④
俺は生き方を変えられない。
今更宇宙飛行士にはなれないし、オリンピックだって目指さない。俺は俺の両親と同じように、半径五十センチ以内にいる人を幸せにする自分でありたい。
安定した収入が得られて、ブラック企業ではなく、家族と過ごす時間を優先できる職場。
欲を言えば、そんな中で関わった誰かを、ほんの少しでも幸せにできたらいい。
実家の花屋は、もともと母の代で閉める予定だし、結婚相手は店を継いでくれる人がいいなんて思ったこともない。
でも『花屋にならない』女の子とは結婚できても、『花屋になんかなりたくない』女の子とは結婚できない。
「頑固なのね、ふたりとも」
黙りこむ俺を見て、すみれさんは溜め息まじりに笑う。
「まゆらに聞いたのね、あなた達の未来のこと」
「はい。でも、映画のあらすじを聞かされているみたいで、全然現実感が湧かなくて……」
「最後まで聞けた?」
そう聞きながら、すみれさんは、すでに俺の答えを知っているような顔をしていた。
「私は聞けなかったわ。まゆらが小学生の頃、ほんの好奇心で『ママの未来を教えて』って言ってしまったことがあるの。
まゆらは表情も変えずに、小説の朗読でもするみたいに話し始めたわ。
私が何歳の時にバレエ教室を始めて、何年後に教え子が外国のコンクールで入賞するとか、
パパが何歳の時に会社を辞めて独立を決意して、何年後にマイホームを建てるか、とか。
でもね、話がどんどん未来に進んでいくにつれて、怖くてたまらなくなった。
気が付いたら、あの子の口を塞いでいたわ。
颯太君もそうだったんじゃない?」
ジーンズの太腿に置いた手に、汗がにじんでくる。
あの夜、病院のロビーで、まゆらは俺に聞いた。
『──最後まで聞きたい?』と。
臆病な俺は、頷くことができなかった。
誰でも一度は夢見たことがあるはずだ。
タイムマシーンに乗って、未来の自分に会いに行く。でもそれは、絶対に叶うはずがないと知っているからこそ願える夢だ。
もし実際に自分の未来を知ることができたら――死ぬまでの人生を記されたノートを差し出されたら、何割の人間が受け取るだろう。
俺には無理だ。きっと、恐怖で直視することすらできない。
すみれさんはティーカップを持ち上げると、まゆらに良く似たかたちの唇を寄せ、紅茶を一口飲んだ。
「怖いわよね、自分の未来を知るのは。
明日の自分に何が起きるのか、何歳の時に病気になって、何歳の時に死んでしまうのか。私は知りたくないわ。聞いてしまった瞬間に、自分の人生が余生になる気がするの。
だから聞かない。あの子の口を塞いだり、自分の耳を塞いだら、その恐怖から逃れることができるから。
でもね、颯太君。
あの子は――まゆらは、逃げることはできないの。
どんなに怖くて、知りたくないと思っても、知らずにはいられないの。
あの子は生まれた時から、たった独りでその恐怖と戦っているの」
いきなり頬を殴られたような衝撃だった。
そんな自分に驚いた。
俺は知っていたはずだ。彼女に未来を見通す力があることを。
それでも俺は、その力が彼女にもたらす恐怖について、今まで一度も考えたことがなかった。
出会ってから二か月間、隣にいるまゆらをずっと見つめていた。
別れてからの一カ月は、忘れようと思いながらいつもまゆらのことばかりを考えていた。
それなのに、俺はまゆらのことが全然見えていなかった。