①
純白のポインセチアにクリスマスローズ、スノードロップにアマリリス。
前日から家族全員で準備した装花を会場に運び込み、式場と教会へのセッティングが終わった。
達成感を味わう余裕もなく親族控室に駆け込み、作業着から慣れないスーツに着替える。
この日のために新調したネクタイは、どうも締め心地が良くない。結び目に指をかけて緩めて、ついでにシャツの一番上のボタンも開けた。式まであと四十分。それまでに服装を正せばいい。
スタッフに黒い留袖を着付けてもらう母は、まるで極道の妻のようだ。隣に立つ父は、燕尾服を着て正装しているにもかかわらず、下っ端の舎弟だった。ちなみにすでに号泣している。
今からその状態で、姉とバージンロードを歩く大役を務められるのだろうか。そんな不安を抱きながら、一足先に花嫁控室に向かう。
ドアを開けると、光射す窓辺に佇む、白いドレスの後姿。
上半身は体に張り付くようなタイトなデザインなのに、膝から下はゴージャスに広がって、長い裾がボルドーの絨毯で波打っている。
冬の朝の光を浴びて振り向いた姉に、不覚にも、一瞬見惚れてしまった。
生まれた時から一緒にいた姉を、今日初めて綺麗な女だと思った。
「これ、母さんから」
そう言って、桐の平べったい箱を手渡す。
十年前に死んだ祖母が大切にしていた真珠のネックレス。
花嫁を幸せにするための四つのジンクスのうちのひとつ、サムシング・オールド。
姉はレースのグローブをはめた手で、留め金を外そうとしている。
苦戦している様子を見て、ネックレスを取り上げて背中側にまわった。
ブライダル・エステの甲斐あって、綺麗に手入れされたうなじと背中。
古びた銀の金具を留めながら、今更のように実感する。
「……今日から、『橘』じゃなくなるんだな」
予想外に哀愁をおびた声が出てしまった。
今日から姉は家を出て、仁さんと二人で生きて行く。
いつも迷惑なくらい態度も声もデカい姉の姿が、あの狭い家から消える。
……きっと、俺も父さんも母さんも、すぐには慣れないだろう。
「おでんの卵の数、間違えないように気を付けないとな」
「なんなら六個作って、マンションまで持ってきてくれてもいいけど?」
無茶言うなよ。
プロの手で綺麗にメイクされた顔で、いつものように歯を見せて笑う。鼻の奥がじんと疼いた。
俺も父のことを馬鹿に出来ない。
「姉ちゃん、結婚おめでとう。幸せになれよ」
感極まって呟く俺の頭を、繊細なレースのグローブをはめた手が、いつものように乱暴に叩く。
「バカ、スピーチにはまだ早いわよ」
「本当に俺で良かった?」
姉は目を逸らすと、さっきと同じように窓の外を見つめた。
サブローは、姉に振られたあの夜から、一度も我が家に足を踏み入れていない。
大学で顔を合わせることもあまり無く、どうしても出なくてはいけない講義以外はサボって引きこっていた。
前期試験が終わって冬休みに入るやいなや、バイクに乗ってあてもない旅に出たようだ。
ときどきLINEで、どこかわからない海の写真や、サービスエリアのマニアックな味のソフトクリームの写真なんかが送られてくる。
日を追うごとに風景が寒々しくなっていくのは、北に向かっているからかもしれない。いわゆる傷心旅行だ。
式の日取りと時間だけは伝えておいたが、今のところ返事はない。
「……颯太、知ってたの?」
「見てればわかるよ」
ついでに言うと、姉がどんな気持ちで、こっぴどい台詞でサブローの片想いに引導を下したのかも。
「でもあいつ、最初からこうなるってわかってたと思うよ」
俺の言葉に、姉は長い睫毛を伏せて、うかない顔をする。
本当にこのままでいいのだろうか。今日という晴れの日に、こんな顔をしてほしくない。
ただの我が儘だとわかっていても、子供の頃からずっと三人でいた俺達だからこそ、姉の門出を一緒に祝いたかった。
商店街の皆様、姉の高校時代の友人、何度か顔を合わせたことがある仁さんの優しそうなご両親。こんなに大勢の人が姉を祝福するために集まってくれている。
でもそれでも、だからこそ――俺も姉も、猫背で寝癖だらけのあいつの背中を思わずにはいられなかった。
式は終始 厳かに、滞りなく進んだ。
姉が父さんと腕を組んでバージンロードを歩いてきたときは、目頭が熱くなった。
祭壇の前で待つ白いタキシードを着た仁さんは、最後に会ったときよりも痩せていた。
ロンドン支社での仕事の引き継ぎが延びに延び、結局今日の帰国となったわけだが、きっと随分無理したんだろう。
仁さんを見て花がほころぶように微笑む姉の顔を見た瞬間、俺は二人の幸せを確信した。
ウエディングベルが鳴り響く。花びらのシャワーを浴びながら階段を降りる二人に、祝福の声が降りそそぐ。
澄み切った十二月の青空の下、俺の姉は、愛する男の妻になった。