運命と現実
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いざ家に帰ってみると、まだ一週間しかたっていないのに、仙台に住んだ一ヶ月ちょっとが懐かしく、ホームシックになっている。
ただ洵からの短いメールが毎日来るようになったことが、筆不精の私の友達に代わって、もっと間近に日本との空間をつなぎ合わせてくれている。けれども洵からのメールは個人的なことにはほとんど触れていず、たいていはその日の珍しい記事の記載。今夜のイヴニングニュースと言ったところだ。たまに杜の都のマスターと話した事などが書いてあると、
私はむずむずと郷愁を感じてくる。私はもっといろいろ洵の日常の事を聞きたかった。例えば俊君のこと。何も変わりはないかもしれないが、それでも気になった。俊君のことといったが、洵のことといったほうが正しいかもしれない。親として・・・ 私は元気にはつらつと、屈託なくしている我が娘を見るとなおいっそう、洵の心の歪を思う。
私たちぐらいの年代になれば、もうそれぞれが家庭という小さな惑星で暮らし、仕事という別な惑星との間を引力だけで結ばれているような生活をしているので、誰かと深い友好関係があったにせよ、いつしかそれぞれの軌道に乗ってしまった惑星たちが出会うことは難しい。そんな時洵はあの小さな飲み屋に独りで行って、心を癒しているのだろうか。知らなければよかった。会わなければよかった。見なければよかった・・・胸が痛む。
家に帰り、久しぶりに自分の集めた資料などを整理していると、私は昔洵が走り書きをして私の貸したノートにはさんであった原稿を見つけた。若かりし頃の彼のつづったちょっと理屈っぽい、分かり難い彼の散文の一部だった。彼の文章は始まる。
偽りに形を変えることは無かったのですが今、そうでは無い姿を見たときから、私の胸の中では何故か偽りに似た叫びを求め続ける。人間の運命「人生」とは正しく、その人生「運命」の不可解さを、そしてそう運命づけられた人間の矛盾さを語っているように思われる私である。しかし、それを見付けるのはその人間であり、かつその人生である。私はそこに逃避することのできない、自己の意識を見つけた。
自己否定による理想的な世界では無く、あくまでも自己の生ける現実に、その姿を見つけるべくして見ることのできた意識ではなかろうか。
過去における自己の発覚に目覚めることが現在の自己の感覚に比べて、その自分に感受し表現のしようが無いのと同じように、私は現在にして、その理想というものが、いかにその意識の中で否定的であるかを感じずにはいられない。・・・中略・・・
「美しさ」とは、私にとってあくまでも永遠なものであった。否! そうありたい、そうあるべきだと考えていた。そして、今、現在はそれについて何も言うことができない。自己疑問によるその世界の矛盾、というよりも、自己の世界、それ自体の存在が否定的存在なのかもしれない。
「美」を私は求めてきました。それは間違いではないでしょう。しかしそれを求める自己の世界の存在と、それ自体に間違いがあるのかもしれないのですが・・・。
今再び読みなおすと、いまだに私の能力では解せない彼の文章だが、それでも彼の悶々としたあえぎ、青春の猛りが切なく伝わってくる。人は暗闇から生まれる。視覚があるということで、人は自分たちが暗闇から開放されたと思っている。だが洵は知っていた。少なくとも暗闇の存在、それが何かしら混沌とした世界であること。それらは自身の意識でありながら、不確かで、自分自身でもよく分からない存在で、己の人生を生きることでしか到達しうることができない存在であること。
二十五年の月日が流れ、洵は現実を生きることだけをしてきたようだ。現実と向かい合うことだけを強いられて、彼が予測していた、あるいは想像していた、あるいは信じていた理想や美は、きっと彼の思考のどこか奥の奥へとしまい込まれてしまったにちがいない。
すべてにおいて、過酷な現実を経験することによって、かれは現実をそのままの形で受け入れた。藤子さん、俊君、自分がかかわっていながら、どうすることもできない口惜しさ。目の前を行く運命という大河の流れを、せき止めることも、横切ることもできずに、時にはひざまずくことしかできない限られた力。
それでもその運命をどう乗り越え、対処するかによって、その結果はさまざまに変わってくる。そしてそこには否は存在しない。どんな形の結果、たとえばマイナスの結果であっても、それは肯、人生において存在しえる可能性を持ち、いつか誰かの人生において、現実化するもの。洵も私も今それが分かってきている。自己の存在が、意識内であっても意識外であっても、どちらも同じようにともに存在していること、そしてそれは、夢でも、理想でもなく、人として生きている限り、ごく当たり前の事実であること。時に人は自分を知ることを恐れる。未知のものはどんなものでも、やはり畏いものだ。ましてや自分自身のことならなおさらのこと。
洵からは俊君のことも、勇君のことも聞くことはできないが、春香は折々メールで二人のことを書いてくる。最近は俊君の話題のほうが多くなった。「勇君がバイトで行けないときも、私ひとりでお見舞いに行きます。勇君がしてあげるように、モーツアルトのホルン協奏曲をかけてあげて、本を読んであげます。最近俊君にそうしてあげていると、不思議に私の心も穏やかになります。お母さん、変でしょ。何年もこの寝た状態でいる俊君を最初はとてもかわいそうだと思いました。でも今は寝ていても、こうして家族から愛されている俊君は幸せな人ではないかと思うようになりました。一番つらいのはやっぱり、勇君とお父さんだと思います。だから私はできるだけお見舞いを手伝ってあげようと思います」
春香のメールに書いてあった。あの子にも分かっている。誰が一番つらい思いをしているか。
「お母さん、今日俊君が眼を開きました。でも開いただけで、何も見ていない目でした。そばにいる私にも、何の反応をも示しませんでした。私はそっと彼の手をとってちょっと強く握りました。でもそれさえも何の反応もありませんでした。なんだかとても悲しく、やるせない気持ちにさせられました。でも目を開くことは、俊君の脳のどこかが、そうさせていることよね。もしかしたら、反応をしないのではなく、できないでいるのかもしれません。そう信じようと思います。お母さんも言ったでしょ。死んだ人を生き返らせることはできないけれど、命ある人には奇跡が起こるかもしれないって。もし俊君がただ反応できないだけで、本当は何もかも見えて、聞こえているとしたら、私があきらめないで、思ってあげてたら、彼ももっとがんばろうって思えるかもしれないでしょ」
たとえ一パーセントの可能性でも、可能性には違いないと私もそのほうを信じようと思う。生きているってもしかしたら、そのように単純なことなのかもしれない。一パーセントも百パーセントも、どちらも可能性には変わりない。春香は「私が」あきらめないで思っていてあげていたらと言った。「私たち」ではなかった。
「お母さん、ああいう風にただ横になっているだけでも、俊君は生きています。その証拠に昨日行ったら、俊君の髪は短くなっていました。ウエーブのある髪がふわりと額にかかっていて、白い耳たぶも見えました。なんだかずーっと若くなって、子供みたいに見えます。俊君はきっとお父さん似なのでしょう。勇には似ていません。げっそりはしているけれど、俊君はハンサムです。だからというわけじゃないけど、私は俊君が好きです。彼のことは勇に聞いたことしか知らないけれど、俊君がホルンを吹いている様子なんかが、はっきり見えてきます。少し変だね」
日がだんだん長くなると、同じ一日でも、なんだか少し得をしたような気がする。若菜の学校も明日から夏休みになるという時、出版社からメールが来た。今回翻訳の特別企画があり、ちょっと長引きそうなので、また日本に来てくれないかという依頼だった。本社にもたびたび足を運んでもらえると、ありがたい。インターネットでのメール交換、電話よりもやはり直接あって話ができること、人と人のふれあいが、特に翻訳となると、当社は重きを置いているので、そちらの都合もあるだろうが、ぜひ承諾していただけることを願っている。なお旅行費は当社払いです。という内容だった。ちょうど若菜も夏休みだし、あの子にも、もっと日本を見てほしい。
若菜に事情を話すと、飛び上がらんばかりに喜んだ。早くも一件落着。家を完全に放棄していくわけにも行かないので、留守中家を見てくれる人を探さなければならないこと以外は、何も問題はない。
春香に話すと、大喜びだった。特に若菜が今回は一緒に来ると分かると、自分のアパートに来るようにと、おお張り切りだった。私の子育ても、まんざらではないか。こうして二人の娘が健康で仲良く育ってくれている。と思うと同時に、洵の息子たちのことが頭をかすめた。何がどうしてこうなったのか、偶然か、運命か・・・分からない。ただ洵のことを思うと、のほほんと自分のことだけを喜こんだ心無さに恥じ入った。
嬉しいことに、私はまた杜の都のマスターの家のはなれに住まわせてもらえることになった。洵からのメールで、マスターは雪乃のために、はなれをいつも空けて置くので、日本滞在中はいつでも気軽に使ってくださいとのことです。といつものことながら、洵のメールは用件のみだった。もう少し何か言ってくれるのを期待していた私は、少し寂しい気持ちがした。せめてお世辞にでも、また会えるの楽しみにしてるよ。ぐらい書いてくれても・・・なんて子供じみているかもしれない。いい年をして、私はいつまでたっても、昔からの少女趣味から抜けられないらしい。