③
テーブル上のエスプレッソは、手をつける前に冷め切っていた。
いつもと同じ、薄っぺらい苦み。
キャンパスの近くにあるカフェは、フレンチ・カントリー風の内装も、J-POPをボサノバ調にアレンジした音楽も、全てが早苗好みだった。
講義の空き時間に、デートの待ち合わせに、何度もこの店に通った。
でも正直言って、コーヒーの味は美味くない。きっともう二度と来ない。
いつも別れる前に言われる。
『優しいけど、それだけ。』
『颯太が好きなのは私じゃない。』
『思ってたより冷たい。』
『もっと大事にしてくれると思ってた。』
その通りだ。いつも後ろめたかった。
目の前にいる女の子と、まだ出会ってもいない《彼女》に対して、常に罪悪感がつきまとった。
見せかけの優しさでいつも本音も隠していた。
コーヒーの味が好みじゃないことすらも言い出せなかった。
だから俺の恋は、いつもこんな結末。
会計を済ませ、早苗の足取りをなぞるようにしてキャンパスに向かう。
空気が乾いているせいか、やけに空が透き通って見えた。
今朝、瑠璃唐草の種をプランターに植えたことを思い出す。
無事に冬を越せば、この空と同じ淡いブルーの花を咲かせるはずだ。
花言葉は『あなたを許す。』
俺は何を許されたいんだろう。
いい加減な気持ちで早苗と付き合ったことを? いや、《彼女》を一途に待ち続けられなかったことを?
多分、両方正解。
いっそのこと《彼女》を忘れてしまいたい。
『運命の恋』なんて都市伝説だ。
胡散臭い占い師や、恋愛アドバイザーが儲けるための戯言だ。
──なのにどうして俺は、それを笑い飛ばせないんだ?
リュックサックに入れたテキストを、やけに重たく感じる。
もうすぐ三限目が始まる頃だ。
今日の俺の講義は四限目から。
それまで図書館で、明日提出する予定のレポートを終わらせるつもりだ。
秋の乾いた空気と銀杏並木。
レトロな赤 煉瓦のキャンパスの正門。
恋人に振られて肩を落として歩く大学生。
それが俺の──いや、俺と《彼女》のラブストーリーの、ファースト・シーン。
このとき、『運命の出会い』は猛スピードで俺に接近していた。
十九年間、俺を焦らし続けた《彼女》が、ようやく姿を現そうとしていたんだ。