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杜の都  作者: 武田道子
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喫茶店杜の都

 杜の都    

             

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 仙台駅三階の喫茶店「杜の都」で私は一番好きなガテマラを味わっていた。私は翻訳の仕事の依頼があったことと、娘が留学して来ているので、彼女と久しぶりに会うこともかねて、一週間前にシアトルから来ていた。

しばらくぶりの仙台でも、やはり私の心が、 目が、身体が私の第二の故郷である仙台を全部覚えている。私はぼんやりと、座っている客や店に入ってくる客を見ていた。時折耳に入る近隣の人々の話す東北訛りが、なんとも懐かしく、私はすでに自分が異邦人であることも忘れて、自分がやはり日本人であることがとても嬉しかった。

 ガラスの扉を押して、背の高いすらっとした男が入ってきて、コーヒーカンターの高いスツールに座った。

 「いらっしゃい。いつものキリマンジャロでよろしいですか」この店の主人らしき人が親しみ深げに言った。常連らしい。

 「ええ、お願いします。すっかり春らしくなりましたね」

 「今日は朝から天気も良くて、桜前線も近づいて来ているようですよ。西公園の桜が、三部咲きだとか、お客さんが言ってましたよ」

 私はウェーブのある白髪混じりの、からし色のタートルネックの男を凝視していた。まさか・・日本狭しといえ、偶然であるはずもなかった。あれから二十五年の月日がたっていた。十年ぶりの仙台が、私をタイムマシーンに乗せて二十五年も昔へと連れ戻したとか?・・・

 懐かしさとは私の心を、潜在意識を、弄ぶのだろうか。それにしてもカウンターの男の横顔は・・・本当に似ている。彼が年を取ったとしたらきっとこんな感じなんだろう。コーヒーを片手に持ってきた本を読んでいる。

 私は馬鹿みたいに、一瞬あわてた自分をおかしく思いながらも、彼から目をそらすことができなかった。日本人でも結構素敵なおじさんがいるんだ。私はまだ出版社の人との待ち合わせの時間にも早かったし、彼をもう少し観察しようと思った。

 そういえばまことも冬にはいつもタートルネックのセーターを着ていた。男性にしては、首の長い彼はタートルネックのセーターがよく似合っていた。ある冬に私達はおそろいのチョコレート色のタートルネックのセーターを買って着た。

 あの時私はアメリカにきて住むなんてまるで考えてもいなかった。私はひそかに彼と結婚できれば良いと思っていた。チョコレートがとろりと溶けるように、私達の心も恋という暖かさで溶け合っていたと私は思っていた。

 「もう一杯いかがですか。僕のおごり。今日ブルー・マウンテンが入ったんですよ。これは僕のお気に入りでね、美味いんですよ」

 カウンターの男は本から目を上げて

 「うわぁー、いいんですか。僕も好きなんですよ。けど高いでしょ、だからいつもキリマンジャロ」

「知ってますよ。さあどうぞ」

「いつもすいません」

 店の主人も男も同じように、鼻までコーヒーカップを持っていき、目をつぶって匂いをかいだ。一口コーヒーを口にすると、数秒その味と香りが口の中で放散するのを楽しんでいる。主人はもちろんのこと、カウンターの男もかなりコーヒー通らしい。

 「いや、美味しい。久しぶりだな。マスターの入れるコーヒーはいつも美味しいが、これは格別だ」

 「そういってもらうと、僕も嬉しくなっちゃうな。最近はやっているコーヒーは、コーヒーへの侮辱だね。スターバックスのコーヒーなんかは、フレーバーつきで、コーヒーとミルクシェーキと間違っているんじゃないの。この前なんかびっくりしたよ。なんだかアメリカのホリデーで、聖パトリックデーというのがあって、誰もがその日には、アイルランド人になるとかで、緑の三つ葉のクローバーがその日のシンボル、緑の服を着るとか、なんでも緑を身につけるそうだ。それで、スターバックスでは、その日のスペシャルドリンクが、ミントチョコレートコーヒーだった。コーヒーにそんな味をつけるなんて考えられないね」

 「いやー本当に。おっ、時間だ。本当にごちそうさま」

 男は腕時計を見て、言った。最後の一口を飲みほすと、本をとじ、スツールを半回転させ、すべるように床に降り立った。

 男と私の目が合った。ほんの瞬間のことだったが、彼の目が私の上にとどまったような気がしたのは、きっと私の思い違いにちがいない。けれども本当に正面から見た感じも洵に似ていた。

 洵が、仙台に住んでるなんて考えられないし、たとえ住んでいるとしても、彼にこの広い街で、偶然でも会える機会など、落としたコンタクトレンズを探すようなものだ。

 出版会社の人とミーティングを済ませて、駅前通りに出ると、外は暖かく、人々の装いも、春らしく華やいでいた。

 私は、少しぶらりと歩いてみようと思った。昔学校へ通った道をたどって。せっかくタイムマシーンで二十五年前に戻されたのだから

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