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杜の都  作者: 武田道子
3/18

番長ラーメン

 再び、青葉通りに戻った頃には、午後の二時近くになっていた。素泊まりのビジネスホテルに泊まっているので、朝食は付いてこない。今朝「杜の都」でコーヒーを飲んだだけだった。

 私は急にお腹がすいていることに気づいた。

さて、どこで食べたらいいだろう。世界中のあちらこちらで何億もの人々が、食糧難で餓死しているなんて信じられない。日本もアメリカも食料が溢れている。ダイエットフードがあるなんて、そもそも国が豊かな証拠だ。

 そうは言っても久しぶりの仙台、おいしいものが食べたいが、レストランに一人で入るのはちょっと気が引ける。まあっ、いいっか一人でも。昼ご飯なんだから。などと独り言いいながら、私はふとあるラーメン屋の前で足を止めた。

 『番町ラーメン』まさかと私は思った。学生時代よく行ったラーメン屋の名前だった。二十五年前のラーメン屋が今でもあるはずはなかったが、それでも何か宝物でも見つけたように嬉しかった。

「いらっしゃいー」と威勢のいい声が私にむけられたものだと知って、私は少し戸惑い、顔がほてるの感じた。でも日本らしい。私は照れながらも、やはり嬉しかった。

 内装は二十五年前の記憶にやや似ているように思うが、そんなに長く同じ内装をしている店などあるわけはないから、もちろん錯覚。見渡すとわずか五つかそこらのテーブルは、お昼過ぎだというのに、ほとんど占領されている。私は近くの空いているカウンターの席に座った。

 「なにになさいます?」

 ラーメン屋にしては、なかなかハンサムな

な四十ぐらいのおじさんが東北弁のイントネーションできいた。私はすばやくおじさんの後ろに張られたメニューに目を走らせた。

 「味噌ラーメン、お願いします」

 「味噌一丁!」

 「お客さんはうちに初めてだね」

 ラーメン屋の主人はにっこり笑っていった。笑うと見える八重歯が、おじさんを年よりずっと若く見せた。

 「わかりますか?」

 「もちろんですよ。俺はお客さんの顔を一度見たら決して忘れませんからね。それに何がお客さんの好みかも、九割は分りますよ。子供のときから、うちに来るお客さんの事をずっと見てきたからね」

 「子供のときからですか?」

 「そう。俺は二代目」

 「やっぱり」

 「えっ?」

 「それじゃ、私は初めてのお客ではありませんわ」 

 「えっ?」

 「私、ここのラーメンが大好きで、高校、大学としょっちゅう、食べに来ていたんです」

 「そうだったんですか。それは嬉しいな。親父に話してやらなくちゃ。それで、今は仙台に住んでおられないんですか」

 「ええ、アメリカに住んでいて、仕事で来たんです。それから娘がここの大学に行っているので会いに」

 「すっごいなー。アメリカから。光栄です」

 「あら、そんな。わたしのほうこそ信じられません。『番町ラーメン』の看板を見たとき、本当に嬉しかったんですよ。昔が帰ってきたようで。でもまさか同じ店がまだあったなんて」

 「そうですか。味噌上がり。召し上がってください。僕のおごりです」

 「いえ、そんな。なんだか食べにくくなります」

 「そんなこと言わないで。親父のお得意さんだったんじゃありませんか。このぐらいのことさせてください。もし何もしなかったと親父に話せば、俺怒られちゃいますから」

 「ありがとう。それじゃ、いただきます」

 ラーメンがこんなにおいしい食べ物だったことをすっかり忘れていた。記憶に残っていた以上に、目の前のラーメンは、スープから、麺から、具の煮かげんからすべて最高のものだった。

 「やっぱり仙台は良いな。こんなに美味しいものがいつでも食べられるんだもの」

 「どうも。それで仙台にはどのぐらいいる予定ですか」

 「一ヶ月ぐらい。仕事の都合もありますけど、久しぶりに来たのだから、少しゆっくりしたいと思って」

 「滞在中、ちょくちょく来てください。サーヴィスしますから」

 「ありがとう。うるさがられない程度に来ようかな。なんだかいい年をして学生に戻ったような気がします」

 「いいじゃないんですか。若いって言う証拠だ」

 「いらっしゃーい!」

 入ってきた客におじさんが威勢よく言った。私もその声につられて振り向いた。洵が、いや洵にそっくりの、今朝喫茶店で見た男が入ってきた。

 「すみません。ここいいですか」

 男は雪乃の隣の空いているスツールを指差して言った。

 「ど、どうぞ」

 私は彼の顔をまともに見られず、すぐに目をそらし、コップの水を自分のほうに引き寄せながら答えた。男はもちろん今朝喫茶店で、私と会ったことなど覚えているはずはない。

 「すみません」

 男はするりとスツールにまたがった。

 「やあー、今日は何になさいます? 味噌に大盛りもやしかな」

 「いつものように、すっごいな。そのとおり。いつも思ってたんだけど、どうして分るんだい?」

 「俺もだてにラーメン屋やってないんすよ。今、こっちのアメリカからいらしたお客さんにも話してたんですけどね。勘かな。子供のときから、ずっとお客さん見てきたから。

 いやね、こちらのお客さん、学生時代に仙台に住んでて、うちのといっても、そのときは親父がやってたんだが、お得意さんだったんですよ。『番町ラーメン』の看板に釣られて入って来られたんですよね」

 おじさんは私を促すように、私の顔を見てにっこりと八重歯をのぞかせた。

 「ええ、そうなんです。ぶらぶらと歩いていたら、ここの看板が目に入って、すっごく懐かしくなって入ったんです。でもまさか、昔と同じお店だなんて思いませんでした」

 私は隣の男の視線を感じながら、おじさんの顔だけをまっすぐに見て言った。

 「アメリカからですか?」

 私は隣の男の顔を見ないわけにはいかない。

 「ええ」

 男は私の顔をまじまじと見た。私も彼の顔を見つめた。男は半ば口を開き、唖然として私を穴の開くほど見つめている。まさか、まさか、私の頭の中が、まさかという言葉でいっぱいになった。

 男は、スローモーション映画を見ているように、ゆっくりと唇を動かし、言葉を形作ろうとしている。私は彼の唇を読もうと、一生懸命彼の口元に目を集中させた。

 「味噌、大盛りもやしいっ!」

 おじさんは山盛りに積まれたもやしの入ったどんぶりを男の前においた。

 「あっ、どうも」

 「もやし、大まけしといたよ」

 「すいません。いつも」

 「お客さん、どうですか。もう腹いっぱいですか」

 おじさんは食べるのをやめた私の器を見ていった。

 「あっ、いえ」

 「無理しなくてもいいんですよ」

 「そうじゃないんですけど、やっぱり昔と違って、少し胃が縮んだかもしれません。でもちゃんと全部食べます」私の声は思ったより高く出てしまった。おじさんと男は顔を見合わせて笑った。

 私は、一時隣の男からの凝視を避けられたことにほっとしながら答えた。

 「いや、本当に美味いからな。昔ながらの味を何十年も続けるのって難しいですよね」

 「俺はやっぱりこのラーメン業に限っては、親父を尊敬していてね、親父が作った味をそのまま続けて、お客さんに喜んでもらいたいと思ってんすよ」

 「僕も、その味のために来ている一人なんだけどね。僕も学生時代からこの店が気に入っていたということ話したよね。当時恋人がいてね、その人もラーメン好きで、僕らは一緒によく来たんだ」

 「へぇー、それは初耳だ。洵さんにもそういうことがあったんですか」

 「そうさ、もう二十五年以上も前の話だけどね。憶えていますか?」

 洵は、雪乃の方を向いて言った。



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