表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
運命の恋人と恋に落ちないための俺と彼女の実証実験。  作者: 古矢永 塔子
緊急速報です。 実験の失敗により大規模な恋のハリケーンが巻き起こる恐れがあります。頬の火照りや、突発的な胸の痛みにご注意ください。
27/58

「不思議……。本当にチョコレートの香りがする」


まゆらが顔を寄せているのは、昨日仕入れたばかりのチョコレート・コスモス。


「その赤い方がストロベリー・ショコラで、オレンジっぽいのがキャラメル・ショコラ。最近人気で、よく出てるね」


「なんだか、フローリストじゃなくてショコラティエみたいね」


そう言ってまゆらは笑う。

土曜の朝、開店直後ということもあり、店には俺達しかいない。

不動産会社に勤める父は仕事、母と姉は結婚式の衣装合わせに行っている。

自分が日常を過ごす場所に、今日はまゆらがいる。それだけで、まるで自分の部屋に招き入れたかのように緊張する。

まゆらが店のあちこちに視線をやるたびに、照れくささで背中のあたりがむず痒くなる。

昨日学校で会ったばかりでも、休日の土曜にこんなふうに顔が見られるのは、やっぱり特別に嬉しい。


それに今日のまゆらは、いつもに増して綺麗だった。

薄く化粧をして、木苺みたいな赤い唇は、地の色よりもくすんだローズ色に塗られている。

膝小僧が見える丈の、Aラインの紺色のワンピース。胸元と袖がシースルーの素材になっていて、そこから透ける白い肌に視線が吸い寄せられそうになる。


「結婚式にでも行くの?」


まゆらは首を横に振ると、隣の県にある大きなコンサートホールの名前を口にした。


「昔一緒に受験した子の舞台に、招待されてるの」


その浮かない顔つきで、例の歌劇団の公演なのだということがわかった。そういえば『チケット絶賛発売中』のCMを観た気がする。


「行くの?」


「子供の頃から、ずっと一緒に母のレッスンを受けてきた子なの。だから今までも何度か、母と私の分のチケットを送ってきてくれていたんだけど……なかなか、行く気になれなくて」


当たり前だ。彼女は試験に合格し、まゆらは落ちた。

見ず知らずの彼女の真意など知る由もないが、恩師であるまゆらのお母さんを招待するのはいいとしても、まゆらまで誘うのは無神経だと思う。


「行くのやめたら?」


考えるよりも早く口が動いていた。


「予定変更して、映画にでも行かない? それか、天気がいいから公園でバドミントンとか」


「でも、颯太がいなくなったらお店が困るでしょう」


まゆらは、悪戯をする生徒をたしなめるような顔をする。でも、瞳の奥が少しだけ笑っていた。


「行くわ。行って、ちゃんと打ちのめされて来る。そうしないと、前に進めないから」


くすんだ色の秋の花の中に、一輪だけ咲いた真っ赤な薔薇みたいに、まゆらは凛とした表情で俺を見上げる。


「子供の頃からの夢には手が届かないことを思い知って、新しい他の夢を探さなきゃって思ってた。だから必死に受験勉強に打ち込んで、うちの学校に合格したときは嬉しかったけど……でも、それでもまだ、あきらめきれなかった。

自分には届かない世界を見上げ続けてた。

ちゃんと地面に踵をつけて、今自分がいる場所を確かめないと。そう思えたのは、颯太のおかげ」


「俺はそんなに……」


そんなに凄い奴じゃない。

まゆらは俺を買い被り過ぎている。あの誕生日の夜の俺の言葉が、どんなふうにまゆらの背中を押したのかわからないけど、俺はまゆらに、わざわざ傷つくような場所に足を踏み入れて欲しくない。


「颯太にブーケを作って欲しいの。とびきり綺麗なピンクのグラジオラスで」


南アフリカ原産の秋咲きグラジオラス。ピンクの花言葉は、『たゆまぬ努力』。

かつてのライバルの努力を讃える気高さに、それ以上引き留めることはできなかった。



ずっと見られていると緊張する、と俺が言うと、まゆらは拗ねたような顔をして、店の中を歩き回った。


俺が作業をしているあいだ、振り向いて花の名前を尋ねたり、顔を寄せて香りを楽しんだりしている。

色とりどりのグラジオラスの中から、フラミンゴの羽根のように鮮やかなローズ・チャームという品種を選ぶ。


花の手入れや仕入れ、接客に関しては、子供の頃から母に仕込まれている。でもブーケ作りで最も大切なのは、経験よりもセンスだ。そこに関しては、あまり自信がない。

でも今回ばかりは絶対に失敗したくない。


グラジオラスを引き立てるように、いくつか他の花を合わせてみた。どうもしっくりこない。

しばらく迷って、結局全部やめた。

まゆらのストレートなメッセージが伝わるように、使うのはグラジオラスの花とつぼみだけ。

つぼみの茎を長めに、花の茎を短めにカットして、真っ直ぐに空に向かって伸びる様子をイメージした、縦長のブーケにした。


根元の部分を専用のペーパーで包んで保水処理をし、その部分を隠すように、幅の広い白いリボンでぐるぐる巻きにする。茎の半分の高さまで巻き上げて、最後は大きな蝶々結びにした。


いつのまにかまゆらがすぐそばで、俺の手許を覗き込んでいた。


「すごく素敵……」


「ほんとは根元が切りっぱなしのクラッチブーケにしたかったんだけど、ちがいまいちだから」


「ありがとう。颯太に頼んでよかった」


背の高いグラジオラスを抱いて微笑むまゆらは、まるで小さな女の子のようだった。


正規の料金を支払いたいからビタ一文まけないで欲しい、と意固地なことを言うまゆらから、仕方なくお札を受け取ってレジを開ける。

お釣りを数える間にも、『ちゃんと打ちのめされて来る』という言葉を思い出して、不安で胸がざわついた。


「まゆらがうちの店番をして、俺が花束だけを配達してくるっていうのはどうかな?」


「無茶言わないで」


「バイト代なら出すよ。高くはないけど」


「そんなに心配しないで。このブーケに十分勇気をもらってるから、大丈夫」


頑固で律儀で、意地っ張りで勇敢な俺の運命の恋人――もとい親友は、俺の言うことなんかちっとも聞いてくれない。


「まゆら、まだ時間ある?」


「あと少しなら大丈夫」


電気ポットのお湯とティーバッグで紅茶を淹れ、店の奥から折り畳み式の椅子を出す。

まゆらが紅茶を飲んでいる隙に、バッグヤードに目的の花を持ち込んで、急いで作業を開始した。


「颯太、私、そろそろ行かなきゃ……」


紅茶を飲み終えたまゆらが、遠慮がちに顔をのぞかせる。その視線が俺の手許で固まった。


「そのワンピース、ピンとかつけても平気?」


「それは、かまわないけど……」

赤いブーゲンビリアの小さなコサージュ。ワイヤーとテープを巻いてピンを付けただけの簡単なものだ。


「ちゃんと水揚げしてないから、萎れたらごめん」


まゆらはぎゅっと唇を噛んで、険しい顔でコサージュを見つめている。


これは……外したのか? 確かに、リボンやビーズの飾りもなく、ドレスアップしたまゆらの胸許を飾るのには貧相かもしれない。


「ごめん、迷惑だった?」


「そんなわけない。嬉しいけど、困るの。颯太のそういうところ……すごく困る」


目を伏せて早口で言う彼女の顔が、いつものように赤く色づいていくのを見て、すごくほっとした。


小柄なまゆらに合わせて体をかがめる。特別な気持ちを込めて作ったコサージュを、できれば自分の手で付けたかった。


一歩間違えればドン引きされてしまいそうなほど、気障きざなことをしている自覚はあった。

普段は慎重派の俺にしては珍しい。


今まで恋愛に関しては、いつも傷つかない方ばかり選んでいた。

不意に声が聞きたくなって、電話をしようか迷ったら、しない方を選ぶ。デートの誘いにしても同じだ。

彼女に疑わしい行動があっても、見て見ぬふりで追及しない。別れ話をされたら素直に受け入れる。

草食系といえば聞こえがいいが、単に消極的で待ちの姿勢だっただけだ。


でもまゆらに関しては、頭で考えるよりも先に行動に移していることの方が多い。

あまのじゃくで意地っ張りな運命の恋人に、俺は少しずつ、今まで知らなかった自分を引き出されている。


「まゆら、ここでいい?」


コサージュを胸元に寄せ、すぐ近くにある小さな耳にたずねる。

くすぐったかったのか、華奢な肩が大きく跳ねた。真っ直ぐな髪が揺れて、いつもとは違う、甘いバニラの香りがした。


「耳元で囁かないで!」


「ごめん」


毛を逆立てた猫のように鼻の頭に皺を寄せる顔を、久しぶりに見た。謝りながらも噴き出してしまう俺を、まゆらは真っ赤な顔で睨む。


まゆらは緊張したように体を強張らせたけど、恥ずかしそうに顔を横に向けて、じっとしていた。

手がまゆらの体に触れないように、針がまゆらの肌に触れないように気を付けながら、ピンを留めた。


「颯太、ブーゲンビリアの花言葉、知ってるの?」


「いや? 花屋の息子だけど、そういうのにうといんだよね」


素知らぬ顔で嘘をつきながら、まゆらの左胸の花びらを整えた。

まゆらは、探るような上目遣いでしばらく俺を見ていたけど、やがてあきらめたように、グラジオラスの花束を抱え直した。










評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ