妖樹戦 その1
「……こんな場所であなたは何をしているの?」
「何ってそりゃあ……お絵描き……かな?」
世界樹の1つ・妖樹<エビル・トレント>を見るためにここに来たのだが、今はちょうどお絵描き中。
なんかカッコいい事を言いたかったのだが、特になにも思い浮かばなかったので正直に答えた。
ついでに、俺の力作を見せてやる。
まるで、実物を紙の中に封じ込めたような完璧なスケッチ。
妖樹の不気味さが見事に表現されていて、額縁に入れて家の玄関にでも飾ったりしたら、来客に「この家の住人は趣味が悪い」と思われてしまうほどだ。
怪訝な表情のエルシアは、俺の絵と、目の前に聳え立つ実物を交互に見比べたあと、細めていた目を大きくして、少しだけ驚きながら、
「……絵が上手なのね」
と感嘆の声を漏らした。
「まぁ、まだ完成してないんだがな。 エルシアさんはどんな目的でここに?」
「……そんなの決まっているわ」
「お絵描きなら、俺が上手に描くコツを教えてやるが―――」
「違うわよ」
「違うのか」
「はぁ……なんで私、コイツと仲良くお喋りしちゃってるのよ」
エルシアは目を閉じ、大きくため息を付いたあと、聞き取れないような声で何か呟いた。
「ん? なんか言ったか?」
「別に……」
エルシアはもう一度ため息をつくと、俺から目をそらして妖樹の方を向いた。
凛々しさのある真剣な表情……何か覚悟を決めたようだ。
エルシアは腰に挿していた剣を引き抜き、前に進んだ。
見たこともない剣。
グリップには高純度の魔石が埋め込まれている。
そして、緑色に透き通った不思議な鉱石でできた刀身、その表面には小さな文字が彫られている。
……禁書に使われている文字と同じ。
禁書が制作された頃の遺物……聖遺物の1つだろう。
エルシアは俺の横を通りすぎて、妖樹<エビル・トレント>と対峙した。
歩みを止めて、空高く幹を伸ばし無数の手を生やす醜悪な妖樹を見上げる。
エルシアの冒険者としての強さを、俺はまだ知らない。
けれど装備しているものを見れば、彼女が一流の冒険者であることが容易に分かる。
妖樹と1人で相対するエルシア……そんな彼女の後ろ姿を見て俺は、何故だか寂しさに似たものを感じた。
「……行くのか?」
「もちろん」
「俺も一緒に戦うか?」
一瞬、エルシアの体に緊張が走った。
後ろ姿しか見ることのできない俺は、彼女の表情を確認することが出来ない。
……たぶん、エルシアは俺のことが嫌いだ。
寂しそうな彼女の後ろ姿を見て、参戦の提案をしたが―――
感情を剣に込めるように、感情を抑え込むようにグリップを強く握りしめながら、
「……あなたの助けはいらない!」
そう言って、エルシアは妖樹に向かって走り出した。
『ボァァアァァァァァァァァアァッ!』
エルシアが1歩踏み出した瞬間、音のない静寂の世界に、妖樹のけたたましい叫び声が木霊した。
震える大気。
まるで、止まっていた時間が動き出したようだ。
それまで微動だにしていなかった無数の手が同時にエルシアを襲う。
腕の部分でさえ人間の胴体ほどの太さがある……そんな腕についた大きな掌に捕まれば、食べられる前に圧死してしまう。
近づいてくる無数の巨大な手……あと少しでエルシアに届く。
その瞬間、エルシアは体の重心を横にずらし、見事な身のこなしで攻撃を回避した。
回避するタイミングは完璧、そして、流れるような体重移動……彼女の動作には1つも無駄がない。
回避した後も体勢を崩すことなく、すぐに妖樹に向かって走り出す。
そんなエルシアを捕まえようと妖樹は何本も腕を伸ばすが、エルシアは平然とそれを避ける。
横に避けたり、後方に飛び退いたり、時には妖樹の腕と腕の間を飛び回りながら、すごいスピードで妖樹の幹に近づいていく。
あっという間に妖樹の幹の下にたどり着いたエルシアは、今度は幹の凹凸に足を掛けながら、妖樹をかけ昇っていった。
……まるで、何かに導かれるままに突き進んでいるようだ。
妖樹の禍々しい口の横を過ぎ去りしばらく昇ると、エルシアは昇るのをやめて立ち止まった。
憶測だが、妖樹<エビル・トレント>も樹魔<トレント>と同じように、幹のどこかに核があって、それを破壊しない限り倒すことは出来ない。
しかも、樹魔の核はすべての個体で大きさが等しく、握り拳ほどの大きさしかない。
妖樹にもこれが当てはまるとすると……巨大な幹のどこかに、小さな核があることになる。
つまり、小さな核のある場所を正確に割り出し、なおかつ、硬い幹を貫通して核まで攻撃を届かせられるほどの威力のある一撃を、そこに叩き込まなければならない。
エルシアは瞳を閉じて息を細く吐き出し、そして、目を見開いて一気に空気を吸い込んだ。
そして、吸い込んだ空気を妖樹にぶつけるように、
「くらえっ!」
と叫びながら、剣を幹に突き刺した。
そしてそれと同時に、エルシアは剣に埋め込まれた魔石へ魔力を流し込んだ。
魔石に流れ込んだ魔力が、魔石に刻み込まれた魔方陣の法則に従って刀身に流れ込む。
緑色に透き通る刀身がキラリと輝き、エルシアの刺突攻撃に風属性の魔法が乗った。




