妖樹戦 その後
最後らへんを少し修正しました。
「これが……魔法使いの斬撃だ!」
振り下ろした直剣の太刀筋が風を纏い、膨れ上がりながら突き進んで、妖樹を真っ二つに切り裂いた。
妖樹の幹に1本の線が浮かび上がる。
鋭い大音響のあと一瞬遅れて、少し強めの風が沼地を包み込むように流れる。
斬撃が鋭利すぎたため、余計な風を生み出さなかったのだ。
『グアァァァァ……ァア』
消え入るような声を上げながら妖樹は左右にゆっくりと分裂し、音を立てて地面に倒れた。
燃え上がる巨体の下敷きになった樹魔たちが、甲高い叫び声をあげながら押しつぶされ、沼地の泥の中へと消えていく。
まったく動かなくなった妖樹……眼前に聳え立っていた巨大な世界樹が茜色の空を遮らなくなり、まるで俺たちの勝利を祝福するかのように美しい夕日が姿を現した。
「……………………きれい」
妖樹の巨体が真っ二つに切り裂かれ崩れ落ちる、想像もしえない絶景。
そんな目を見張るような圧倒的な勝利の後に訪れた、思わず見惚れてしまうほど色鮮やかな夕日。
パラパラと焼け崩れて小さな物音を立てる妖樹や、押し潰された樹魔たちの残骸……壮絶な戦いの後の沼地を、今まさに山影に隠れようとしている太陽が赤く染める。
罪を償うために、自分を罰するために戦ってきたエルシア。
時には苦戦を強いられ、紙一重の勝利もあったが、彼女は自分の持つ力……スキルのおかげで今まで一度も負けたことはなかった。
来る日も来る日も強敵に挑み、傷を負ってボロボロになりながら、己に課した使命を全うする。
気がつくと、エルシアは白金ランクの冒険者になり、周りからは『剣姫』と呼ばれ一目置かれる存在になっていた。
私は……強くなんかない。
私は誰も守ることが出来なかった……村のみんなも、シェイラも。
いくら称賛の声をかけられても、いくら強大なモンスターを倒しても、エルシアが満足することはなかった。
戦い続ければ戦い続けるほど、強くなれば強くなるほど……彼女は孤独を感じるようになる。
―――けれど、今回は違った。
失敗すれば多くの犠牲がでる……『ロザラム』に住む親しい友人たちにも妖樹の魔の手が伸びるかもしれない。
―――また私は守ることが出来ないの? 嫌だ! 私はもう何も失いたくない!
胸を締め付けられるような思い。
エルシアは死ぬ覚悟で妖樹の注意を引き付けようと決めた。
そんな彼女の覚悟を切り捨てるかのように「無理だ」と言った男。
エルシアは柄にもなく、その男の襟元を掴んで声を荒げた。
大嫌いなヤツ……シェイラとアデーレと私、3人の栄光を穢した魔法使い。
エルシアは憎しみを込めて男を睨んだ。
―――それなのに、
男はエルシアを優しく見つめ、諭すように「もっと人を頼った方がいい」と言った。
どうしてそんな優しい目で私を見つめるの?
私はあなたのことを憎んでいて、こんなにも冷たく接しているのに。
頼るって誰に? あなたに?
あなたは私を救ってくれるというの?
どうして……。
男は困惑するエルシアから剣を奪うと、溢れんばかりの魔力を剣に流し込み、妖樹を真っ二つに切り裂いた。
壮絶な一撃……己の弱さに苦しむエルシアにとってその一撃は、彼女の欲していたもの、目指すべき目標、憧れだった。
そして、真っ二つに割れた妖樹の先に現れた、空を茜色に染める夕日。
色鮮やかに空を彩っているにもかかわらず、哀愁を漂わせるその夕日は、なぜかエルシアの孤独を癒した。
エルシアの頬に一筋の涙が流れた。
「すごいな……予想以上の威力だ」
光り輝いていた刀身は魔力を放出しきって、今はもう輝きを宿していない。
緑色の透き通った鉱石で作られた不思議な刀身……消費魔力から導き出した威力の理論値を遥かに超える一撃を生み出すことができたのは、おそらく、この鉱石の特性が関係している。
そして、剣の斬撃を鋭利な風に変える魔方陣を刻み込んだ魔石。
この魔法さえ分かれば、剣士、槍使い、狩人といった職業の冒険者たちの武器に絶大な威力を付加することができる。
できる事なら分解してじっくり調べたいが……さすがにそんなことは出来ない。
剣先から柄まで一通り観察したあと、剣を返そうとエルシアに視線を向けた。
「どうして……泣いているんだ?」
まるで心が奪われたかのように、唯々、夕日をぼんやりと見つめるエルシア。
触れれば壊れてしまいそうな、抜けるように白い彼女の頬も、夕日に照らされほんのりと温もりを帯びていた。
そんな頬を伝い流れ落ちる涙。
類まれな剣の才を持つ気高いエルシアは、そこにはいなかった。
今回の戦いで、エルシアの中の何かが変わった……そんな気がする。
しかし、彼女と出会ったばかり俺には、それが何であるかを完全に理解することは出来ない。
俺が静かに問いかけると、エルシアは夢から覚めるように我に返った。
エルシアは涙を手でぬぐいながら、
「別に……何でもないわよ」
と、いつもの調子で少し強がるように言った。
「……そうか」
彼女がどうして涙を流していたのか……気にはなるがこれ以上聞くのも無粋だ。
「……剣を返して」
「あぁ、すまん」
エルシアの伸ばした手に、剣をゆっくりと乗せる。
受け取った彼女は数秒のあいだ静かに剣を見つめ、そのあと腰の鞘に剣を納めた。
そして、俺と一度も目を合わせることなく、すっと横を通り過ぎる。
「帰るのか?」
「当たり前よ……もう妖樹はいないもの」
「たしかにそうだな、俺も帰る……か」
―――ドサッ!
とつぜん視界が歪み足がふらついて、そのまま地面に座り込んだ。
立ち上がろうとしても力がまったく入らない……魔力が枯渇してしまったせいだ。
「えっ……どうしたの!」
前を歩いていたエルシアが振り向く。
彼女は力なく座り込む俺を見ると、いつもの凛々しい表情を崩し、慌てふためくように駆け寄った。
消えゆく意識……。
エルシアの宝石のような黄色い瞳が、心配そうに俺の顔を覗きこむ。
甘く透き通った心地よい声に包まれながら、俺は眠りについた。




