沈黙を綴る
一応希望的な面も入れてはいますが、基本暗めです。
そういうものが苦手な方はここでそっとじ、またはブラウザバックです。
今ならまだ間に合う……。
昔は、唄うのが好きな少年でした。
外で友達と遊ぶ時も、家でごはんを食べる時も、どこでも場所を選ばずに唄っていました。
怒られることもあったけど、それ以上に「うまいね」と喜んでもらえることが嬉しかったのです。
でも、少年は大人に近づくにつれ、声が出せなくなっていきました。
身体が成長するごとに声が低くなり、掠れていったのです。
今まで何気なく声に出せていたメロディがまるで出ません。
少年はいつしか、唄うことをやめました。
その代わり……とはいいませんが、ある日、小さな音楽店で安いギターを買うことにしました。
いつまでも下手だったけど、少しずつ好きなアーティストの曲を弾けるようになるのがとても楽しいと思えました。
もう以前の声は出なかったけど、時々こっそり口ずさんだりなんかもしていました。
静寂を聴き手に、一人で弾き語り。
時々家族にうるさがられたりもしたが、そこはまったく気にしません。
何度か進学をして、大勢の人と交わるなかで、青年は自分の声を呪いはじめました。
一対一の会話なら辛うじて。
それ以上になると、声が通らないもので、話しかけてもうまく伝わらない。
時には話したことすらないことになってしまいます。
大勢の輪のなかでは、青年はひたすら聞くだけの役に甘んじていました。
すぐ側で皆が笑ってるのに。はしゃいでるのに。
気を遣ってか、こちらに微笑みかけてくれるのに。
その度に青年は孤独を強く感じていました。
苦しい時間でした。
小柄で、おまけに幼く無害そうな顔。
だからか、周りの多くは優しく接してくれようとします。
でも逆に、その優しさが辛くなりました。
「顔と声とのギャップにびっくりした」……聞き飽きた言葉。
その言葉を聞くたびに、青年は「よく言われる」と笑いながら毒を呑み込みました。
返事が届かなかった時、ほとんどの場合、相手は愛想笑いでかわしてきます。
稀にしっかり聞き直してくれる人もいましたが、青年にとってはもはや前者の方が気が楽でした。
余計な声を出さなくて済むから。
そんな応酬を繰り返すたびに、青年は訂正することもなく、抵抗することもなく、ただ沈黙するようになっていきました。
元々、大勢より一人でいることの方が好きだったのもあって、青年はどんどん一人でいるようになりました。
そのなかにおいても友達はできたし、甘い恋の予感を覚えたこともありました。
けど、それらも浅く触れるだけに留めるようになりました。
青年は逃げたのです。
大勢の輪から。
人と深く繋がることから。
以前同級生だった人達にも近づかないように避け続け、近くで手を差し伸べてくれていた少ない友人さえも跳ね除け、遠ざけてしまいました。
すっかり、青年は一人ぼっちが板についてきました。
青年はそれを望んでいました。
でもなぜか、心のどこかが痛いです。
胸にちくちくと刺さる感覚を抑え込むようにして、夜、枕を抱きしめて眠りにつきました。
その頃には、あれだけ夢中になって弾いていたギターも弾かなくなっていました。
苦労をしたものの、青年はなんとか仕事にはこぎつけ、社会人になりました。
話すよりも手足を動かすほうが多い仕事です。
好き嫌いは別として、青年の肌には合っていたかもしれません。
職場の人たちは青年の聞き取りづらい声を受け入れて、時にはそれを笑いに変えてくれたりもしました。
その環境も、青年にとっては救いだったように思います。
時間は、素敵な思い出とともに、嫌なことも道連れに洗い流していきます。
そしてしばらくが経ち、青年は自分の声について以前ほど気にしないようになりました。
一人が好きだといいつつも、やはり寂しかったのでしょう。
休みの日には、青年はネットの世界にたびたび入るようになりました。
元々機械音痴で、PCもろくに触ったことがありません。
SNSなんてもってのほか。
色々と悩むことも多かったけれど、そのなかで様々な情報を、刺激を得ました。
一人ぼっちなのに一人じゃない感覚に浸りました。
ある日、青年はふと思い立ち、文を綴ることにしました。
ただ、今まで文を書くこと以前に、本を読むことすらほとんどありません。
最初は何もわからないまま、思うままに一つの掌編小説を書きあげ、ネット上に出しました。
その時の反応は、青年は覚えていません。
ただ、その時の物語を綴ることの楽しさは、今までに感じたことのないものでした。
名乗ったハンドルネームは、「さみしがりや」。
つけた時こそ無意識だったけれど、実はここに本質が現れていたのかもしれません。
そうして少しずつ、でも着実に、青年のなかの小説世界は広がっていきました。
今も青年は人前で話すことが苦手です。
しかし、思いを文章で表現する喜びを知りました。
顔も知らない、でも、たしかに温度のある人たちに巡り会い、交流を楽しみました。
ほんの少しの感情でも、日頃の些細な出来事でも、青年は思うままに書き出していきました。
広い世界の中を心地よく泳いでいる。
安らかな気持ちで、青年は沈黙を綴りました。
青年は、今も一人でいることが好きです。
でも、この世界で誰かと何かを共有すること、それもいいなと、最近では思えるようになりました。
多少の人間不信はいまだに拭いきれませんが……(笑)
そして最近では、ずっと苦手で呪ってきた声でさえ、好きになろうと努力するようになりました。
今さら好きになれるか、それはわかりません。
もしかしたら、また嫌いに……、今よりもっと嫌いになるかもしれません。
それでもたしかに、今まで以上に自分の声に耳を傾けるようになりました。
数月が経ち、少しずつですが、青年は再び唄を唄えるようになりました。
以前ほど高い声は出せなくても、自分の出せる声音を少しずつ広げています。
少しずつですが、自分の声が嫌いではなくなっている……そんな気がしています。
いつかは皆の前で。
そうでなくとも、今、すごく大切に思える人のそばで、話しをしたり唄を唄ったり。
そんな未来があっても悪くないかもなぁ。
そんなことを思いながら、今日も青年は沈黙を綴っています。