表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
運命の恋人と恋に落ちないための俺と彼女の実証実験。  作者: 古矢永 塔子
決意表明です。今から俺の『運命の恋人』をつかまえに行きます。ご声援、お力添えのほど、お願い致します。
43/58



混乱する俺の心を読んだように、まゆらは硬い声で呟いた。


『颯太と結婚して、あなたの子供を産んで、毎日あなたの帰りを待ちながら、お母さんのお店を手伝って。

お花屋さんの仕事と子育てに追われながら、いつのまにか年を取って、また二人だけに戻って、いたわり合いながら暮らしていく――

そういう生活を《幸せ》と呼ぶんだって、私にもわかってるわ』


『じゃあどうして……』


『満足できないの。

颯太がくれる《幸せ》じゃ、私は満足できないの』


まゆららしい、何の誤魔化しもない、ストレートな言葉だった。

だけどそれは、今まで投げつけられたどんな言葉よりも、俺の何かを粉々にした。


未来の俺が彼女に捧げた精一杯の幸福は、リボンをほどかれ、蓋を開けて中身を確かめられて、これじゃだめだと突き返された。

男として、完全に否定されたのと同じだった。


まゆらの白い頬を、涙が一粒滑り落ちた。

こんなにプライドを叩き潰されたのに、それでもまだ、彼女の泣き顔を見ると胸が痛んだ。


本当にどうかしている。

本物の馬鹿は、まゆらじゃなくて俺の方だ。



『颯太といると、一緒にいるだけで心地が良くて、他に何もいらないなくなる。

このままでいい、このままの未来でいいって思えてくるの。

颯太といると、私は成長できない。頑張れなくなる。そんな自分が、私は嫌いなの』


『それはつまり……《町のお花屋さん》じゃ満足できない、っていうことなんだよね』


我ながら皮肉な言い方だ。

まゆらが答えを探すように黙っているあいだ、テレビで見かけたサブローの母親の顔や、まゆらが憧れ続けた煌びやかなステージに立つスターの姿が頭に浮かんだ。


まゆらが求めているのは、きっとそういう未来なんだろう。


『――そうね。凄く嫌な言い方だけど、そうかもしれない。

自分の中にそういう気持ちがあることを、否定できないわ。……ごめんなさい』


謝る必要なんかない。

同情されるいわれもない。

ただ俺達が求める幸せが、あまりにもかけ離れていた。それだけのことだ。


俺が間違っているわけでも、彼女が間違っているわけでもない。

でも俺は、絶対にそっちの道は選ばない。


あの殺風景な豪邸の、刑務所のように何もない寝室で見たサブローの寝顔。たとえ日本中の何百人、何万人に尊敬されようと、どんな功績を残そうとも、家族にあんな顔をさせる人間には、俺は絶対になりたくない。


その後は、受付で会計を済ませ、二人でタクシーに乗り込んだ。


慣れない松葉杖でふらつく俺を支えようと、何度か彼女が手を伸ばしかけるのが、視界の端に映った。

ためらいがちに伸ばされた手は、結局一度も俺の体に触れることなく、引込められた。


薄暗いタクシーの中で、きっと二人とも同じことを考えていた。


俺達はもう一緒にはいられない。

同じ人生を歩むには考え方が違い過ぎる。

俺が大切に思うものは彼女にとってがらくただし、彼女が大切に思うものは、俺にとってもがらくただった。


夫婦にも恋人にもなれない。だけど友達に戻るには、お互い好きになり過ぎた。


俺達の実験は完全に失敗した。そして、もう二度と再開されることはない。







いつのまにか眠っていたらしい。

右足の甲から徐々に這い上がる鈍痛で目が覚めた。

病院で飲んだ痛み止めが切れかけている。真っ暗なキッチンに向かい、手さぐりで電気を点ける。


水切り籠に伏せてあったグラスに水道水を入れ、苦みのある粉薬を流し込んだ。


部屋に戻ろうとしたとき、ダイニングテーブルの上に何かが置かれているのに気付いた。

近付いてみると、ラップがかかった丼。

俺が好きなつみれと白滝、はんぺんの他に、ゆで卵が四つ。


我が家には二日目のおでんはない。なぜなら母が飽きっぽいからだ。いくら味が染みたところで同じメニューは飽きる、と文句を言う。

だから卵は、一日分の四つしか茹でない。そして、家族全員が一番好きなおでんダネは卵。


深夜のリビングで冷たいおでんを食べながら、不覚にも泣かされた。


丼を流しで洗い、キッチンの細長い窓ガラス越しに夜空を見上げた。


隕石が落ちてきたわけでも、権力に引き裂かれたわけでも、歴史に翻弄されたわけでもなく、俺の『運命の恋』は呆気なく終わりを告げた。


明日からは学校で眼鏡をかけない。

人混みで彼女を探さない。


切れ味の良い、スタッカートのリズムのヒールの音が聞こえても、振り返ったりしない。


そう自分に言い聞かせながら、その夜だけは、気が済むまで女々しく思い出に浸った。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ