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運命の恋人と恋に落ちないための俺と彼女の実証実験。  作者: 古矢永 塔子
残念なお知らせです。運命の恋人に絶縁される寸前です。起死回生の一手をご存知の方はご一報下さい。
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結局俺達はそのまま、商店街の一本裏通りを歩いて彼女の家に向かうことにした。


キムのリードを引きながら、彼女の斜め後ろを黙って歩く。

余計なことを言って機嫌を損ねたくなかったのもあるけど、本当は、後ろ姿を見つめるだけで胸がいっぱいだった。


女の子にしては大きな歩幅と、切れ味の良いヒールの音。

銀杏並木を一歩ずつ進むごとに、切なさとやるせなさが落ち葉のように降り積もり、俺の足を重くする。


あと二百メートルで、坂道を登りきってしまう。

子供の頃から何度も通った公園の滑り台の向こうには、尖った鉛筆のような緑色の屋根が三つ。

真っ白な外壁と頑丈そうな門、見事な薔薇のアーチ。


このまま彼女の家にたどり着いたら、きっと今日三度目の『さよなら』を言われてしまう。

わかっているのに、何の手も思いつかない。


俺との未来が視えている彼女が、俺との恋を拒んでいる。

それだけで答えは十分なのかもしれない。

俺は彼女に、彼女が望む幸せな未来を見せてあげられない。

そんな男に、離れようとする彼女を引き止める資格なんてない。


「……家、ここだから」


彼女のブーツの足音が止まる。

インターホンの横には、数日前までは見かけなかった看板が掲げられていた。


『宝生バレエ教室』

ラベンダー色の文字の横には、優雅なバレリーナのイラストが描かれていた。


こんなときなのに俺は、さっきキムのリードを外そうとしたときに見た、彼女の引き締まった脚を思い出してしまう。


「宝生さん、バレリーナだったんだね。だからそんなに姿勢が綺麗なんだ。だめだよ、バレリーナが二階から飛び降りたりしちゃ」


笑いながらそう言うだけで、精一杯だった。

薔薇のアーチの上方には、お伽噺に出てくるような見事なバルコニーが張り出していた。

寂れた商店街の花屋の息子とは、住む世界が違い過ぎる。その事実に直面して、思いのほか打ちのめされた。


「平気よ。こう見えても私、鍛えてるから。それに、もう二度と踊らないって決めてるの」


やけにきっぱりとした口調とは裏腹に、その横顔は、心なしか寂しそうだった。


どうして? その疑問を口にする前に、彼女が俺に向き直る。

真っ直ぐな瞳は、怖いくらいに真剣だった。


「橘君。明日から、どこで私を見かけても、二度と声をかけないで。

もし今日みたいなことがあって、私が困っていたとしても、助けないで。知らんぷりして」


これ以上ないくらいの断固とした絶縁宣言。

外灯に照らされた彼女の頑なな表情が、俺の視線をとらえて離さない。


落ち着きなく動き回るキムにリードを引っ張られながら、それでも石のように動けない俺を見て、彼女の表情がかすかにやわらいだ。


「大丈夫よ。少しずつ慣れるわ。

胸が高鳴って苦しくなるのも、声をかけたくて、声が聞きたくて、視線をつかまえたくて、振り向いて欲しくて、たまらなくなるのも――初めのうちだけよ。

一年も我慢すれば、徐々に慣れるわ。

……完全には、治らないかもしれないけど」


棒立ちする俺を励ますように重ねる言葉が、余計にたまらない気持ちにさせる。


この子は、自分が何を言っているのか、きっとわかってない。

俺を突き放すための言葉が、この一年半、密かに俺を見つめ続けていた彼女の心の中をさらけ出していることになんて、きっと全く気付いていない。


俺のなかの空洞が――生まれた時から彼女のために用意されていたその場所が、彼女を求めて狂おしく鳴いた。

リードを掴んでいない方の手で、シャツの胸を強く押さえる。

この狂暴な切なさを、どんなふうになだめたらいいのかわからなかった。


俺は恋愛ドラマの主人公じゃない。嫌がるヒロインを無理矢理抱きしめる勇気も、強引さも、自信も持ちあわせていない。

彼女の頑なな心を溶かすような、気障なセリフも思いつかない。


立ち尽くす俺を置き去りにして、彼女が家の門を開ける。

胸の高さほどの門を閉めながら、彼女が俺を見た。木苺色の唇が、ゆっくりと動くのが見えた。


――そうだ、俺は恋愛ドラマの主人公じゃない。

でも嫌だ。

君の口から、今日三度目の『さよなら』を聞くのだけは、絶対に嫌だ。


リードを乱暴に引っ張ってしまったせいで、キムが抗議するように短く吠えた。

門を挟んで二十センチ向こうにある彼女の瞳が、大きく見開かれる。

格子状の門を握り締める俺の手は、汗ばんで震えていた。


「無理だよ、宝生さん」


頭が真っ白で、声が上擦る。


「今日、学食でも言ったよね。俺は君を知らなかった頃には戻れない。せっかく《運命の恋人》に巡り会えたのに――もったいないと思わない? そうだよ、宝生さん! 俺達、もったいないよ!」


何を言ったら彼女の気が変わるのかはわからない。でもとにかく必死だった。


「俺達は、運命に選ばれた二人なんだ。つまり、それくらい相性が良いっていうことだよね。

仮に恋に落ちなかったとしても、きっと親友になれるくらい気が合うはずだ。そんな相手は滅多に現れないよ!」


「……親友?」


彼女の瞳が揺れた。


「そうだよ! もし俺達が恋に落ちることで、将来的に何か不都合があるとしても――

運命なんて気まぐれで、ひとつボタンを掛け違えるだけでまるっきり変わってしまうんだよね。

だから今君に視えてる俺達の未来が、全く違う結末に向かうことだってあるはずだ。

それなら、もう二度と会わないなんて言わないで、まずは友達から始めて様子を見るっていうのはどうかな」


我ながら、荒唐無稽な提案だと思う。かなり苦しいこじつけだ。

今のところ、俺と彼女に共通点なんかない。家庭環境も真逆だろうし、気が合うとも、話が合うとも思えない。

なぜ《運命》が俺達をくっつけようとしているのか、不思議なくらいだ。


それでもどうしても、彼女と繋がっていたかった。このまま終わりにするなんて、絶対にいやだ。


「友達……」


彼女は門に手をかけたまま、小さく呟いた。

まるで舌の上でキャンディを転がすように、その単語の意味を、甘さを、確かめているように見えた。

驚いたことに、俺の苦し紛れな提案は、奇跡的に彼女の心に響いたらしい。


白い頬と目許が、淡い桃色に染まっている。

その可愛らしさに目を奪われていると、彼女は急に真顔になって俺を見上げた。


「わかったわ、橘君。私達、親友になりましょう」


本当なら、試合終了直前にゴールを決めたストライーのように拳を挙げてのけ反りたかったが、なんとかポーカーフェイスを保った。


「うん、そうだね。まずは親友から――」


「《から》じゃないわ。ずっと親友。永遠に親友よ。それ以下になることはあっても、以上にはならないわ。絶対に」


固まる俺の足許で、キムが自分の尻尾を追いかけて遊びだす。ぐるぐる回るキムの背中と同様に、俺の頭もひどく混乱していた。


「ずっと……? 友達から、じゃなく、友達のまま?」


「ほら、テレビドラマや小説でもあるじゃない。友達関係が長すぎて『もうお互い異性としては見られない』って。そういう崇高な関係が、私達の目指すところだと思うの」


いやだ。そんな気味が悪いものを目指したくない。そんな永遠、願い下げだ。


反論しようとする俺の口を封じるように、彼女はおごそかに囁いた。


「橘君、これは実験よ」


「実験?」


「そうよ。運命の恋人と恋に落ちないための実証実験。その方法としてまず、親友を目指してみましょう。

それなら、もう不自然に避ける必要はなくなるわ。そうよ、どうして気が付かなかったのかしら。もしかしたら《運命》は、避けるからこそ面白がってくっつけようとしていたのかもしれないわ」


どうやら彼女は本気らしい。やはり俺の《運命の恋人》は、相当おかしな女の子のようだ。


「実験に失敗したらどうなるのかな」


「そしたら、もう二度と会わないわ。絶交よ」


「実験自体がいやだって言ったら?」


「それなら、ここでお別れよ」


何なんだ、その究極の選択は。


俺達を繋ぐ赤い糸を、彼女はいたずらな子猫のように複雑にもつれさせていく。

でも余計なことを取り払ってシンプルに考えたら、俺の答えはひとつしかない。


要は、明日も彼女に会えるか、会えないか。それだけだ。


「……頑張ります」


絞り出すような声で呟くと、薄闇の中、彼女がかすかにほほえんだ気がした。


小さな背中が薔薇のアーチの向こうに消えて、完全に見えなくなるまで、キムに足を噛まれながら見送った。


俺の運命の恋は、どうやら一筋縄ではいかないらしい。


すっかり腹を減らしたキムに急かされて家路を急ぎながら、何度も彼女の家を振り返る。

『友達』と嬉しそうに呟いた顔を思い出すたびに、胸の奥が甘く疼いた。


のちに俺は思い知ることになる。この切なさが、まだ序章に過ぎないことを。今日この瞬間から、苦行のような忍耐の日々が始まることを。


だけど仕方ない。俺には、彼女のように未来を予知する力なんてないんだから。





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― 新着の感想 ―
[一言] まー正直彼女さんの気持ち分かるよ。何でもかんでも『運命』ってレールの上を歩かされるのは嫌だよなぁ……勝手に決めてんじゃねーよ一生ROMってろって思うよね。
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