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杜の都  作者: 武田道子
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気になる存在

 歩道橋を降り、人ごみを縫って私は青葉通へ出た。私だけではなく、仙台に住む人なら、仙台を訪れた人なら、誰でも青葉通りのケヤキ並木の美しさに感嘆する。

若葉にはまだちょっと早いが、わずかに開いた蕾のような柔らかな新葉を一杯につけた木々は、私の心にホームシックになったときのような気持ちをわきあがらせた。そしてこの木々は、あと二週間もすればしなやかな枝を萌黄色で飾ることだろう。

 駅前近辺の雑踏や雑音とともに、市バスやタクシーの吐き出す排気ガス、鯛焼き屋、パン屋、様々な音や匂いが入り混じって、私の聴覚と臭覚を襲ってくる。都会の、仙台の私の覚えている匂いだ。懐かしさで胸がつまる。 ここに住んでいた頃は、身体全体がこんな都会の環境に融合していたのだ。

 十年前に帰国したときは、夏のファミリーヴァケーションで、観光地を周っただけで、仙台にはほんの数日滞在し、高校時代の親友と会っただけだった。娘たちに日本を知ってほしかったことや、夫が何よりも日本ファンだったので帰国した。

 今回は仕事のためということもあり、初めて一人で帰国。家族そろって帰国したときはなんだかツーリストといった感じだったが、今この街の中にすっぽりと包まれた私は、それとは違って、二十五年という空間が私の目の前で消えていた。消えるも消えないも、私にとって二十五年前と現在の時間は、今隣同士に存在している。ちょうど昨日と今日のように。

私が年をとったことも、行きつけの喫茶店やブティックや店が二十五年前と違っていても、私の心も、身体も着慣れた服のようにすっかりこの街に馴染みきっていた。

 仙台の町はいつも新鮮に私の目に映る。それは杜の都と呼ばれるように、樹木が街の中にも青々と茂り、町全体が山脈や丘陵に抱かれているからかもしれない。しかしそればかりではない。それは私の青春がまるごとこの街の中で息しているからだ。二十五年の月日を越えても、街は大切に大切に私の青春をいつくしんでくれていた。

 私は宝探しでもするかのように、一つ一つの建物から、道路サイン、バス停の名前などを辿っては、置き去りにされた私の思い出を見つけていった。

知らない顔が何十人もすれ違っていっても、私は同じ町を同じ道を歩いているということで、その知らない顔にさえも親しみを感じていた。

 一番丁は昔と変わらず賑わっていた。ざわめきながら、人々が河のように流れていく。私はその流れの中に飛び込もうかどうしようかと迷ったが、左に向かって流れる雑踏に足を踏み入れた。

 わたしは、何十回いや何百回この道を歩いたことか。一人で、友達と、そして洵と。私達は、いったい何を話しながら、この道を歩いたのだろう。・・・なんにも憶えていない。

 覚えているのは、言葉ではない。音、匂い、手の温もり。ただそのような感覚が、私の思い出を目覚めさせる。

 顔や姿にばかり気を取られ、喫茶店で見た男の声はぜんぜん記憶にない。確かに喫茶店の主人と男の会話を聞いていたのに。洵の声を今聞けば、私の耳は覚えているだろうか。もし覚えているとしたら、さっきの男は洵であるはずはない。

 わたしはいつのまにか、T大学の裏門まで来ていた。ここでは何の木か若草色の若葉がさらさらと、古めかしい石の門を飾っている。

 私達は、授業の後四五人で、このルートを通って、一番丁に出た。ラーメン屋、お好み焼き、お汁粉屋、喫茶店と、まだ食べ盛りだった私達は、少なくとも二三軒はしごをした。

 洵も折々このグループに混じってきた。そして彼の彼女も。

 私達がわいわい議論しあっているときも、藤子は口数が少なく、ほとんどといって議論に参加することはなく、洵のそばを片時も離れずに、傍観していた。きれいな人で、都会的で、彼女の沈黙など、男の子たちは気づいてもいないようだった。ただ彼女がそこにいるということが、彼らをうきうきさせていた。

 洵は鼻筋が通り、黒い目がいつもキラキラと光っていた。笑うと口の両脇にしわができ、端麗な顔が子供っぽくなった。誰が見ても洵と藤子はお似合いのカップルだった。

 「橘君と田村さん、お似合いのカップルだと思うけど、橘君時々上の空って感じに見えない。田村さんはいつも橘君の腕にすがって、なんだか橘君は、ブランドもんのハンドバックでも持って歩いているよう」 

 「和子、よく観察してるのね。橘君に気があるの?」

 「まさか、ハンサムだとは思うけど、ちょっと気難しそうじゃない」

 「そうかな。結構ユーモアもあって面白い人だと思うけど」

 「熊谷先輩は、頭も良いし、彼に圧倒されないからいいけど。私は人にプレシャーを感じさせないような人が良いな」

 「俳優の田村正和なんて感じ?」

 「そうそう、ああいう感じ」

 「ねっ、それじゃ、伊藤進君なんてどう?  彼少年ぽくって可愛いよね」

 和子が別なクラスメイトの名を上げると、玲子はぽっとほほを染めた。

 「あれっ、玲子、冗談のつもりだったんだけど、彼のこと好きなんだ」

 男子生徒がいっしょに帰らないときは、私達は遠慮なく彼らの噂話をし、大いに楽しんだ。

 私達は誰もボーイフレンドを持っていなかった。

 「雪乃はどうなの?」

 「どうって?」

 「橘洵のことどう思う?」

 「どうって、別にどうも思ってないけど。頭が切れて、かっこいいってぐらいかな」

 「そうでしょ」

 「そうでしょって、別にそれだけよ。彼にはガールフレンドもいることだし、私には関係ないわ」

 「わたしだったら、橘君のような人、ボーイフレンドにしてもいいけどな」

 和子は半ば冗談とも本気ともいえないような言い方をして、笑った。

 「じゃ、さっきまさか何ていったのはうそなんだ」

 熊谷先輩は、からかうように言った。

 「そんな・・・・」

 「いいじゃない。好きだって。誰に迷惑がかかるわけじゃないし。私達は、二十一世紀の言論、行動の自由の、幸せな国に住んでいるんだからね。恋愛も自由。みんな今のうちよ、どんどんやっちゃいなさい」

 「先輩は?」

 「私? 田舎に、許婚がいるんだ」

 「へぇ、今時? 古いんだ」

 「そうだけど、私、けっこう彼のこと気に入ってるんだ。小さな開業医をしていて、だから私、しばらく看護師してたんだけど、本当は、ジャーナリストになりたかったの。それで、そのこと彼に話したら、許婚いいなづけというだけで、職業まで、別にあわせなくたっていいって言われたの。親たちはびっくりしていたけど、私達が話し合ってオーケーしたんだから、何とも言えないよ」

 「素敵な彼じゃない」

 「まあね」

 「わぁー、なにそれ、のろけ」


 大学の友達とは、ぜんぜん交流していないので、彼らがいまどこで、なにをしているかなんて、ぜんぜん分からない。けれどこうして大学の構内を歩いていると、別に取り立てて思い出に残るようなことじゃない、ごく普通にあったことが、鮮明に思い出される。

 玲子だけは、高校からの付き合いだったこともあって、今でもメールのやり取りなどを時々している。彼女は、初恋の人、伊藤進と卒業後めでたく結婚し、熊本に住んでいる。彼女は結婚も早かったので、二人の子供たちも成人し、それぞれ社会人になっている。



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