表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

落ちてくる水飴を待つ我々

作者: 鈴木佐藤

感動はお手軽なものになった。

家にいても美しい景色は画面越しに見える。


いやいや、景色は五感で感じるものだ。

家で美しい景色の風は感じられるかい?匂いは?無理だろう。


家にいても美しい物語は見られる。

これは素晴らしいことだ。

感動や美しさはお手軽なのだ。

鼻紙のように使い切ったら捨てていこう。


いやいや、自らの体験ではないそれは擬似的な感動だ。

登場人物は実際にいるのかい?そんなに美しい人間が?魅力あふれる神秘や法則は物語の中だけものさ。

感動はお手軽なものではないのだ。


しかし感動とは人の心だ。

人によっては容易く得られるし、人によっては得るのは難しい。


どちらが人生を楽しく生きているかは論ずるまでもないことだが、小賢しい我々は慣れていき、感動は鼻紙の如く消費される。


そして、感動は気軽に量産されていくのだ。

いい時代に生まれたものだ。

やな時代に生まれたものだ。


矛盾を孕む事は決して悪くはない。

潔癖な貴方は耐えられないかもしれないが、言うまでもなく、矛盾とは目立つ汚れなんだぜ?


君は、これまでの人生で美しいものに出会えたかい?

私はたくさん出会えたよ。

感動は、お手軽だ。


では、君を変える美しいものには出会えたかい?

私はまだ出会えていない。


宝物は増えていくごとにこの輝きを失う。

伝えつくされた美しさ、感動は色あせて見えて。

貴方の感動は地に落ちていくのだ。


感動は虚像によりお手軽。

実像もいずれは追い越す日が来るのだろうか?

ああ、けれど心が揺さぶられる美しさは、私にとって虚像でしかありえなかった。


現実のソレを見つけるより、想像する方が容易いのだ。

ああ、なんて美しい物語、登場人物、世界なのだろう。

実像のほうが衝撃は大きく、感動的かもしれないが。


我々の重い身体には虚像の美こそが良く見える。

実像よ、悔しければ私の前に来るがいい。


ソレが出来ないから現実は我々にとって価値が薄いのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ