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十月になると夏の花が姿を消し、実ものや枝ものが増え、店全体がシックで落ち着いた色に彩られる。
店の中央に飾った赤いガーベラとオレンジのケイトウ、紫のカーネーション。黒い葉と、オリーブのような実が特徴的な観賞用トウガラシ。色も形も様々なオモチャかぼちゃ。
ここ数年の間に、急速に盛り上がるようになったハロウィン。うちの店でも便乗して、今年はジャック・オ・ランタンをモチーフにした鉢植えや、黒猫や魔女のピックを店頭に並べてはいるものの、売り上げは芳しくない。
客足を伸ばすために、最近 流行のハーバリウムか、ランタン作りのワークショップでも開いてみようか。そんなことを考えながら閉店準備をしていると、披露宴のウエルカム・ボードを作っていた姉が、二階から降りてきた。
襟ぐりが広く開いた、ゆるいシルエットのニットワンピースを着ている。眼鏡を外して化粧をし、いつものジャージ姿とは別人のようだ。
「あたし、今日は夕飯いらないから」
「どっか行くの?」
「オトコと夜遊び」
絶句する俺を見て、姉は笑いながら、相手はサブローだと告げる。……ある意味余計に心配だ。
「仁さん、男と飲みに行っても何も言わないの?」
婚約者の人のよさそうな笑顔を思い浮かべながらたずねると、姉貴は「全然」と髪を掻き上げる。その横顔が、心なしか不満そうだった。
「そんなに心配症なら、こんないい女を放置して一年以上も海外に行かないでしょ?」
「……喧嘩でもした?」
「別に。さっきメールで、また帰国が延びたって連絡が来ただけ」
商社マンの仁さんが、ロンドン支社に転勤になったのが一年と半年前。
予定ではきっかり一年の渡英のはずが、引継ぎ予定の女性職員が妊娠し、代わりの人員が見つからず、なかなか帰って来られないらしい。
帰国予定は式の一週間前。そんな事情で、式の準備は姉がひとりで進めている。
国際電話での『報告・連絡・相談』は、こっちがうんざりするくらい頻繁に熱烈に行われている。仁さんも仕事をしながら良く付き合っているな、と毎度のことなら感心する。
それでも弟としては、姉が不満に思う気持ちもわかる。
「仁君て、本当ににいい奴で、誰にでも優しくて、いつも自分のことは後回しなんだよね。そういうところがいいところなんだけど」
だから自分の結婚も、婚約者の姉のことも後回しになっているという状況なのか。
「今でもこんなだったら、結婚しても、子供ができても、ますます後回しにされちゃうのかな」
マリッジブルーというやつか。
何かフォローをしようと口を開きかけた時、店のドアが開いて、トレンチコートを着たOL風の女性客が入って来た。
小ぶりなオモチャかぼちゃをふたつと、紫色のガーベラを一輪。茎の根元に保水キャップを嵌め、ハロウィン仕様の包装紙でくるんでいると、再び店のベルが鳴った。
「いらっしゃいま、」と言いかけた口が固まる。
あやうくオモチャかぼちゃ取り落すところだった。
俺よりも、ガーベラを受け取ったお客様の方が重傷で、落雷を受けたように震えている。
真紅の薔薇の向こうから現れたのは、いつもとは別人のように身なりを整えたサブローだった。
不精髭を剃り、髪を整え、黒い薄手のチェスターコートと細身のパンツという、メンズモデル顔負けのスタイリングだった。
「お前、どうしたその恰好……」
いつもはポリシーのように適当な服装で過ごし、それですら十分すぎる色気で学校内の女子を──いや、この地域一帯のご婦人方の心を掻き乱していたくせに、一体どういう風の吹き回しだ?
震え声で呟く俺の耳許で、サブローはいつもの甘い低音で囁く。
「今日から、ラストスパートで本気出す」
眠れる獅子が目覚めてしまった。
そんな趣味は一切ないのに、背筋がぞくっと震えた。俺のすぐ横にいたお客様が、恍惚の溜息と共に膝から崩れ落ちる。慌てて腰に腕を添えて助け起こし、「大丈夫ですか?」と尋ねるも、お客様の視線はサブローにロックオンされていて、俺のことなど目に入っていないようだ。
体勢的には俺の方が王子ポジションなのに、安定の村人A扱い。
サブローに気付いた姉貴は「おぉ、いいじゃん。いつも汚い恰好ばっかしてるから誰かと思った」などど呑気に褒めている。
捕食ターゲットにされていることなど知る由もない。
狼とウサギ、というよりは、狼と女豹。美しい肉食獣同士の血なまぐさいカップル。似合いすぎる。
もうすぐ義兄になる仁さんの癒し系アルパカ的容貌を思い出す。
加えて、ロンドンと日本の遠すぎる距離。……分が悪すぎる。
出て行こうとする姉の腕を引き寄せて、小声で尋ねる。
「姉ちゃん、ひょっとしてサブローに、何か余計なこと言った?」
「別に。仁君のことでちょっと愚痴ったら、相談に乗ってくれるって言うからさ」
サブローの野獣スイッチがONになったのは、そのせいか。
幼馴染で親友の長年の片想いを応援すべきなのか、すっかり家族の一員と化した仁さんのために姉の貞操を守るべきなのか──俺にはどちらも選べない。
そんな俺にはおかまいなしで、姉は軽い足取りで店のドアを押す。閉まりかけたドアの向こうで、サブローが首をひねって俺を見た。
「悪いな。後悔したくないんだよ」
お手上げだ。結局俺は、結婚前の姉と、姉に恋する幼馴染を、なすすべもなく見送った。
オモチャかぼちゃのお客様は、一目惚れと失恋をいっぺんに味わい、すっかり消耗した様子で帰って行った。申し訳ない。