誓 約
かつて世界は二大神と呼ばれる二人の女神によって混沌を極めていた。
どちらが優秀で世界の覇権を握るに相応しい存在か。同等の力を持つ二人の女神は、数十、数百、数千年と戦い続けた。
二大神の強大な力の激突は、その余波だけで大地をボロボロに壊していく。決着がつくよりも先に、世界が悲鳴を上げ限界を迎えようとしていた。
いずれ支配する世界が無くなってしまっては本末転倒。だが、二大神は互いの存在を決して許容出来ない。互いに強い決着を望んでいた。
故に、女神・ティロフィーナは人間という種族を創造した。
故に、女神・ラグナファルは魔族という種族を創造した。
そして行われる、新たな戦い。
二大神が生み出した創造物による代理戦争。
人間と魔族の果てなき殺し合いだった。
それこそが、終わりの始まり。
人間側が女神・ティロフィーナを『殺し』、世界を『滅亡』に導いた最大の要因である。
何故、人間が自身の創造主である女神・ティロフィーナを裏切ったのか。
肝心の戦争に関して公開されている情報は驚くほど少ない。戦争が激化していき何もかもが最悪な世界だった……、という表面上の話は誰でも知っている。伝えられている。
だが、戦火の中で具体的に何が起き、何がどう最悪だったのか知る者は当事者を除いて存在しない。
当事者――滅びた世界を生き抜き、生き残った人間を『旧世界人』と呼ぶ。
戦いの果てに身に着けた『旧世界人』の持つ圧倒的な力に人々は恐れ慄き、いつしか『旧世界人』は恐怖の象徴として忌避される存在となっていた。
◇
リィゼ・シムオネットはランプを片手に階段を下りていく。
「まさか庭に隠し階段があったとは思いませんでした。旧世界の遺跡でしょうか?」
リィゼの後ろを歩くメイド服を着た少女――ソフィアの言葉に頷いて返す。
「入口は見たこともない魔法式によって隠されてたし間違いないと思うわ」
「どんなお宝が眠っているんでしょう。なんかドキドキしてきますね」
「お宝があるって決まったわけではないけれど、そうね。旧世界のことが何か分かるかもしれない」
二人は高揚した気分とは反対に、足元を照らしながら慎重に階段を下りていく。長すぎず、けれど短くもない階段を下りた先には小さな部屋があった。
物一つない空っぽの部屋。何もないのが逆に怪しく、リィゼとソフィアは壁や床に目をこらす。
「リィゼ様、何かスイッチのようなものがあります」
一部だけ僅かに色の違う壁にソフィアは恐る恐ると手をかける。ぐっとスイッチを押し込むとゴゴゴと壁が擦れ音を鳴らして隠された扉が姿を現した。
「下手な仕掛けで進めなくなるよりマシだけど、随分と古典的ね。この先が本命かしら」
「よ、用心しましょう」
ほんの少し前、朝早くの時間に大きな地震が起きた。
リィゼの屋敷に置かれた様々な物が落ち、倒れ、壊れる。装飾のよい壺が割れ、高そうな絵画が傷つく程度なら問題なかった。周囲に見栄を張るためだけに父が無駄に買った物だ。思い入れもない。最悪なのは食器棚が倒れてしまったことだ。そのせいでほぼ全ての食器が粉々に砕け散り、リィゼのお気に入りだった食器もダメになった。
朝からいきなり機嫌を損ね、リィゼは屋敷で働く侍女達に片付けを命じる。自分はふて寝でもしようかと考えた時だ。
ソフィアから、庭に穴が開きそこから見たこともない扉が出てきたと報告を受けたのだ。
――大きなカプセルがあった。
鉄に似て非なる素材で造られたカプセルの中に、淡い翡翠色の液体が満杯に入っている。そしてその中で、一人の少年が眠っていた。
「――――」
ごくりと喉が鳴る音が小さく響いた。
目の前の光景にソフィアは目をこすり、リィゼは愕然と立ち尽くす。
「リ、リィゼ様」
「ぇ、ええ……」
リィゼは小さく深呼吸を挟み、ゆっくりとカプセルに近づき中を覗く。
色の抜け落ちた真っ白な髪。端正で、どちらかといえば女性的な顔立ち。服は何も着ておらず、線の細い体には、所々に薄っすらと傷跡が残っている。背は平均よりやや低く、外見からリィゼとソフィアの二人とそう年は変わらない。
「わたし、男の人のアレを初めて見ました……」
「……そう、良かったわね」
そこを先にツッコむのかとリィゼは別の意味で驚く。
「良くないですよぉ! 初めてはもっとこう、王子様とって決めてたのにっ!」
テンパっているのか、顔を赤くしたまま自分の願望を暴露するソフィア。
「ロマンチックね……」
ふぅっと肩の力を抜き、リィゼはカプセルの周りを調べる。
カプセルの横にある台座。そこに手が触れるとピコピコと乾いた機械音が鳴り響いた。カプセルの中が淡く光り、翡翠色の液体は徐々に減っていく。
「リ、リィゼ様っ!?」
「っ!?」
そして蒸気を噴出させながら、カプセルがゆっくりと開いた。
◆ ◆ ◆
全身がバラバラに引き裂かれるような絶望を知っている。
全身が黒く塗り潰され、何もかもがどうでもよくなるような怒りと憎悪を知っている。
何を犠牲にしてでも、晴らすべき恨みがある。
この身が壊れようとも、償い続ける罪がある。
忘れても、絶対に思い出す。
何があろうと、何を歪めようと、何が敵に回っても必ず果たす。
僕が僕である限り、あの日の約束を叶えて見せる。
◆ ◆ ◆
「ん……」
凄く凄くだるい。意識もぼんやりする。
どうやらとても長い時間、自分は眠っていたようだ。
「起きないとまずいか…」
まぶたをこすりながら体を起こす。
何でか服を着ていない。寝ぼけて全部脱いでしまったか? 寝ている間に服を脱ぐなんて初めて、初体験だ。すーすーして妙な解放感がある。
「……寒い」
でも服は着よう。
えと、僕の服はどこだ?
「…………」
「…………」
「………………」
少女がいた。
金よりも美しい、黄金色に輝く長い髪。気の強さを伺える青色のツリ目は磨かれた宝石のように綺麗だ。使いまわされた陳腐な表現だが、精巧な人形のように完璧に整った顔立ち。出るところは出て引っ込むところが引っ込んだ、女性として恵まれた体型。十人中十人が声を揃えて言う、文句のつけようがない美少女。
そんな美少女が着ているワンピースのドレスが似合わないはずがない。気品にあふれたその姿はとても美しく見惚れてしまうほどだ。
メイドがいた。
隣の少女よりも背は低くスレンダーな体型。白と黒を基調としたシンプルなメイド服を着用する、栗色の髪を持つ少女は「はわわわわっ」と両手の平で顔を覆っている。けれども、指の隙間からちらちら見える翠色の瞳と何度も目が合った。
二人の少女と向かい合う僕は「なるほどな」と、今の状況を理解した。
ふぅ……――。
「ぎゃああああーーっ!! エッチぃぃーーー!!!」
「ご、ごめんなさーい!!」
「なんか納得いかないわね……」
これが僕達の邂逅だった。