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杜の都  作者: 武田道子
14/18

若菜の写真

       14 

 僕から春香ちゃんに分かってもらえるように話すと洵は言った。春香からは何も言ってこない。何も言ってこないのが良いのか悪いのか。私に相談できるような問題でないことは確かだし、あの子の性格からして、辛ければ辛いほど親には話さないだろう。私が気を揉んでもどうしようもないのは分かっているのだが、洵の親としての気持ちも、春香の気持ちも、鳴き時雨れるせみの声のように胸の奥まで沁みこんでくる。

 「お母さん、今日家にいる?」メール着信音が鳴って、携帯のメールを開くと若菜からだ。

 「珍しいね。若菜からのメール。いるよ」私はすばやく返事を送った。

 「じゃあ、お昼ごろ行っていい?」即座に返事が返ってくる。

 「いいよ。お昼食べる? おそうめんぐらいなら作れるよ」

 「うん、食べる。じゃあお昼ごろ」

 

 鼻の頭に汗の玉を光らせ、若菜はお昼少し過ぎて一人でやってきた。

 「ああー、アッツ!」挨拶も何も前に出た最初の言葉に、わたしは思わず笑ってしまった。

 「ホント。でもこの前自然に汗をかくのが好いなんて言ってなかった」

 「言ったよ。今でもそう思ってるけど、でも本当にアッツイ! 麦茶あるー」

 「たくさん作っておいたよ。若菜のために」

 若菜はにっと笑って台所へ消えた。

 「お母さんもいる?」

 「うん。じゃあ一緒に飲もうか。ちょうど仕事もきりがついたし」

 琥珀色の麦茶を傾けて、縁側から僅かに入る微風が心地よい。

 「春香はどうしてこなかったの」

 「バイト」 

 「少し退屈になってきた」

 「ううん。そんなことない。写真を整理したから、お母さんに見せようと思って」

 「そうなの。うれしい。春香もあなたの写真とってもいいって言ってたもんね」

 若菜は持ってきたノートパソコンの天板を開きすばやく操作し始めた。何千もの写真が一瞬の中にアップロードされる。便利な世の中になったものだと私は次々と変わる画面を見て思う。ついこの前までは誰もがフィルムを買い、写真は現像されて出てくるまでは、どのように撮れたかは解らなかった。今は撮りながら撮ったものがすぐ見られ、編集もできる。何よりも撮る数に際限がない。アルバムなんて誰も作る必要はなくなった。誰もがそこそこのフォトグラファーになれる。

 いくつものフォルダーの中から、「日本、夏休み2012」がクリックされた。そのフォルダーの中もさらに区分され、カテゴリー事に分けられている。

 「わー、すごい量だね。これだけ整理するの大変だったでしょ」

 私は感嘆の声を上げた。

 「まあね。でもなれてるから簡単だよ。それに写真撮る度に整理するから。お母さんのパソコンと大体同じだから自分で見る? たいていは観光写真じゃないから、説明は要らないと思うけど」

 「分かった。じゃあ見せてもらおうかな」


 若菜の写真は彼女が言ったとおりだった。観光写真といわれればそう見える写真もあるが、ほとんどが人と自然、人と町、人の日常生きている姿だった。カメラを意識していない人々の表情は豊かで、どれも確かに生きている人びとの姿だ。

 カメラを向けられてはっとびっくりしたような顔の中に嬉しそうな恥ずかしそうに光る目。五六才ぐらいの子どもだろうか。今では珍しい小さな雑貨屋とおばさんの周りに集まっている子どもたち。百円ショップでの真剣なまなざし。サンモール一番丁をグループになって歩く制服の女子学生たち。連続的に撮られたその写真は、少女たちの感情の波が手に取るようにわかる。若菜と同じ世代の女子学生たち、いつも見て知っていると思っていた娘たちの別な姿を見るようだ。黄昏、闇が深くなった街は変身する。ごちゃごちゃと込み合いながらさまざまな色と活字が、狭い路地を飾る。首筋の白さが暗い路地に浮かび上がる。重たそうなかばんに片側の肩が下がっている。空いているほうの手が屋台の暖簾に触れる。暖簾と暖簾の透き間からの光。

 「これは俊君の・・・・」私は入り口と門の表札が小さな飾り電気に縁取られた「明生」の写真を見つめた。  

「俊君の家」

「『明生』の表札が良く撮れてるね。どこかの民宿か旅館みたい」

 「そう見える?」

 「夜の写真だからよね。暖かくて、いらっしゃいって招かれているような感じ」

 「良かった。そういうふうに撮りたかったの」

 「お姉ちゃんは毎日お見舞いに行くのよ・・・って言うか、会いに言ってる見たいって言うか・・」 

 若菜は言葉を少し濁した。 

 「春香は俊君が好きなんだね」

 「バカだよ」

 若菜ももちろん感じている。春香が特別な思いを持っていることを。

 「あなたに何も言わないの?」

 「とくべつ何も。最初は勇君がバイトで行けなかったりするから、その代わりに行ってあげてるのかと思ってた。でもそれだけじゃないみたいなんだ」

 「それで若菜はどう思ってるの。バカの他に」

 「悲しくて可哀そう。でも二人ともちゃんと現実に生きているんだよね。それでなんか納得してる」

 一瞬風が濡れたように光る縁側をすべるように吹きすぎた。若菜は一息で残った麦茶を飲み干した。

 「でもお姉ちゃんと俊君の写真を撮りながら思ったんだ。こういう恋もあるのかなって。二人の写真を撮りながらもしかして俊君はお姉ちゃんの存在を感じているのかななんてね。この俊君幸せそうに見えない」

 いろいろな角度から撮った二人の写真は暖かく幸せそうに見えた。人を思っていると言うことは、人を光らせるのだろう。人の世界で永遠に続くものは何一つない。今思う気持ちを明日に持ち越すこともないかも知れない。純粋に自分の気持ちを大切に生きることはあんがい難しい。駆け引きは恋人同士の間にも存在する。洵の言ったことや、彼の親としての気持ちは私にも良くわかる。でも私はこれらの二人の写真を見て、やはり今を大切にしている春香を見守ってやろうかなとあらためて思った。

 「お母さん、こういうゲイの人たちってゲイじゃなくなることってあるのかな」

 私たちはモデルのように美しい青年二人が小指をつないで歩いている写真を見ていた。

 「さあねー。ゲイとかそうじゃないとかって言うのは、チョイスじゃなくて生物学的にそういう遺伝子を持って生まれてきているって聞いてるけど。私も詳しいことは良く知らないのよ」

 「もし遺伝子の作用だったら、ゲイはゲイのままってことよね」春香は独り言のようにつぶやいた。

 「日本でもこうして若い人は自分たちの気持ちをまっすぐに表に出しても、社会が受け入れるようになったのね」

 「どうだろう。ある意味ではそうかもしれないかな。なんか流行みたいな物真似の人も結構いるみたい。メディアやドラマなんかでもゲイをテーマにしたものがあるから、かっこいいなんて思ってる中高生なんているみたいよ。それかいじめにあってるか」

 「そうなの。でも同性愛はずっと昔から、人の歴史をさかのぼればあったことだし。ただ現代のように公にはしなかったし、できなかったから、日陰の存在で変質者だと思われていたものね」

 人を愛するのに規則はない。人に恋をするのはそういう気持ちがいつの間にか心の中に存在しているものだ。誰も恋をしなければならないからする人はいない。それは異性に対してもそして多分同性愛にしても同じ事なのだろう。

 「ゲイの人に恋をしたらどうなるんだろう」

 「ゲイじゃない人がってこと?」

 「うん」

 「さあね。ちょっと難しいかもね」

 「そりゃそうよね」

 若菜はしばし写真を見ながら物思いにふけっていた。誰かを好きなのかな? その子ゲイなのかなと私は親の勘で思った。もしそうだとしたら、春香も若菜も何でわざわざはっきりと報われることのない人を好きになるんだろう。素敵な人は山といるのに。

 「みんないい写真だね。人びとの表情が生き生きしていて。こういう人びとの何でもないときの顔の表情って、自分で自分の顔の表情を見ることができないから、胸に迫ってくるものがあるよね」

 「ありがと」若菜はぼんやりとした声で言った。

  ノートパソコンを閉じるともう午後二時を過ぎていた。若菜が来てから麦茶だけしか飲んでいなかった。

 「若菜ごめん。お腹すいたでしょ。おそうめんすぐできるからね」

 「ああ、お腹すいてたの忘れてた。今朝から何も食べてなかったんだ」

 そういうと若菜はごろっと縁側に寝転がった。さらさらと風で揺れる桜の木の影が若菜を覆う。枝と枝の間から光が踊る。蝉の声が胸に迫る。「私ってバカみたい」若菜は深いため息をついて思った。


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