④
∞ ∞ ∞ ∞
右足甲の骨折、全治一カ月。
白い靴型のギプスで固定してもらい、慣れない松葉杖を使って診察室を出る。
まゆらは、受付の前のソファに座って待ってくれていた。
「手術は?」
「大丈夫。三週間はギプスで、あとは通院だって」
青ざめていたまゆらの顔に、少しずつ血の気が戻る。
「ごめん。午後の授業、サボらせちゃったね」
「……謝ってばっかりね」
口数が少ないまゆらの後について、エレベーターに乗り込む。
一階の待合ロビーは混んでいた。財布から出した保険証と、看護師に渡されたファイルを会計窓口に持って行く。
その間ずっと、まゆらは俺に付き添ってくれていた。
名前を呼ばれるまでは、まだ当分時間がかかりそうだった。
松葉杖につかまり、ギプスの足が床に付かないように気をつけながら、無器用に椅子に座った。
「どうしてこんな無茶するの」
「……ごめん」
まゆらは俺の隣に座ると、体の緊張をほどくように、ゆっくりと長い溜息をついた。
大学病院の広い待合ロビーで、見知らぬ人たちの話し声やテレビの音に耳を傾けながら、俺達は長いあいだ無言で座っていた。
まゆらが何を考えていたのかはわからない。俺はただ、切り出すことを躊躇していた。
俺には、どうしても聞かなくてはいけないことがある。
でもそれを聞いてしまったら、俺達の関係が決定的に変わる予感がしていた。
朝家を出た時からあたためていたはずの言葉は、いつのまにか冷え切って、喉の奥で頑固に固まっていた。
俺の様子がおかしいことに気付いたのか、まゆらは心配そうに俺の顔を覗き込む。
「大丈夫? まだ痛むの?」
「いや、痛み止めが効いてるから平気。そうじゃなくて――」
散々格好悪く迷った挙句、ようやく俺は切り出した。
「まゆら、ごめん」
「さっきのことなら、もう……」
「そうじゃない。そのことじゃないんだ」
俯いた視界に、真新しいギプスの白さが眩しい。
怖かった。二階から飛び降りた時より、何倍も。
それでもかろうじて顔を上げた。
「今までずっと、君独りだけに背負わせていて、ごめん。
教えて欲しいんだ。
俺達が恋に落ちたその先に、どんな未来が待ち受けているのか。
君が、何を怖がっているのか。
もう逃げないから、全部聞かせて欲しい」
まゆらは、泣きそうな顔で俺を見つめた。
強張った白い頬から、少しずつ力がぬけて行くのがわかった。
そのときになって、俺はようやく気付いた。
まゆらはずっと、この瞬間が来るのを待っていたんじゃないかって。
俺達はそのまま、しばらく見つめ合っていた。
杖を持っていない方の手を伸ばして、まゆらが膝の上に置いている手に重ねた。
まゆらの肌に直接触れるたびにちらつく、いつもの閃光に意識を乱されながら、それでも強く、小さな手を握り締めた。
それを合図にしたかのように、木苺色の唇が開く。
まゆらの唇からこぼれる言葉のひとつひとつが、金色の糸のように絡み合い、未来の俺達のラブストーリーを紡ぎ出していく。
美しく、幸福で、残酷で、どうしようもないくらい悲しいお伽噺。
俺には、そんなふうに聞こえた。
まゆらが口を閉じてからも、しばらくは、立ち上がることもできなかった。