表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
運命の恋人と恋に落ちないための俺と彼女の実証実験。  作者: 古矢永 塔子
朗報です。完全に断ち切れたかに見えた『運命の赤い糸』ですが、現在かろうじて繋がっていることが確認されました。今後の展開をお見逃しなく。
48/58

「そんな顔しないで。まゆらはね、ただ怯えているだけの子じゃないの。

いつも運命に抗ってる。あらかじめ用意された未来をなぞるだけじゃなくて、自分で新しい未来を創ろうとしているの。

まゆらから聞いてない? 昔私がいた劇団のこと」


「前に、少しだけ教えてもらいました。子供の頃からずっと憧れていて、いつか自分も舞台に立ちたいと思ってたって……」


でもまゆらの夢は叶わなかった。

四度の受験に失敗し、年齢制限からはみ出てしまったまゆらは、二度とチャレンジすることもできない。


『私には、もう努力することもできない』


夜の公園の前で、涙で声を詰まらせながら、まゆらは話してくれた。

影踏みをするようにじゃれ合いながら歩いた日から、まだ一カ月しか過ぎていないのに、もうずっと昔のことのように思えてくる。


「颯太君、不思議に思わなかった?

未来が見えるのに、どうしてまゆらは四度も受験したんだろうって。

どうして自分が不合格になることがわからなかったんだろうって」


「まゆらさんは、自分には全てが見通せるわけじゃない、って――」


すみれさんは紅茶を飲み干すと、そっとカップをソーサーに戻した。

その表情からはほほえみが消えていた。


真っ直ぐに俺を射抜く鋭い瞳は、まゆらによく似ていた。


「あの子は知っていたの。ちゃんと全部見えていたの。

どんなに努力しても、自分があの学校に合格できない未来が。

それでもあきらめなかったの。

まゆらは、そういう子なのよ」


膝の上に置いた拳の震えを止めたくて、痛いほど強く握り込んだ。


暖房のきいたあたたかい部屋で厚手のセーターを着ているのに、鳥肌が立った。


「バレエのレッスンも、声楽のレッスンも、親の贔屓目ひいきめではなくて、誰よりも熱心だったわ。

爪先が血豆だらけになっても、爪が剥がれても、喉を痛めて水を飲むことすら辛そうでも、一度も弱音を吐いたりしなかった。

いつも口癖みたいに、『大きくなったらあの学校に行くの。絶対に、ママが立ったあの舞台で踊るの』って呟いてたわ」


中学三年の春、初めての受験で、まゆらは一次試験で不合格だった。

自分の番号が無いことに気が付いても、まゆらは顔色ひとつ変えなかったらしい。

ショックを受けた様子もなく、当然のことのように受け止めていた、とすみれさんは言う。


落ち込むこともなく再びレッスンに励むまゆらを見て、すみれさんは思った。

一度目の不合格はまゆらにとっては想定内で、肩慣らしのつもりで受けたんだろう、と。


今回は失敗だったものの、きっとまゆらには、何度目かの試験で合格する未来が見えている。そうでなければ、叶わないとわかっている夢のために、こんなに努力できるはずがない。


一年後、まゆらは再び不合格だった。それでも前年と同様に、ただストイックに自分を磨くことだけに取り組んでいた。


「でもね。三回目の受験の一次試験の発表で、あの子、泣いたの」


「それは、三回目の試験でも不合格だったから……?」


すみれさんは静かに首を横に振った。


「受かってたのよ。まゆらは、一次試験に合格したの。受かっていたことが信じられなくて泣いたの。

どんな厳しいレッスンにもを上げなかったあの子が、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら言ったの。

『ママ、わたし頑張る。今までよりも、もっとずっと頑張る。絶対にあきらめない』って――

そのときわかったのよ。ああ、この子には、自分が何度受験しても失敗する未来が見えてるんだって。

はじめから何もかもわかっていて、それでも未来に打ち勝つために、運命を変えるために、必死に頑張っているんだって」


すみれさんの声が、真っ白になった俺の頭に反響する。

その声に呼び覚まされるように、今までまゆらが俺に見せたいくつもの表情が、めまぐるしく浮かんだ。


黒板を見つめる真剣な顔、いい加減な俺をとがめるときの険しい顔。

届かない月を見上げる濡れた瞳。

声を殺した嗚咽。


気を落ち着かせるために、ティーカップを取ろうと手を伸ばした。でも指が震えて、華奢な取っ手をつまむことができなかった。

代わりに、生成り色のテーブルクロスに水滴が落ちる。

みっともないことはわかっていた。

それでも、自分の意志に反して滑り落ちる涙を、抑えることができなかった。



「そのあとの二次試験では不合格。

四回目の受験では、一次審査すら通らなかった。未来がくつがえったのは、あのときの一回だけ。

でもね、あの瞬間、たった一度だけだけど……まゆらは、自分が予知した未来に打ち勝ったの。

運命を変えたのよ」


すみれさんが、綺麗に畳まれたハンドタオルを渡してくれた。

好意に甘えて目許を覆いながら、声が漏れてしまわないように、奥歯を噛み締めた。


「ねえ、颯太君。絶対に失敗するってわかっていて、その事に全力をそそぐことができる?」


俯いたまま何度も首を横に振る俺を見て、すみれさんがほほえんだのが、顔を上げなくてもわかった。


「私も同じ。誰にでもできることじゃないわ。

だから私はね、自分の娘にこんなことを言うのはおかしいかもしれないけど、あの子のことを心から、誰よりも尊敬してるの。ただ、いつも頑張り過ぎるから、そこだけは母親としてすごく心配なんだけど」


すみれさんの言葉を聞きながら、俺よりもひとまわりも小さいまゆらの背中を思った。

自分が恥ずかしかった。

子供の頃からずっと、運命の相手を待ち続けていた。

なかなか現れない彼女に苛立って、ふてくされて、半分あきらめながらいろんな女の子と付き合った。

いつ訪れるかもわからない『運命の出会い』を待ち続けるしかない自分の人生を、最後の数ページを切り取られた推理小説に例えて嘆いたことだってある。


でもまゆらの人生は、そんなものじゃない。

犯人もトリックも犯行動機も、次のページに何が書いてあるかさえもがわかっている推理小説。


だけどあの子は、うんざりしながらただページをめくり続けていた俺とは違う。

与えられた物語を惰性で読むことは選ばずに、自分だけの新しい物語を創ろうとしている。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ