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駄菓子屋

 立ち上がるとやはり、彼女のほうが背は高い。

 彼女は、俺と過ごせる季節は一年だと言ったけれど、その間に彼女を追い越せるのか。ふと、そんなことを思った。――いいや、俺は彼女を誘いに来たんだった。

 彼女が出来たら、何をしたらいいのか。

 一緒に物を食べればいい。初めて読んだラブコメは、それを教えてくれた。


「な、なんかさ。一緒に美味しいものでも食べよう……か……」


 自分で言ってて、自分で恥ずかしい。三秒後に玉砕される下手なナンパだ。

 彼女はくすりと笑った。俺はこの次に来る台詞を、頭の中で用意していた。


「じゃあさ。駄菓子屋でも行く?」

『どんなところに連れて行ってくれるの?』


 うん。丸っきり違った。彼女の発言は、俺の予想の斜め上を行っていた。


「えっ……」


 思考回路がぷすぷすと音を立てている。――どうやら、俺の青春ラブコメは間違っていたようだ。


「あたしのお気に入りの場所なのっ」

 

 好きな人が連れて行ってくれる場所が、行きたいところ。そう考えたのは、俺の思い違いで、彼女には最初から一緒に行きたい場所があったようだ。――いや、そもそも、彼女が俺のことを好きだと思っていたのが間違いだった。

 立ち尽くす俺を置いて、彼女は鼻歌混じりに数歩先を行く。そして、俺がついて来ないのを確認するとわざとらしく頬を膨らませた。


「ほうら、早くっ。ついてくるっ」


 思い出した。俺は彼女のヒマつぶしなんだった。


 旧校舎から校庭を通って、正門へ。

 校庭の一角に花壇があって、そこにもあの幾何学的造形の鮮やかな花が、幾つか咲いていた。放射状に伸びる、幾つにも分かれた細い花弁。それらに途切れ途切れの円弧を宿す模様。中心には正五角形を成すように、雄しべが並ぶ。それに囲まれるのが、これまた正三角形を成す雌しべ。SF映画に出てくる宇宙船か、人工衛星のようにも思える。

 その一輪一輪に目を奪われながら、学校の敷地を出る。

 今まで、こんなに花を注意深く見たことはない。あまりにも奇妙な姿だったから、気になったのか。いいや、それだけではないような気もするのだった。


 鉄製の分厚い校門の扉は、地面に敷かれた幅の狭いレールに沿って開閉する。それは小さな線路と列車のよう。その敷居をまたいだ瞬間に、ふわっと空気の匂いが変わったように感じた。


「あれ……」

 

 静かに振り返る。けれど、そこに佇む校舎に特に違和感は感じられなかった。気のせいか。さっきの花といい、俺は何を周りに敏感になっているのだろう。

 この状況を楽しみなさいよという彼女の声が、聞こえてくるようだった。

 それにしても駄菓子屋とは、どこにあるのか。富田やメガネと買い食いをすることはよくあるが、そんな買い食いスポットがあるとは知らなかった。

 校門から出て、銀杏並木沿いに歩道を歩く。銀杏が幾つか落ちていて、ぷんと匂いを放つ。

 そこをまっすぐに行くまでは、いつもの通学路。

 彼女は、らんたった、たらんらたったと鼻歌を歌って、時に空中に細い指先を躍らせる。テレビで歌う歌手たちがそうしているように、曲に合わせて衝動的に手を動かしているのか。

 その白い手の上に時々、季節外れの陽炎を見る。彼女が空間を掴んでいるかのようだった。

 銀杏並木の歩道を逸れて、住宅街に入る。俺の家は、銀杏並木沿いにもう少し先に行ったところだから、普段は通らない道に入った。周りをきょろきょろと見まわすと、特徴のない家々が立ち並んでいる。どこか生活感を感じさせない。まるでモデルハウスが立ち並んでいるような違和感。


「ねえ、常夜さん」


 これは例によって、無視される。


「美鈴――」

「なあに?」

「なんか、あまり人の気配がないんだね」

「そうねえ。平日のまだ夕方だし。共働き世帯が多いんじゃない?」


 それで納得がいくような。いかないような。

 そもそも、その答えを彼女に求めるのも間違っているか。再び街並みを見回すと、玄関先にあの幾何学的造形の花を咲かせた家が一軒あった。

 やけに、あの花によく出くわす。


「着いたわよー」


 よそ見をしながら歩いていたものだから、気づかなかった。

 駄菓子屋はそれまでの住宅街の変わり映えのしない景色の中から、にゅっと出てきたようだった。

 軒先に取り付けられたテント――ビニル製の屋根――には、掠れた印刷でアライと書かれている。一部、ビニルが捲れていて、鉄パイプの骨格が剥き出しになっている。

 店先の引き戸は開いていて、中は裸電球の灯りで仄明るく照らされていた。

 傾いた西陽が差し込む。歪んだガラスを通って複雑に屈折した日光は、空間そのものをセピア色に染め上げているようだった。

 きょろきょろと見まわす。

 一個だけ入ったガムやキャンディにチョコレート。イカや肉を干したもの、またはすり身を薄く切ったものなんかが、竹串に刺さって瓶の中に突っ込まれている。駄菓子屋で売られているお菓子というものは、どこか独特だ。


「趣があっていいでしょ。いくらか買うと、おばあちゃんがおまけしてくれるのよ」


 くじ引きの景品が書かれた黒板がぶら下がるカウンター。その奥で駄菓子屋の店主だろう年老いた女性がいる。いかにも気のよさそうなおばあちゃんといった人相だ。


「やあ、お嬢ちゃん。元気かい」

「ええ。あ、そうそう。カツを二串ちょうだいっ」


 駄菓子屋で食べられるカツと言えば、薄いすり身を揚げたものが袋に入れられているものが思い浮かぶ。注文を受けて、店主が揚げるというのは初めてだ。

 畳敷きになった一角に彼女は靴を脱いで上がる。

 

「ほうら、こっちこっち」


 間仕切りの衝立の向こう側では、鉄板が付いた炬燵があった。――まだ冬ではないため、電源はついていない。

 脚を入れると、何かが当たった。下を覗き込むと気で囲まれた小さな七輪のようなものが置いてあった。


「ここでもんじゃとか焼けるんだよ」

「へえ」

「今度焼いてあげよっか」

「ああ。うん」

「ちゃんと返事しなさいよ。連れないなあ」


 もんじゃ焼きは食べたことがないし、どういうものなのかもあまり知らない。

 それよりも俺は、この駄菓子屋に漂う時空から切り離されたような空気に気を取られていた。

 ぱちぱちという油の音を聞きながら、本棚に目をやる。“のらくろ――”という、頭に“のらくろ”とつく漫画本が並んでいた。――聞いたことのない漫画だ。


「揚がったよお」


 店主が、揚がったカツを二串、紙皿に盛り付けて渡してくれた。

 自分の分は払おうとしたが、なぜだか美鈴に止められた。今日は奢りだと。

 紙皿の上で湯気を放つカツに、ウスターソースをかける。もんじゃの味付けで使うように、炬燵の天板の上に置かれていたものだ。

 揚げたてのカツは、ソースを浴びてじゅっと音を立てた。


「ちょっと珍しいお肉なんだよう。ほうら、美味しいんだから、食べた食べた」


 彼女の声が跳ねている。

 囃し立てられるがまま、口に運ぶと熱々の油と肉汁、ソースの香りが口の中に広がった。美味しいけれど、少し硬い肉で何回も噛まないと呑み込めない。スーパーの安い牛肉は火を通しすぎると硬くなるが、それとも違う気がした。


「それね。クジラのお肉なんだよっ」


 首を傾げる俺を、彼女は笑った。

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