③
「サブローの女殺しが才能なら、塚本の奥さんの才能は世界一美味いメンチカツを揚げることだね。ちなみにうちの親父は、仕事でミスした時の謝り方なら日本一だって自慢してた」
「うちのパパは、ママ好みのミディアム・レアのステーキを焼くことに関しては、誰にも負けない、っていつも言ってるわ」
ジャングルジムのてっぺんで、夜の小手鞠商店街を見下ろしながら、そんな他愛ない話をした。
「見て、宏美ちゃんの才能。手作りなの」
まゆらのトートバッグには、見慣れないチャームがついていた。
カラフルな布をつぎはぎした、片耳だけが長い兎の縫いぐるみ。左右の目には、大きさも色も違うボタン。口はジッパーでできている。
「すごいね。売り物みたいだ」
「でしょう? フリーマーケットに出品するために、試作品をたくさん作ってるの。今日誕生日だって言ったら、『一番の自信作』って言って、プレゼントしてくれて……」
「ちょっと待って」
嬉しそうに声を弾ませるまゆらに、驚愕する。
「聞いてないよ! なっ、なんで教えてくれなかったの!? そしたら俺だってプレゼントとか、せめてブーケくらいは……!」
「だって……どう言えばいいか、わからなかったの。『私、もうすぐ誕生日なの』なんて、祝ってほしいって宣言しているみたいで、図々しいのかな、って……」
ぬいぐるみを触りながら、まゆらはばつが悪そうに答える。本当に不器用な子だ。
「なんで住谷さんには教えて、俺には教えてくれなかったの?」
「宏美ちゃんには、映画館でバースデー割引を使ったときに偶然……。それに颯太には、さっきメンチカツサンドのお金、払ってもらったから」
「でもそれだけじゃ、」
「いいの。ちゃんと誕生日に、颯太の顔が見られたから。それで十分」
無自覚に可愛すぎることを言うまゆらと、自分の不甲斐なさに頭を抱えた。
そんな俺の視界の端に、商店街のまばらな灯りが見える。
咄嗟に思い出したのは、今までサブローにしか披露したことがない、俺のオリジナルの手品。
プレゼントの代わりになるようなものではないが、何もないよりはマシかもしれない。
「まゆら、『運命の恋人』を見つける才能の他にも、俺には特技があるんだ」
いちかばちかで放った言葉に、まゆらは目を見開く。
俺の人差し指の向こうには、さっきメンチカツを買ったばかりの精肉店『つかもと』の灯り。
「一階に点いている電気、今から俺が二階に移動させる」
そんなことできっこない、という顔をするまゆらの斜め後ろには、公園の時計塔。時刻は六時二十九分三十秒。
心の中で、きっかり三十秒をカウントする。
六時三十分ジャスト、一階の店のシャッターが閉まる時間。塚本の奥さんは夕食の準備をするために、閉店作業をする旦那さんより一足早く二階に上がる。奥さんのつっかけサンダルが階段を登り切るまで、二十秒。
そのタイミングに合わせて、スマホの画面を操作するように指をスワイプする。
上から下に移動する灯り。まゆらが息を呑む。
次は向こうの薬局『スプリング・ファーマシー』。店主の春本さんは、シャッターを閉めてからコーヒーを一杯飲んで二階の自宅に上がるのが習慣。
俺が指を向けると同時に、小さな窓にオレンジ色の光が灯る。
そして骨董屋の川久保さんの仕事終わりの習慣は──
指を鳴らした瞬間、日が落ちた暗い空に、艶のあるクラリネットの音が響き渡る。
『川久保骨董店』の屋上から商店街に振り注ぐ、『What a wonderful world』。
「すごい……。魔法みたい!」
「予知能力があるまゆらには、お見通しだったかな」
「そんなわけない。言ったでしょう。私が視えるのは、自分のまわりの狭い範囲に限られるって」
頬をピンクにして、子供のように手放しに喜ぶまゆらに、俺の方が照れ臭くなる。
「すごくなんかないよ。ただ、地元だから知り尽くしてるってだけ。俺もみんなに、何から何まで知られ尽くしてるしね」
曲が終わるまで、俺達は目を閉じて、クラリネットの音色に聞き惚れた。
川久保さんは、若い頃はスイスの音楽学校に留学し、国際的なコンクールで優勝した奏者だった、という噂を聞いたことがある。
さびれた商店街の店閉まいのBGMにはもったいない。まさに宝の持ち腐れ。
でも川久保さんだけじゃない。
老朽化した小学校の校庭で遭遇した、未来のメジャーリーガー。
たった今、公園の前を自転車で通りすぎた女子高生は、テニスバッグを肩に掛けていた。
もしかしたら将来、ウィンブルドンで活躍するスーパースターになるかもしれない。
チワワを連れて歩いているおじさんは大根の桂剥きの達人かもしれないし、電信柱のそばで立ち話に花を咲かせるおばちゃん達の中には、エアギター選手権の世界王者が紛れ込んでいるかもしれない。
DSに熱中しながら歩いている塾帰りの小学生男子の集団は、何年か後には、宇宙人の侵略からこの地球を守る最強のブレイン・チームに成長するかもしれない。
その横を走って行った宅急便のお兄さんは、あの角を曲がった瞬間、アスファルトを蹴って夜空を駆けめぐるかもしれない。
神様がひとりひとりに与えたギフト。どこにどんな才能が埋まっているかなんて、誰にもわからない。
「この世界には、まだ掘り起こされていない才能がたくさん眠っている、って思ったらさ。こんな小さな町でも、豪華客船が沈没している海とか、財宝が眠る秘境に見えない?」
たとえそれが一生掘り起こされない才能だとしても、そう信じるだけで、目の前の世界は無限の可能性を秘めてきらめき出す。
「だから、うちの大学を受験したの? この町が好きで、離れたくないから」
「最初にそう言わなかったけ?」
「『家から通えるから』って言っただけじゃない」
同じ意味だよね? と言う俺に、まゆらは「全然違うわ」と唇を尖らせる。
「颯太には、ちゃんと周りが見えてるのね。今自分が立っている場所を、大切にしてる。あなたの目から見た世界の方が、私が見ている世界よりもずっと広くて、ずっと生き生きしてる。それが悔しいの」
俺の世界なんて、せいぜい商店街一個分くらいのものなのに、まゆらはそんなことを言う。
「私はずっと、夜空の一等星を追いかけるみたいに、いつも上ばかりを見て走ってた。もっと手を伸ばせば、もっと早く走れば、もっと高く跳べば、いつか手が届くって信じてた。足許なんか、全然見えていなかった」
まゆらはジャングルジムから軽やかに飛び降りた。花びらが舞い落ちるように軽やかで、重力を感じさせない動きだった。
そのまま、ブーツの踵を高く上げ、爪先立ちになる。
「バレエを踊るときは、頭のてっぺんを真っ直ぐ真上に引っ張られているところイメージするの。少しでも高く踵を上げて、姿勢は真っ直ぐに」
トウシューズを履いてチュチュを着たまゆらが、しなやかに腕を伸ばして踊る姿が頭に浮かんだ。
「踵を降ろしたら負けだと思ってた。今いる場所から一秒でも早く抜け出したいって、そればかり考えてた。だからずっと……一番星が消えてしまった今も、ずっと暗闇の中で手を伸ばして、光る星を探してた」
暗闇を丸く切り抜いたような月が、まゆらの背中を淡く浮かび上がらせる。
「いろんなものを、見失っていたのかもしれないわね。今自分がどこに立っているのかも、ママの気持ちも。
……本当のあなたのことも」
独り言のように呟いてから、まゆらは何故だか眩しそうな顔で、ジャングルジムに座っている俺を見上げた。