はない。
「リィゼ様、わたしが少しお店のほうを見てきます。行き違いになっても嫌ですし、お二人はここで待っていてください」
ソフィアはそう言って小走りで街の中を進んでいく。
一人分空いたベンチにリィゼは腰を下ろした。僕はリィゼを見ず噴水に目を向けながら口を開く。
「一応、旧世界人の話は聞いたよ」
「それで? それを聞いてあなたはどう思ったの?」
旧世界人が世間では超危険人物だと認識されているのは分かった。
どうであれ僕も旧世界人であることは間違えなくて、色眼鏡で見られることは避けられない。
「別に。ただ他がどうであれ、僕は僕だってことを最初に言おうと思っただけ」
色眼鏡で見ることは仕方ないことだが、それはそれ、これはこれである。旧世界人というだけで、いきなり人格まで否定されてはたまらない。
「そう」
「うん」
「やっぱり変わってるわね、あなた」
「……誉め言葉として受け取っておくよ」
「ええ」
僕とリィゼの間に少しだけ沈黙が下りた。妙な気分だ。
別に気まずい沈黙とかではなく、何というか不思議と気が軽くなる。
「一つだけ聞きたいんだけど、どうして僕を屋敷に住むように言ってくれたの?」
旧世界人と関わりを持つべきでないと言われている新世界。
なのにどうして彼女は初対面で、しかも旧世界人である僕にそんなことを言ったのだろう?
ソフィアから旧世界人の話を聞いてからはそれが気になっていた。
「……………………」
「もしもし?」
「善意、よ……?」
なぜ疑問形……。
「人の善意を疑うものではないわ」
「そうですねー」
どうやら答える気はないようだ。彼女自身もはっきりとした理由が分かっていないだけかもしれないが、まあ今追及しても無駄だろう。
そこからリィゼは口を開くことはなく、ソフィアが戻ってくるまで静かな時を過ごした。
商店街の一角にあるお店。リィゼの家、シムオネット家が贔屓にしているという雑貨屋の店主によれば、バルバラさんとコニミルさんの二人の侍女はちゃんとお店に来ていたようだ。多くの食器を買い、二人で荷物を分け、ソフィアが訪ねる三十分前にはお店を出ているらしい。
だが、バルバラさんとコニミルさんの姿はどこにも見えない。
「先に帰った、もしくは迷子になったとかは?」
「あるわけないでしょ」
「どちらもありえません。こんなことは初めてです」
時間を過ぎても待ち合わせ場所に来ない相手。何かあったんじゃないかと不安を感じて心配するのが人情だ。無表情を貫くリィゼはともかく、ここでソフィアの暗い顔を見ていても楽しくはない。
「探しに行こう。心当たりはある?」
「ごめんなさい。お二人とも寄り道をする方ではありませんでしたし、心当たりがありません」
「なら適当に、人に聞きながら行こう」
「でしたら手分けして探し――」
「いや、一緒に行こう。僕が迷子になる」
迷子になるし、もしものことがある。
まだ何かあったと決まったわけではないが、ある程度の事態を想定して行動するべきだ。僕はともかく、ソフィアを一人で行動させるわけにはいかない。
「勝手に話を進めないで。ソフィアは屋敷に帰りなさい。二人は私と彼で探すわ」
「え、あ、分かりました」
「正午には一度戻る。もし二人が屋敷に戻っていても、こっちに来る必要はないわ」
ソフィアと別れ、僕とリィゼはメイド服を着た二人の女性を見なかったかと、街の中を聞いて回った。子供から大人まで十人以上に尋ねたが、欲しかった情報は得られなかった。
つい先ほど、奴隷市場に男が乱入し、商品を掻っ攫ったという話を耳にしたが、二人の行方とは無関係だろう。
「闇雲に探しても無駄ね」
「ならどうするの?」
場所の心当たりがない以上は足を使って探すしか方法はないと思うけど。
「あなたは一度屋敷に行ってバルバラとコニミルの二人が戻って居るか確認してきて」
「居なかったら?」
「此処に戻って教えなさい。最悪、騎士団の連中の手を借りるわ」
「合流場所はさっきの噴水でいい?」
「ええ」
リィゼに馬車に乗る為のお金を拝借し、リィゼと別れる。
馬車を見つけようと歩いて、ふと兵士達の姿が目が留まった。
街の中で何度か見かけた三人の兵士が共に走っている。ただそれだけだが、それが気になった。だから僕は兵士達の後を追う。
街を警備する兵士が走る理由。それも一人ではなく三人の兵士がだ。
何かが起こり、現場に向かっていると考えるのが自然だろう。
違うならそれでいい。兵士を見てから湧き起こるこの胸騒ぎはただの勘違いだと片付けられる。
「すまない、待たせた!」
「来たか、手を貸してくれ」
「ああ」
三人の兵士の後を追って辿り着いた場所は街の水路。
そこには別の兵士が待機しており、橋の横で屈んでいた。兵士の視線は川へと向けられている。
「…………」
橋の上に集まった通行人たち。その中に僕も混ざり、橋の上から川を見下ろす。
川には、女性が浮かんでいた。
水面に顔を沈め、うつ伏せになった状態で水中を漂っている。
僕は兵士達よりも先に、橋から身を乗り出して川へと飛び降りた。
一メートル程の深さしかない川に身を浸し、メイド服を着ている、既に息絶えた女性を抱き上げ、そして顔を見る。
「……バルバラさん」
まだきちんと話した相手ではないけれど見間違えたりはしない。同じ馬車に乗って街まで来たのだ。バルバラさん本人で間違いないだろう。
「おい、ボウズ。手を貸すぞ」
「いえ、一人で大丈夫です」
「見た目のわりに力持ちだなお前……」
バルバラさんの体を川から引き揚げ、地面にそっと寝かせる。
「ボウズ、知り合いか?」
「はい。シムオネット家に仕えているメイドの方です」
僕の言葉に四人の兵士がぎょっとした顔になった。
「シムオネット家って、あの【雷姫】がいる!?」
「らい……、えっと、多分そうです」
ぱっと見バルバラさんの体に外傷はない。首元にリボンがなく、襟元のボタンが外れているだけで、特に争った形跡も見られない。
ただ、襟元を更にめくって鎖骨の辺りを見ると、拳ぐらいの大きな穴が体に開いていた。僕はバルバラさんの体に手の平を這わせ、体の状態を確認する。
「惨いことするなぁ」
「ああ、まだ若いのに可哀そうだな」
「中身がぐちゃぐちゃだ。よっぽど深い恨みでもあったのか」
「はっ?」
バルバラさんの体内は、臓器の全て箱の中に詰め込んでかき混ぜたかのようになっている。文字通りのぐちゃぐちゃだ。
「……おい、何言ってんだ、ボウズ」
「中身を切り開いて見れば僕の言ったことが分かりますよ。恐らくこれをやったのは只者じゃないです」
バルバラさんの死因は、体内を直接攻撃されたからだろう。
少なくとも溺死ではないはずだと伝える。
「体内を直接攻撃だぁ? そんなこと出来る奴が……――」
「やろうと思えば僕も出来ますし、出来ないわけじゃないですよ」
出来る人には出来る。そういう類の高度な攻撃だ。
ただ、僕でもここまで中身をぐちゃぐちゃには出来ない。
「お、おう、そ、そうだな……」
「?」
兵士の男性が血の気の引いた顔で曖昧に頷く。
死体の見過ぎで気分でも悪くなったかな? ということにして、次に気になる点は……。
「血を抜き取っているのかな? 体内に血が殆ど残っていないんですけど、何でか分かりますか?」
バルバラさんのメイド服は血で汚れていない。血で流した痕もないのに、血を殆ど失っている。
心当たりがないわけではないが、それは旧世界での話だ。
【終の執行者】が旧世界の遺物を回収、破壊している以上、他人の血を必要とする場面が僕には分からない。
「ボ、ボウズは医者か何かなのか?」
「いえ、違いますけど?」
「そ、そうか。……はは、まさかな」
そう言いながらも兵士の四人に半歩ほど距離を取られた。
「血が抜き取られてるのって、最近多発しているあの事件ですよね?」
「あ、ああ、若い女性が失踪しているアレだな」
一人の兵士の言葉に他の兵士も頷いて返す。事件に心当たりがあるようで、僕は黙って言葉を促した。
「その内の何人かの死体が見つかっていて、全員の血が抜き取られていたんです」
敬語……。
「聞いたことありませんか? 同性の若い血を大量に飲めば、年を取らず不老になれるって話?」
「へぇ、そうなんですか?」
初耳。
「そういう話が昔からあるんですよ。真偽は分かりませんが、昔からある口承ですよ」
「じゃあそれが動機かな」
僕はバルバラさんの右手の指を動かし、その手に握られている物を取り出す。
「これは何か分かりますか?」
布に施された刺繍。縁が黄色で塗られた盾の紋章だ。
「こういう紋章は、大抵貴族の連中とかが付けてるんだよな」
「ああ、どっかで見た覚えがあるんだが……」
うーんと唸る兵士達を静かに待ち、そして一人が手を叩いた。
「セドゥロム家の紋章だ! 前に同じ部隊に配属されて肩に刺繍されていたコレを見たんだ、間違いない!」
容疑者発見。
驚くほどあっさり分かった。
「……」
ちぐはぐとした強い違和感。
胸のざわめきはまだ止まらない。嫌な感じだ。