①
運命の赤い糸って信じてる?
――うん、その反応は正しい。
今時こんな寒い口説き文句を使う奴はいない。
九割の確率で失敗する。残りの一割は、『但しイケメンに限る』の注釈付き。
俺なんかが口に出したら失笑ものだ。
たけどもっと笑えるのは、それに対する俺の答えが『Yes』ってことなんだ。
∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞
『みちる、大きくなったら、颯太君のお嫁さんになる!』
生まれて初めての告白は、保育園でロッカーが隣だった女子からの逆プロポーズ。
それから現在に至るまで、何人もの女の子が俺を通り過ぎて行った。
みちる、梨里香、桜、純子、萌乃。
男の記憶はフォルダ保存、とはよく言ったもので、ひとりひとり、顔も名前も、初めてのデートはどこに行ったか、最後はどんなふうに終わったかまで、マウスをクリックするまでもなく思い出せる。
そしてたった今、新規に作成されたフォルダの名前は──『早苗』。
「今までありがとう。颯太のこと、ずっと忘れない」
小鹿のようにつぶらな瞳を赤くして、早苗は小さな声で呟いた。
暖房の効き過ぎたカフェで、アイスティーのグラスの中に積み上げられた氷が、透き通った音をたてて崩れた。
「──俺も。楽しかった。元気で」
こんなとき、満面の笑顔は逆に痛々しい。
適度に寂しそうに、口調だけはいつも通りに。そう心がけたのに、店の空気が乾燥しているせいで、語尾が掠れた。
早苗が、テーブルの隅の伝票に手を伸ばす。パールピンクに塗られた爪が、筒状に丸まった紙に触れる前に、先回りをして取り上げた。
「奢らせて。……最後だから」
早苗は言葉を呑み込むように唇を結んだ。
綺麗にカールされた睫毛が、最後のお辞儀をするように、ゆっくりと伏せられた。
去って行く後姿を見送りながら思う。
早苗はいつも、会計の時に必ず財布を出す。俺が払うとわかっていても。
いつも申し訳なさそうな顔をするけど、『絶対に割り勘じゃなきゃイヤ』なんて意固地なことは言わない。
そういうところが好きだった。
女の子らしい外見とはミスマッチな、左右対称の几帳面な筆跡。
いつも綺麗に手入れされている爪や、付き合って二か月経っても、恥ずかしがって素顔を見せないところ。
栗色の髪が揺れるたびに、スイートピーと待雪草の甘い香りが鼻をくすぐるところも。
そして多分、だから振られた。
そんな表面的な部分でしか早苗を語れないから、振られた。
カフェの窓ごしに、ミルクティー色の早苗のカーディガンが遠ざかって行くのが見える。
向かう場所は知っている。ここから徒歩十分の俺達のキャンパス。
別れたとはいえ、これからもきっと何度も顔を合わせる。近距離恋愛の宿命だ。
ガラスに映るのは黄金色の銀杏並木。
そこに重なるのは、十九年間見飽きた平凡な顔。それが今日は、いつにも増して腑抜けていた。
昨夜早苗からLINEで、『話したいことがある』とメッセージをもらった時から、今日で最後になる予感はしていた。
それなのに、思ったより落ち込んでいる自分が意外だった。
早苗も、《彼女》じゃなかった。それだけのことだ。
その事実に、俺はとっくに気付いていた。付き合ってしばらくして――いや、正直に言えば、付き合って三日目辺りで確信していた。
それでも尚、自分から別れ話を切り出すことはせず、その場 凌ぎの関係を続けていた。当たり障りのない彼氏を演じていた。
愛想をつかされて当然だ。
《彼女》が誰かって?
それについての答えは少し長くなる。途中退屈するかもしれないし、多分信じてもらえないと思う。
それでもよければ、少しだけ俺のつまらない話を聞いて下さい。