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運命の恋人と恋に落ちないための俺と彼女の実証実験。  作者: 古矢永 塔子
残念なお知らせです。運命の恋人に絶縁される寸前です。起死回生の一手をご存知の方はご一報下さい。
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彼女に向かって伸ばした指先が、モヘアのセーターの繊維をかすめた瞬間。彼女は冷たい表情で、強烈な一言を放った。


「今日は手を拭かないの?」


指先が凍りつく。


「森本 早苗さんが言ってたわ。『颯太は手をつなぐ前に、必ずジーンズの後ろのポケットで手のひらの汗を拭く』って。そういうところが、可愛くて好きだって」


手が汗ばみやすいのは、俺の密かなコンプレックスだ。緊張すると余計にひどくなる。


現に今、手のひらどころか体全体に冷たい汗が滲み始めている。


「とっ、友達なの? 早苗……いや、森本さんと」


うろたえ過ぎて、声が震えた。彼女は無表情で俺を見つめた後、素っ気なく背中を向けた。


「別に。教室で、他の女の子と楽しそうに話してるのが耳に入っただけ。あとは、何度か講義のノートを貸したことがあるくらいよ」


――ノート……?


その言葉が、焦りと混乱でカオスと化した頭に、閃光のようにひらめいた。

俺の足許には空色のキャンパスノート。咄嗟に拾い上げ、彼女の許可も得ずに開いた。


黒いボールペンの文字が、ほんの少しの乱れもなく、隙間なく整列していた。堅苦しいほどに整った几帳面な文字。


早苗と図書館で出会った日、俺が拾ったノートとは違うものだ。

でもそこに記された文字は紛れもなく、あの日俺が目にしたものだ。



俺の心臓を高鳴らせたこの文字は、早苗ではなく、《彼女》のものだったんだ――。



「宝生さん、ごめん。俺……」


「謝る必要はないわ。あなたが誰と付き合おうと、あなたの自由よ。私もそれを望んでいたからこそ、あなたを避け続けてたんだから。咎める権利なんてないもの」


……確かに、それもそうだ。


生まれた時から俺達の小指に結ばれていた赤い糸。

それをもつれさせているのは、他ならぬ彼女だ。もし俺が、もっと早く彼女と出会っていたら、他の女の子なんて絶対目に入らなかった。


何の障害もないはずの、俺達の『運命の恋』。

それがこんなにこじれてしまったのは、ひとえに彼女のわけがわからない行動のせいなのだ。


「宝生さん。どうして俺じゃだめなの? 

どうして《運命》に逆らってまで、俺を避け続けるの?

俺には、聞く権利があると思うんだけど」


結局のところ、その真相を知らずには納得できそうもない。

ストレートな俺の質問に、ペンケースを拾おうとしていた彼女の手が止まった。


「……聞きたい?」


意味ありげなまなざしと、試すような口ぶり。嫌な予感が頭をかすめた。


「一応、確認だけど――実は俺達は、生き別れになった二卵性の双子の兄妹だったとか、橘家と宝生家は先祖代々敵同士で現在進行形で憎しみ合っているとか、生きるべきか死ぬべきかそれが問題だみたいな、如何いかんともしがたい悲劇的な結末が待ち受けているわけじゃないよね?」


「どうかしら」


今まで全く考えもしなかった、最悪の可能性。

運命の恋が、必ずしもハッピーエンドを迎えるとは限らない。


俺が今日サボった一限目の講義は、英文学B。今期のテーマはシェイクスピア。

敵対する家に生まれ、密かに愛し合いながらも、不幸なすれ違いから命を絶ってしまったロミオとジュリエット。

復讐に取り憑かれ、恋人の父を殺してしまったハムレットと、その事実を知って正気を失い、最期には歌いながら川の底に沈んで行ったオフィーリア。


愛し合う恋人たちが残酷な運命で引き裂かれる物語の原文を、英和辞書を片手に四苦八苦しながら読んできた。


どうして今まで気づかなかったんだろう。

もしかしたら、未来の俺は、彼女を幸せにすることができないのかもしれない。


俺達の運命の恋の先には、想像を絶するような悲劇的な結末が待ち受けているのかもしれない。

逆にそれ以外に、彼女が俺を拒む理由はない気がした。


彼女の真っ直ぐな瞳が、俺の覚悟を試しているように見えた。


「ほんとに聞きたいの?」


かすかに首を振って、頷くだけでいい。わかっているのに、硬直したように動けなかった。


「やめておきましょう。あなたがそれを知ろうが知るまいが、私の決断は揺るがないわ」


「いやごめん、待って。今日はまだ、心の準備ができてないだけだから! 続きは次回で! 次回までのお楽しみで!」


「次回なんてないわ」


つれなく言い捨てると、彼女は胸に抱いていたキムを地面に降ろした。すぐに逃走しようとするいたずらっ子を慌てて捕まえ、首輪とリードをつける。

そのあいだに、彼女は空地を出て、小手毬町の方角へと歩いて行く。


「ついて来ないで!」


「でも、方向が一緒だし」


彼女は眉を寄せると、踵を返して反対の方向に向かおうとする。遠回りでもする気なのだろうか。


「宝生さん、無駄だと思うよ。俺達きっと、どうしたって出会っちゃうんだよ」


そもそも彼女が、明るい表通りではなく、こんな路地裏にいるのは、小手毬商店街を通り抜けて俺と遭遇することを避けるためなんだろう。


だけど、《運命》が俺達の恋を後押しし続ける限り、どんなに彼女が俺から逃げたところで、きっと何度でも巡り会ってしまう。


「とりあえず今日は一緒に帰ろう。君が平気でも、俺が心配なんだ。もし君に何かあったら、多分一生後悔する」


「やめて。……わかったから、そういうことは言わないで」


真剣に頭を下げると、彼女は消え入りそうな声で呟いた。

俯いた瞬間に髪の隙間から覗いた耳が、夕焼けよりも赤く染まっていた。



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