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運命の恋人と恋に落ちないための俺と彼女の実証実験。  作者: 古矢永 塔子
緊急速報です。 実験の失敗により大規模な恋のハリケーンが巻き起こる恐れがあります。頬の火照りや、突発的な胸の痛みにご注意ください。
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まゆらの家には、すでに灯りがついていた。


「父が帰ってるみたい」


シャッターが閉まっているガレージに目をやりながら、まゆらはいつものように門に手をかける。

まだ離れがたい気持ちはあったけど、まゆらが暗い家に独りで帰ることにならずに済んで、ほっとしていた。


「颯太のパーカー、洗って返すわ。……少し濡れちゃったし」


涙を吸って湿っているはずの袖口を隠すように引っ張りながら、まゆらは恥ずかしそうに呟く。


「無理。今、返して。寒くて凍死しそう」


「肌寒いけど、そこまでじゃないでしょう」


「風邪をひいたらまゆらのせいだよ」


「……明日、元気で講義に遅刻してくるあなたの未来が視えているから、大丈夫よ」


「未来は繊細で、ほんの少しバランスを崩しただけで変わってしまう、って、まゆらが言ったんだよね」


引き下がらない俺を、まゆらは赤い顔で睨む。渋々パーカーを脱ぐと、目を伏せながら俺に返した。


ぬくもりが残るパーカーに袖を通す。いつもとは違う、バニラの香水の香り。全身が羽根でくすぐられたように、こそばゆい。


唇を引き締めて頬の緩みを抑えた。こんなときに限って、まゆらがじっと俺を見つめていたからだ。


いつもはすぐに門を閉めるまゆらが、今日はなぜか、柵を握り締めたまま、その場にとどまっていた。


「まゆらの方こそ、風邪ひくよ」


笑いながらそう言っても、まゆらは潤んだ瞳を俺に向けたまま、動こうとしない。

長い沈黙のあと、まゆらは小さな声で呟いた。


「ずっと、言わなきゃって思ってたんだけど……

ほんとは、知ってたの。誕生日のあの時間、お店の前で待っていたら颯太に会えるって」


「そうなの?」


知らないふりをしていてごめんなさい、とまゆらは律儀に頭を下げる。

よく考えれば、当たり前のことだ。気に病む必要なんかないのに、申し訳なさそうに小さくなっているまゆらが可愛かった。


じゃあ何で隠れたの、と笑うと、「待ち伏せしてるみたいで恥ずかしかったから……」頬を染めて呟く。


「颯太がお祝いしてくれることも、あのお店でメンチカツサンドを買うことも、それがすごく美味しいことも、本当は全部知ってた。でも、実際に食べてみるまで、あんなに美味しいなんて知らなかった」


あの夜、ジャングルジムのてっぺんで、サンドイッチを一口齧ったまゆらは、本当に驚いたように目を丸くしていた。

確かに、あれが演技だなんて思えない。


「じゃあ、ブーゲンビリアのコサージュのことも、最初から知ってた?」


「それは知らなかったわ。颯太があんなことするなんて、思わなかった」


「俺も思わなかったよ。《運命》も予想外だったんじゃないかな」


今更自分の気障きざな行動が恥ずかしくなって、むず痒くなった顎を掻いた。


「ありがとう。大切にする。ずっと……」


大げさだよ、と笑っても、まゆらは濡れたような瞳で俺を見上げるだけだった。


さっきと同じように、まゆらの唇が小さく動いた。白い息が切れ切れに洩れて、暗闇に溶けた。

今度は、本当に聞こえなかった。


目で問いかける俺に、まゆらは「『おやすみ』、って言ったの」と笑った。白い歯が見えた。


薔薇のアーチの向こうに消えていく背中を、いつものように見送った。

何度も立ち止まって振り返るまゆらに苦笑しながら、門を乗り越えて追いかけたい衝動と戦う。

俺達の実験はもう、完全に失敗している。

それは覆しようのない事実だった。


まゆらのぬくもりと残り香に包まれながら、アップテンポの鼓動をなだめるように、ゆっくり歩いて帰った。


なんてことのない満月が、生まれて初めて目にする天体のように尊く、神秘的に見えた。

手を伸ばせば掴めそうなのに、でも絶対に届かない。それはまゆらが憧れて、本気で目指して、でもついには届かなかったステージのようで、今更のように鼻の奥が熱くなって、胸が痛かった。



この夜、俺は大事なことを見落とした。

『実験に失敗した』。その事実が、俺達の明日にどんな影響をもたらすのか。


まゆらが別れ際に囁いた四文字が、本当は『おやすみ』ではなく、他の言葉だっということにも、気が付かなかった。

まゆらの三度目の『さよなら』は、俺の耳には届かなかった。


そしてこの夜を境に、今まで俺とまゆらの恋をアシストし続けていた運命は、唐突に俺に反旗をひるがえした。








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