妖樹エリアにて
霧が辺り一面を包み込み、5メートル先は何も見えない。
熱木<ヒート・ツリー>の放つ熱が、地面から湧き出る冷たい水を水蒸気に変えて、日光を遮っている。
朽ちた熱木・枯れ葉・泥が堆積していて、足をとられる。
カサカサと木の上を走る大蜘蛛<ビッグ・スパイダ―>、ゲコゲコと鳴く忍蛙<ハイド・フロッグ>が、気配探知<サーチ>で聴覚の鋭くなった俺をいちいち驚かす。
そんな迷霧エリアも、2メートルほど前に進めば終わってしまう。
2メートル先から、朽ち木や枯れ葉が極端に少なくなる。
そこからずっと奥まで生えているのは、葉を一枚も付けない不気味な巨木。
物音1つしない静寂の世界。
ここは迷霧エリアと妖樹エリアの境目。
ここから先、何百本もの樹魔<トレント>が獲物を待ち構えて、ひっそりと息を殺して生えている妖樹エリアである。
うかつに近づくと無数の腕のような枝に捕らえられ、幹にある空洞に放り込まれてバリバリと食べられてしまう。
とりあえず俺は、
「炎大槍<ブレイズ・バリスタ>!」
『『『ギャァァァアァァアァァァァッ!』』』
直径が俺の身長以上もある紅く光る魔方陣を作り出す。
勢いよく飛び出した炎の大槍が、樹魔たちを残骸にしながら突き進む。
甲高い叫び声をあげる樹魔たち。
……しかし、バラバラに砕け散った樹魔の木片に火は付いていない。
それどころか、モゾモゾと蠢く木片もある。
……気持ち悪い。
これが樹魔たちの厄介なところ。
まず、火属性攻撃が通じないのだ。
樹魔たちは体のどこかに火が付くと、ネチョネチョとした透明な不燃性の液体を染み出させ火を消す。
火球<ファイヤーボール>なんて、まったく効果がない。
しかも、幹のどこかにある核を破壊しないかぎり、死にはしない。
動いている木片は、まだ核が残っているのだ。
まったく困ったモンスターだが、そんなことで俺の進撃は止まらない。
「うまく発動するか、いささか心配だが……風大槍<ウィンド・バリスタ>!」
炎大槍を改良して作った風大槍。
炎を生み出すための魔力を風による貫通力に置換した、破壊を目的とする一撃。
炎大槍と似たような魔方陣だが、描かれる文字や図形が所々異なっている。
一番の違いは、魔方陣が緑色に輝いていること。
嵐を一気に解放したような音とともに、見えない疾風の塊が発射された。
先ほどよりも格段に破壊力が上がり、枝も幹も核もすべてを粉々にしながら吹き飛ばす。
樹魔がひしめき合う沼地に、一直線のさら地が出来上がった。
「……よし、これで安全に目的地まで行ける」
まるで、俺が通るために樹魔たちが道をあけたような光景。
妖樹<エビル・トレント>を目指して歩き始めた。
「……めっちゃデカいな」
足場が徐々に良くなり、歩きやすくなる。
迷霧エリアから離れるにつれ、霧が薄くなっていった。
霧が晴れて目の前に姿を現す、巨木。
樹魔を破壊しながら、それを目指して突き進む。
そしてついに、妖樹の全貌を眺めることのできる所まで来た。
エビル・トレントと言われるだけあって、見た目はトレントにすごく似ている。
大きな口、無数の腕……しかし、大きさがケタ違いだ。
100メートルほど伸びた太い幹は2つに枝分かれして、それがさらに枝分かれして……そうしてできた人の胴体ほどの太さのある数多の腕が、枝垂れて獲物を待ち構えている。
……周りには樹魔が1本も生えていない。
同族食いか?
とりあえず、近づかなければ攻撃されない。
俺は呑気に樹魔の丸太に座って、カバンからスケッチブックを取り出し写生を始めた。
せっかく見に来たので、妖樹のスケッチをマルクたちに見せてあげようと思う。
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「う~ん……口の禍々しさがイマイチ出てない」
お絵描きすること1時間、あともうちょっとで絵が完成する。
幹に空いた空洞……見る者を恐怖させるギザギザした歯や、不気味さを際立たせている焼け爛れるように生えた苔を、もうちょっと上手に描けないかと悪戦苦闘中である。
「ここの輪郭が―――ん? なんだ?」
いきなりモンスターに襲われたりしないよう気配探知を使っていたのだが、モンスターではない、人間の足音を聞き取った。
防具の擦れるカチャカチャとした音も聞こえるから冒険者なのだろうが、どうやら1人らしい。
『キャノック湿原』をソロで攻略するのはかなり難易度が高い……1人で来るとか命知らず過ぎだろ。
……あ、今日は俺も1人だった。
風に乗って運ばれてくる甘くて良い匂いを、強化された嗅覚が捕らえる……女性冒険者か?
謎の冒険者は、俺が樹魔を蹴散らして切り開いた道を使って、まっすぐとこちらに向かってくる。
何が起こるか分からない……俺はお絵描きを中断して、誰が近づいてくるのか確認するために立ち上がった。
近づいてくる冒険者、最初はまったく誰だか分からなかったが……。
葉を一枚も付けない樹魔たちが何本も生える殺風景なこの場所にはそぐわない、とても美しい少女。
汚れ一つない大白狼の純白の毛皮と、緑色に煌めくオリハルコンで作られた優美な防具を身に纏い、凛と歩くその姿は孤高なる強さを感じさせる。
透き通るような白い肌、1つに束ねた長い金髪が風に吹かれて蜘蛛の糸のようにキラキラと輝く。
そんな少女の黄色い瞳は……恨みのこもった、射抜くような眼差しで俺を見つめていた。
「……こんな場所であなたは何をしているの?」
「何ってそりゃあ……お絵描き……かな?」




