④
少しずつまゆらの泣き声が収まりかけた頃、シリアスな場面には程遠い、可愛らしい音が響いた。
まゆらの顔が、暗闇にわかるほど真っ赤になる。
「まゆら、ご飯、食べてないの?」
「もういや……消えちゃいたい」
ますます小さくなるまゆらが可愛くて、つい噴き出してしまった。
笑いが止まらない俺の足を、パンプスのヒールが踏みつけようとする。
街灯に照らされたほの暗い坂道を、子供が影踏み遊びをするようにじゃれながら歩いた。お互いの息を乱れる頃には、まゆらの涙は乾いていた。
時間が止まればいいのに。
公園の時計塔に目をやりながら、そんなことを思った。
まゆらの家のお城のような屋根が、追いかけても届かない月のように、永遠に近づかなければいいのに。
そんなことを思いながら、いつもよりも歩幅を狭めて歩いた。
「もう実が真っ赤ね」
そう呟くまゆらの視線の先には、公園を囲むように植えられたナナカマドの樹があった。
初夏には真っ白な花を、秋には燃えるような色の小さな実をつけるナナカマド。
七回釜戸に入れても燃えないんだって、と花屋の息子ならではの知識を披露すると、まゆらは感心したように俺を見た。
「名前の由来なんて、考えたこともなかった。花言葉なら知ってるんだけど。ナナカマドは確か――」
「『私はあなたを見守る』」
得意になって口を挟んだ瞬間、俺は自分のミスに気付いた。
まんまと嵌められた。だが、時すでに遅し。
まゆらがフードを脱いで、俺を睨んでいた。
「花言葉、詳しくないって言ってたくせに。ほんとは知ってるんでしょ? ブーゲンビリアの花言葉。
お店に使い込んだ花言葉辞典が置いてあったから、おかしいなって思ったの」
まゆらは早口で言ってから、いつものように目を逸らした。
早歩きになる小さな背中を、俺も歩調を速めて追いかける。
ブーゲンビリアの花言葉。
『あなたが一番綺麗』
『あなたしか見えない』
「……颯太の嘘つき」
「お互い様。まゆらも『もう家に着いた』って嘘ついたから」
不機嫌そうな顔で、まゆらは木苺色の唇をかすかに動かす。
「え、何? ごめん、聞き取れなかった」
「……颯太の馬鹿! って言ったの!」
嘘だよ。本当はちゃんと、『ありがとう』って聞こえてた。
後ろを振り返ると、店の灯りが消えた小手毬商店街。
まゆらが憧れるステージがどれほどの大きさなのか、俺は知らない。だけどきっと、あのちっぽけな商店街の方がずっと広いはずだ。
俺なら、あの場所で君をヒロインにできる。
ハリウッドの永遠の妖精も、女優から公妃になったクール・ビューティーも色褪せるくらいの最高のヒロインに。
立ち止まる俺を、まゆらが不思議そうに見上げる。「何でもない」と笑って誤魔化して、頂上まで並んで歩いた。