森の中へ
「さて……どうしようか?」
東の空がほんのりと明るくなってきた。
ボロボロの服が早朝のそよ風にたなびく。
道の左右に広がる野原に咲く花たちも、朝の雰囲気を感じて蕾を開かんとしている。
帝都で一生を終えるはずだった俺の目の前に、一生見ることのなかったであろう優美で壮言な景色が広がっているのだが……俺はいま、いまだ健在な手錠を嘆かわし気に眺めている。
<誓約の首輪>を破壊してから数時間、歩きながらずっと手錠を外そうと試行錯誤してみたが一向に解決策が見つからない。
とりあえず、そこら辺に落ちていた硬そうな石を拾って、鎖にガリガリ擦り付けてみたが……まぁ、切れないわな。
次に火属性魔法、高熱<ヒート>を使って鎖を焼き切ろうと思ったが……鎖は金属製でめっちゃ熱が伝わりやすい、よって、手首が半火傷状態になってあえなく断念。
風属性、水属性系統の切断魔法……たとえば風鳥刃<フェザーナイフ>などの魔法は、作り出した魔方陣から現出される、よって、鎖の長さが短すぎるため魔法を当てることが出来ない。
……というか、解呪<ディス・カースト>にしても高熱<ヒート>にしても、あっさりと魔法を使えてたな俺。
国立図書館(禁書庫とは別物)で読んだ文献には、『魔法習得には時間がかかる』と書かれていたはずだが。
魔法の知識については興味があったが、魔法の使用についてはあまり興味がなく、今まで魔法を使ったことはなかったが、いざ使ってみると意外と面白かった。
まぁ、色々と疑問や困難が立ちはだかっているが、時間はたっぷりあるんだ。
ゆっくりと解決していこうじゃないか。
差し当たっての問題は手錠……あと、そろそろ腹が減って死にそうだ。
死因は<誓約の首輪>ではなく、ただの飢死とか笑えない……。
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「やっぱり生えていたか」
ちょろちょろと微かに流れる小川のほとりに生えていた、細長い雑草を掴んで引き抜く。
『清流ネギ』、川の近くに生えている何の変哲もない雑草だが、地面に埋まっている白い茎の部分がおいしい立派な食料だ。
孤児院にいた頃、けっこうお世話になったが……懐かしいな。
川の水で土を洗い流し、食べる部分を小枝に刺して焼いて食べる。
ここまでずっと歩いてきたから、休憩も兼ねての朝食……いや、太陽もかなり高く昇っているから昼食だろう。
「……それにしても問題は山積みだな」
これまで歩いてきた道の先にあるのは、深く生い茂った森。
森にはゴブリンや牙狼<ファング・ウルフ>などのモンスターが住み着いている。
普通、森に入るときは冒険者や用心棒を雇うものだが……お金ないしな、というか国外追放されたしな。
「ちくしょう、覚えとけよ……氷短剣<アイシクル・ダガー>」
憂さ晴らしも兼ねて水属性・火属性複合魔法を使ってみた。
氷短剣<アイシクル・ダガー>、大気中の水を集めて一気に冷却し、短剣状の氷を生み出し噴出する魔法。
2年前まではこの世に存在していなかった魔法だが、俺が禁書を解読して魔法の複合技術を発明、発展させて作られた。
冷蔵庫も、この技術と魔石により生み出された。
―――まぁ、これらの功績もクラウドのやろうがぜんぶ掻っ攫っていったんだがな!
ちなみに禁書庫の中庭で、クラウドは複合魔法の鍛錬を行っていたが……結局、1度も成功できずに終わった。
発動できるか心配だったが、問題なく魔方陣を作り出し、氷でできた短剣を現出させることに成功した。
クラウドが1度も発動できなかった魔法を、一発で発動できて少しだけ腹の虫がおさまる。
短剣は空気を切りながら、遠く彼方へと消えていった。
「まぁ……これならモンスターが出ても大丈夫だろう」
残りの清流ネギをほおばり、勢いよく立ち上がる。
ズボンについた土を払おうとしたが……手錠が邪魔だ。
「正直、傍から見たら『モンスターさん、どうぞ私を食べてください』状態なんだよなぁ……」
気乗りはしないが、仕方がない。
俺は暗い森の中へと足を踏み込んだ。
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「そういや、これからの目標とかまだ決めてなかったな」
森に入って、はや数時間。
迫りくるゴブリンたち、俺を取り囲むファング・ウルフたち。
彼らは、手錠に拘束されボロボロの服を着た俺の姿を見ると、心底嬉しそうに襲い掛かってきた。
―――ので、ボコボコにしてやった。
暗い森の中で飛び交う火球<ファイヤー・ボール>、氷短剣<アイシクル・ダガー>。
黒焦げの死体を生み出す火の玉、頭を易易と貫く氷の短剣。
肉の焼ける臭い、赤く染まる草木。
言葉にならない奇声を発しながら逃げ惑うモンスターたち。
彼らも十分に懲りただろう。
その証拠に、ここ1時間ほどモンスターに遭遇していない。
このまま何事もなく森を抜けれれば、それに越したことはない。
「とりあえず、衣食住……と手錠のない自由な世界が欲しい―――ん?」
遠くから鳴り響いてくる地鳴り、木々の倒れる音。
鳥や小動物たちが騒がしく逃げ惑う。
ここが迷宮<ダンジョン>であれば、この地鳴りの正体が未知のモンスターである可能性は高い。
しかし、ここは何の変哲もない森の中、ある程度でてくるモンスターの予想は付く。
俺は迫りくる脅威に対して身構えた。
徐々に大きくなる騒音、木々の隙間から大きな黒い影が見える。
その黒い影の主は、俺の前に生えていた木をなぎ倒し、ついに正体を現した。
「まさかとは思ったが、やはりオークか……」
『グォォォォォォオォォオォォォォォォォォォオ!』
俺の声に呼応するかのように、オークは森全体に轟くであろう雄叫びをあげた。
森の王者と謳われるオーク。
筋骨隆々とした4メートル以上の巨体、先の尖った耳に、空を突くように生えた鋭い牙。
ファング・ウルフの毛皮によって作られた腰布は、数多の返り血によって赤黒く変色している。
そして、左手に携えた巨大な石斧は、オークの強大さを物語っている。
逃げるか?――――いや、背中を見せるのは危険すぎる。
隙を見て逃げるのが……いい機会だ、ゴブリン共は簡単に倒すことが出来たしオークだって。
突きつけられる殺気、俺はとっさにオークの顔面めがけてファイヤー・ボールを放った。
火球はオークの頬で爆散し、オークの眼前を煙幕が覆う。
『ウォォォォォオォォォォオ!』
ゴブリン程度なら1発で仕留められるファイヤー・ボールも、オークの硬い皮膚を焼き焦がすことは出来ない。
これはただの目隠しだ。
オークが唸り声をあげながら顔を手で覆っているうちに、有効打となる魔法を探す。
「まったくツイてないな……風鳥刃<フェザー・ナイフ>!」
羽を広げた大鷲の形をした空気の塊が、風を切りながらオークに襲いかかる。
鋭い音を立ててオークの硬い皮膚にぶつかったが、少し血がにじむ程度でこれも有効打にならない。
「クソッ、次はアイシクル・ダガーで―――うおっ!」
『ガァァアァァァァァァアァァァッ!』
顔を手で覆っていたオークだったが、傷をつけられ怒りが頂点に達したのか、左手に持っていた石斧を振り下ろした。
当てずっぽうだたらしく、まったく見当違いの地面に石斧が振り下ろされる。
ドォォォォォォォォォォンッ!
一瞬の安堵、しかしそれは早計だった。
石斧の一撃によって生じた、弾丸のように飛び散る石が、魔法を詠唱する準備をしていた俺に襲いかかった。
とっさに木の裏に隠れたものの、腕や太ももの肉が少なからず持っていかれる。
激しい痛みのせいで意識が消えかかる――――が、
「ぐっ……回復<ヒール>!」
回復魔法によって強制的に傷をいやす。
緑色の光が体を包み、掠り傷、欠けた肉片を修復する。
傷がいえたのを確認し、すぐさま魔法を詠唱した。
「氷短剣<アイシクル・ダガー>!」
『グルッ!? グァァァァァァァァァッ!』
木陰からの不意打ち、オークは避けることが出来ず右目に鋭く創成された氷が突き刺さった。
叫び声をあげるオーク、このままもう片方の目も奪うことが出来れば……。
『ウオォォォォォオォォォォォォォォォオォォッ!』
ふたたび石斧を振り下ろすオーク、今度は残った左目にしっかりと俺の姿が映っている。
すぐそばで振り下ろされる石斧、飛び散る石。
俺は木を盾にしながら、オークの死角である右側へと立ち回った。
左目も奪おうと魔方陣を作り出そうとするが、怒り狂ったオークはそれを許さない。
俺を追尾するかのように石斧を振り下ろすオーク。
このままでは体力的に不利な俺が負ける。
なにか手はないのか―――。
不意に、オークの表情が変わった。
怒りに燃え上がっていた鬼の如き形相に、一筋の笑みが浮かんだ。
人を見下したような笑み、何度も見たことのある笑み、クラウドがよく俺に向けていた笑みである。
『ガァアァァァァァァァァアァァッ!』
「なにっ!?―――ガァッ!」
追尾するように振り下ろされていた石斧が、突然、目の前に振り下ろされた。
危険を察知してギリギリのところで直撃を回避したが、指の数本と手錠の鎖を切り落とされる。
そして追い打ちをかけるような爆散した石と、衝撃波。
何発もの石礫を食らいながら吹っ飛ばされ、木に激突する。
「―――――カハッ……」
『ブォォォォォォォォォォォォォォッ!』
……体中が痛い、やばい、死ぬ。
気を失いそうで全身を確認することは出来ないが、とりあえず目に入る範囲では……指が切り取られているし、いろんな場所から鮮血が噴き出してて体中真っ赤だ。
だが、今まで邪魔だった手錠の鎖は引き千切れている。
両手の自由と引き換えに、大ダメージを与えられたって訳か。
オークは勝利を確信したのか、ひと際大きな雄叫びをあげたあと、ゆっくりと近づいてくる。
まったく……オークなんかに戦いを挑んだ俺がバカだった。
最弱モンスターのゴブリンをいくら簡単に倒せたところで、所詮は最弱。
森の王者であるオークは桁違いだった。
……俺はこんなところで死ぬのか? 冗談だろ?
まだ帝都から追放されて1日も経ってない、本当に笑えない。
視界に入る、オークの見下したような笑み。
本当にクラウドの野郎とそっくりだ……あぁ、本当に
―――不快だ
「……賭けだな」
『グルッ!?』
膝に手を添えて、ゆっくりと立ち上がる。
痛み以外の感覚がないし……まるで生まれたての小コボルトのようにプルプルと震えている。
みっともねぇな。
片手を前に出して、魔法発動の準備をする。
魔力を掌に集中させ、赤く光る魔方陣を出現させた。
火属性魔法の魔方陣だが、火球<ファイヤー・ボール>でも、高熱<ヒート>でもない。
初めて浮かび上がる文字、幾何学的な模様。
オークも不穏な空気を感じ取り、表情を険しくした。
石斧を振り上げ、渾身の力で振り下ろす。
その瞬間に、俺は魔法を唱えた。
「炎大槍<ブレイズ・バリスタ>!」