妖樹戦 その2
「くらえっ!」
『グアァァアァァァァアァッ!』
エルシアの刺突攻撃に風属性の魔法が付与された。
鋭い風の斬撃が、妖樹の硬い幹をバキバキと破壊しながら突き進む。
妖樹は幹を少しだけ痙攣させると、固まったように動かなくなった。
音一つない静かな沼地が再び訪れる。
「すごいな……」
エルシアの圧倒的な強さを目の前にした俺は、自然と称賛の言葉を口にした。
どうやって核の場所を知り得たのかは分からないが……エルシアは見事に妖樹の核を破壊して、戦いに勝利した。
能力強化の魔法で強化されたマルクたちを遥かに上回る素速さと体術で敵との間合いを詰め、弱点の場所を的確に見定め、凄まじい威力を持つ聖遺物の直剣で一撃を叩き込み、勝負を決める。
……いったい何者なんだ?
剣を鞘に収め、静かに立ち尽くす少女。
空高く伸びる妖樹を半ばほど登った場所には、冷たいそよ風が流れていた。
長い髪をゆらりゆらりとなびかせながら、エルシアは瞳を閉じる。
決して終わることのない使命……そんな長く辛い責務の一端を果たしたときの仮初の安堵と、
苦しみから逃れられない……逃れてはいけない罪深い自分自身と顔を見合わせ、相対しているような苦痛。
そんな相反するようで……しかし、生じる根本は同じである2つの感情に揺れ動くエルシアの表情を一言で表すなら、「孤独」という文字が一番的を得ている。
先ほどまでの喧騒が嘘であるかのように、辺りは静まり返っている。
戦いの後の静寂は、永遠に続くかのように思えた。
―――しかし、
『ガァアァァァァァァアァァァァァァアッ!』
樹魔が蔓延るこの沼地に、再び妖樹の叫び声が響き渡った。
怒りの籠ったその叫び声は、先ほどよりも激しく大気を震わせる。
……まだ妖樹は生きていた。
「くっ……斬撃が届いていなかった。 ならもう一度―――!」
エルシアは剣を引き抜いてもう一度、あの斬撃をお見舞いしようと剣を握る掌に魔力を込めた。
先ほどの刺突攻撃で空けた穴へ、さらに攻撃を加えて核を破壊するつもりなのだろう。
―――しかし、
『ガアァァアァァァァァァアァァァッ!』
「―――!」
妖樹の叫び声とともに、妖樹を中心としてぬかるんだ地面が、まるで波のように揺れた。
体の芯まで震わせるほどの地鳴りが、沼地全体に響き渡る。
何かを感じ取ったエルシアは、構えていた剣を振り下ろすのを止めた。
あと少しで妖樹を倒すことが出来たのに……悔しそうに唇をかむエルシアは、後ろへ飛び退くように約40メートルの高さから身を投げた。
彼女は妖樹から目を離すことなく、風を切りながら地面へ一直線に近づいていく。
「お……おいっ! そんな高さから落ちたら死ぬぞ!」
俺は急いでエルシアに能力強化の魔法をかけようとしたが―――間に合わない!
エルシアの長い金髪を1つに束ねていた白くて細長いリボンが、風になびいて解けた。
ひらひらと舞うリボンをおいて、エルシアは地面へと向かう。
もうダメだと思った次の瞬間、エルシアは体をくるりと回転させながら、地面に向けて剣を振り切った。
妖樹に向けられるはずであった疾風の斬撃が地面を切り裂くとともに、生じた風がエルシアを持ち上げるように吹き荒れる。
その風圧で落下の速度を殺したエルシアは、華麗に地面へと着地した。
『ガァァァァアァァァァァァアァアッ!』
そして、それとほぼ同時に妖樹の体が赤い輝きを放ち―――炎を吹きあげる。
山火事のごとく煌々と燃え上がる樹の怪物。
怒りのままに咆哮をあげる妖樹は、燃え上がる無数の手をエルシアに伸ばした。
下手に近づけば、火傷だけではすまない。
これではもう、妖樹の幹を駆け上って弱点である核に攻撃を叩き込むことは出来ない。
エルシアは灼熱の魔の手をすべて躱しながら、樹魔の生えていない安全な場所……俺のいる所に戻ってきた。
妖樹の燃え上がる大きな手も、ここまでは伸びてこない。
「あともう少しだったのに……!」
妖樹の炎が、隣にいるエルシアの顔を赤く照らす。
炎の光を反射して透き通るように輝くエルシアの瞳。
エルシアは、憎悪に満ちた鋭い視線を妖樹に向けた。
その憎悪を剣に込めるかのように、細くて華奢な腕に力が籠もる。
「妖樹がどうやって自分自身に火をつけたのかは分からないが……これからどうするんだ? あれじゃ近づくことなんてできないだろ」
「……どうにかするわよ」
「そうか―――」
『グウゥゥゥウゥゥゥゥウッ!』
「また地面が―――!?」
再び妖樹を中心として、地面が揺れた。
揺れとともに妖樹の下の地面が大きく隆起する。
そして、盛り上がった地面からうねうねと動く巨大な根が現れた。
現れた根は、ぬかるんだ地面から這い出ようと動き回る。
炎を身に纏った妖樹は、今度は、泥の鎖を引き千切って自由になるつもりらしい。
……ここまでくると、もう植物とは言い難いな。
「どうやら、あまり余裕はないみたいだぞ」
「……どういう事よ?」
樹魔<トレント>に火属性の攻撃は効かない。
体内に不燃性の液体があるからだ。
おそらく、今燃え続けている妖樹も、幹の内部は不燃性の液体で覆って焼けないようにしているはずだ。
敵が近寄れないよう、表面だけを燃やしている。
だから、いつかは炎の鎧も剥がれる。
あとはエルシアがさきほどのように核を狙って強烈な一撃を叩き込めば、今度こそ妖樹は息絶える。
それでも、妖樹の体の表面が完全に炭と化して火が消えるまでに1~2日はかかるはずだ。
その間に解き放たれた妖樹は、手の届くものすべてを破壊し、捕食する。
妖樹はエルシアや俺を追いかけてくるだろう。
足場の悪い沼地で妖樹と死の鬼ごっこ……俺たちが負ければ、妖樹は別の獲物を探し出す。
沼地周辺に生息するモンスターたちはもちろん、近くの村で平和に暮らしている人々や……もしかしたら、俺たちの町『ロザラム』に住む人々にも危険が及ぶかもしれない。
「エルシアさんは……これからどうするんだ?」
「私は……私が妖樹の気を引き付ける。 あなたはもしもの時のためにギルドへ戻ってこのことを報告して」
「それは……無理だ」
「どうしてよ!」
「2日間、最低でも1日中ずっと妖樹の注意を引き付けるなんて無理だ」
「そんなの……やるしかないじゃない!」
エルシアは俺の襟元を掴んで、大きな声を上げた。
息のかかるほど顔を近づけ、雪のように白い顔を真っ赤にしながら俺を睨みつける。
こんなことになってしまったのも元はと言えば、妖樹に戦いを挑んだエルシアのせいだ。
冒険者であるなら、自分の落とし前は自分でつけなければならない。
……だからこそ彼女の選択は、けっして間違っているわけではない。
―――けれど、
「エルシア……君はもっと人を頼った方がいい」
「な、なによ急に―――」
『ボァアァァァァァァァアァァァァアッ!』
ついに、妖樹はすべての根を引き抜いた。
大地の支えを失った妖樹は燃え上がる手を地面につきながら這うように、俺たちの方へと動き出した。
大きな掌が、バキバキと樹魔<トレント>を押しつぶす。
「借りるぞ」
「え、ちょっと―――」
俺はエルシアの腰の鞘から剣を引き抜き、剣に最大量の魔力を流し込んだ。
その瞬間、刀身が燃え上がる妖樹よりも輝きを放ち始めた。
緑色に輝く透き通った刀身を天に掲げる。
魔力枯渇によって疲労の波が一気に押し寄せるが……この一撃は外さない。
狙うは妖樹の核。
エルシアのおかげで、だいたいの位置は分かっている。
『ガァァァァアァァァァァアァァアッ!』
沼地を朱と金色に染めあげる無数の灼熱の手が、俺めがけて押し寄せる。
―――が、
「これが……魔法使いの斬撃だ!」
剣を思い切り振り下ろす。
その瞬間、斬撃の形をした疾風が迫りくる灼熱の手ごと……妖樹を両断した。




