隻眼の戦曲師フォルツ
「私はレスティー王国の全冒険者ギルドを束ねているヴィルヘルム=フォルツ。 国王様直々じきじきのご依頼をお二方にお伝えするべく、この地にやって参りました」
長い白髪をゆらりと垂らして会釈する長身の男。
年は20ほどか。
ギルドの紋章が刺繍された黒いスーツを身に纏った服装。
左手を前にして腹部に当て、背筋を伸ばしながらお辞儀をする姿。
さながら貴族に仕える執事である。
ヴィルヘルムの放つ厳かな雰囲気につられ、俺も会釈を返す。
会釈を受け取ったヴィルヘルムは、頭をあげると堅い表情を崩し、小さく微笑みを浮かべた。
白髪の隙間から覗かせる目鼻立ちの美しい端正な顔……街行く淑女の視線を根こそぎ集めるであろう彼の甘い面持ちには、切りつけられたような古傷があった。
そのせいで、深い紫色の瞳は片方が閉じたままである。
「し……師匠。 2人には私の方から説明をしますので、師匠はゆっくりとおくつろぎくだ―――」
「国王様からの言伝は私が直接お話します。 ローウェン君は溜まった仕事を片付けてください。 カウンターにいる職員の皆さんが『ギルド長は仕事をしないで遊んでばかりいる』と嘆いていましたよ」
師匠? ローウェン君?
ヴィルヘルムを見て慌てふためくローウェンは、今年で48歳になる。
そんな彼が「師匠」と敬うヴィルヘルムはどう見ても20かそこらの若々しい青年で、「師匠」などと呼ばれるような齢でもない。
「いや、しかし―――」
「いう事を聞かない悪い子は、厳しい稽古ですよ」
「―――すまない、詳しい話は師匠から聞いてくれ。 俺は少し用事が出来た」
厳しい稽古……それを聞いたローウェンはハッと顔色を変えると、急いで応接室から出ていった。
数秒後、カウンターの方から「よーし! 溜まった仕事を片付けるぞ!」という彼のやる気に満ちた声が響いてきた。
「彼はお喋りが大好きで……皆さんには御迷惑をお掛けしているでしょう。 申し訳ございません。 悪い子ではないのではないのですが……」
ローウェンが去った後のソファーにゆっくりと腰を下ろし、ヴィルヘルムは謝意の言葉を口にした。
その姿は、不肖の愛弟子を思いやる師匠そのものなわけで……。
「その……『師匠』というのはどういうことなのでしょうか? どう見てもローウェンさんと齢が離れて過ぎていると思うのですが……」
人間関係を問うのはあまり好まれたものではないが……気になる物は気になる。
「―――アハハハッ。 そうですよね、私の方が若く見えてしまいますから、その疑問はもっともでしょう」
ヴィルヘルムが愉快そうに、意味あり気な事を口にした。
いままでに何度も同じ質問をされたのだろうか、すっかり慣れたご様子だ。
「それはどういう……?」
「知らないの? ヴィルヘルムさんはかれこれ50年間、レスティー王国・冒険者ギルドの最高責任者をやっているのよ。 各地に散らばっているギルド長たちは、そのほとんどがヴィルヘルムさんのお弟子さんなの。 ……まぁ、私もヴィルヘルムさんに会ったのは初めてなのだけれど」
つまり……どういうことだ?
ヴィルヘルムの言いたいことがいまいちよく分からなかった俺は、首をかしげて説明を求めた。
すると、隣に座っていたエルシアがきょとんとした顔で事情を説明してくれた。
なるほど……目の前の青年は、ギルドの最高責任者を50年も続けているのか。
「……ふぁっ!? 50年って……え? ―――いや、そういえば」
帝都にいた頃に聞いた話……レスティー王国の英雄『隻眼の戦曲師フォルツ』。
70年前、わずか10歳にして冒険者となった彼は、その翌年に迷宮『無限牢』を攻略し、国宝級の聖遺物を取得。
またその翌年には迷宮『悲像神殿』を攻略し、数々の財宝を発見した。
その功績を認められ、冒険者でありながらも王国騎士団の一員となった彼は、15歳のときにメイフィールド聖王国との戦争に参加し、敵将を打ち取って武勲を上げた。
戦場に響き渡るは数多の雷鳴、敵兵の奏でるは惨憺たる悲鳴、大地に轟くは破壊の地鳴り……敵将との戦いで片目を失った彼につけられた異名は『隻眼の戦曲師』。
だが、戦いなど彼は望んでいなかった……王国の民は彼を英雄と称したが、己の行いを悔いた彼は、王国騎士団を脱退し、長い冒険の旅に出た。
旅路の果てに行きついたのは、金色に輝く灼熱の砂漠『カルスト砂漠』。
そこで彼が見つけたのは、生命がすべて枯れ果てたはずの荒涼とした大地に青々と生えた1本の樹木。
青葉の生い茂るその樹木のてっぺんには、1つの木の実が……それを食べた彼は『不老』のスキルを得て、衰えることを知らない若さと力を手にした。
のちに『不老樹:フォルクス』と名付けられたその樹は、7本の世界樹のうちの1本に数えられるようになった。
彼の冒険談を聞いた数多の冒険者たちは、その樹を求めてカルスト砂漠に足を踏み入れたが、彼以外に不老樹を見つけたものはいない。
冒険から戻ったあと、彼はその冒険で手にした財宝をすべて売り払い得た金をすべて使って、王国の各地に孤児院、学校、病院を設立し、貧しい人々に救いの手を差し伸べた。
彼が本当に望んだものは、争いのない平和な世界。
王都の広場、食事の施しを終えた後に始まる、英雄の胸躍る冒険談。
薄汚れたボロボロの布切れに身を包んだ子供たち、不幸にも怪我や病を患った青年少女、身寄りのない年老いた老人……彼らはパンとスープを美味しそうに食べながら、瞳を輝かせて英雄の話に耳を傾ける。
広場に集うのは彼らだけではない。
王都で暮らす人々は、みな英雄の冒険談を楽しみにしているのだ。
老若の区別なく、貴賤の区別なく、人々は希望の元に集い喜びを分かち合う。
王国の希望、それこそが『隻眼の戦曲師フォルツ』。
「ヴィルヘルム=フォルツ……まさかあの英雄に会えるとは思ってもみなかった光栄です」
まさに生ける伝説……慈しみに満ちた微笑みを浮かべている白髪の美青年は、すでに80の歳月を生きた英雄であった。
何事にも動じない落ち着き払った所作、道や道理をしっかりと見極めた愛ある言説……なるほど、すべて説明が付く。
帝国がこのリシュリュー王国を攻め切れないでいるのは、彼の存在が大きい。
殺しを忌みきらい、人々に慈愛の手を差し伸べるヴィルヘルム=フォルツ。
戦争を否定し王国騎士団を脱退した彼だが、王国の民が無慈悲に傷つけられるのを黙って見ているはずがない。
愛があるからこそ、人は時として鬼に生まれ変わる。
『隻眼の戦曲師』を敵に回したら、強大な力を持つ帝国アルムスとて無傷では済まない……。
「英雄なんて……私はそんな大層な者ではありません。 実をいうと、この度のお二方へのご依頼はそのこととも関係していまして―――」
謙遜するヴィルヘルムの言葉には、偽善を口にする響きがまるでない。
おそらく彼は本心を口にしただけなのだろうが、彼の築き上げた華やかしい功績を考慮すれば、彼が英雄と呼ばれるに値する人物であることが容易にわかる。
続けざま、ヴィルヘルムは今回の訪問の目的を口にした。
「では、国王様のご依頼をお伝えします。 エルシア殿とレオン殿には、私とともに迷宮『魔女の霊廟』を攻略していただきたいのです」
雪夜さんへの感想返信にも書きましたが、いちおう、後書きに残しておきやす。
……感想を書いてくれる読者さん、素直に感謝です。
『無限牢』
重厚な外壁によって永遠に閉ざされた巨大な建築物。
魔石がほのかに光を放つ薄暗い内部には、数多の邪悪を封じ込める魔法の込められた鉄檻があった。
魔物たちの叫びが響き、重なり、木霊し合う。
尽きることのない飢えと渇きが彼らを苦しめ続ける……そんな彼らに許された救済はただ1つ。
それは「侵入者の排除、惨殺、拷問」。
『悲像神殿』
ゴゴゴ……という何か重たいものを引きずるような重音。
それは暗い神殿の四方八方から聞こえてくる。
何がいるのか?……好奇心の波が君を攫わんと押し寄せるだろうが、君、決して流されることなかれ。
己の欲望の先にいる……ある物は人の形を模した石像。
石像の顔はそれはひどく歪んでいた……まるで、この世の不条理、苦難、悲哀を体現するかのように、悲しみに満ちた表情をしている。
石像は天に手を伸ばしていた……神に救いを求めんとするその光景は、静かなる凄烈を宿している。
君は石像から目を離し、この迷宮に眠っているはずの財宝を探しに行くだろう。
石像の瞳が、君の後ろ姿を見つめている事も知らずに……。




