嘘③
俺は《広瀬海斗》という偽名を使った。
本当の名前を言っても信じてくれないだろう。
「広瀬さんは、どうして医者になろうと思ったんですか?」
「えっ、。」
そうだ、俺の研修先は病院。美波に理由を聞かれて戸惑った。
「...その、人を救いたいんだ。病気で苦しんでる人もそうだけど、君みたいに心で苦しんでる人も僕の手で変えたいと思ったんだ。」
とっさに思いついた言葉だった。でも9年前、俺は同じことを思っていたのかもしれない。恵美子さんの病気も、母親のことで苦しんでる美波も、14歳時の俺は助けたいと思っていた。恵美子さんは俺が幼い頃から本当に良くしてもらっていたし、親同士も仲が良かった。
「へー!すごいですね!心の傷も癒してくれるなんて。今は勉強や部活に追われていろいろと疲れてるみたいです。少し休んだ方がいいですよね。」
美波は苦笑しながら俺の方を向いた。
「焦らなくていい。心を落ち着かせて、またお母さんのとこに行ってあげてよ。美波の気持ちが変わらないとずっとこのままだからね。お母さんも病気を治そうと頑張っているから。」
「広瀬さん、とっても優しい人ですね。今の広瀬さんの言葉でまた、お母さんに会って話そうと思えました。」
「そっか、良かった。ありがとう。」
美波は笑ってくれた。眩しい笑顔だ。
「...それで、、。あの...。」
「ん?」
美波が俺の顔をそっと覗き込む。
「...私も《海斗さん》って呼んでも大丈夫ですか?」
「...ッ!!」
俺、さっき思わず《美波》って呼び捨てにしてしまっていた。俺は今大人で、佐島海輝じゃないのに...。
「ご、ごめん!つい...。」
俺は慌てて顔を手で覆った。きっと顔は真っ赤だ。耳まで熱いのが分かる。
「ふふふ。海斗さん面白いですね。大丈夫ですよ。さん付けよりも、呼び捨ての方がいいです。」
「...そう?」
俺は指の隙間からチラッと美波の顔を見た。
笑っている。あの時の笑顔だ。いつも見てた笑顔。また顔が熱くなる。見た目は大人でも、俺の心はまだまだ子供だ。やっぱり、好きな人の笑顔を見るって幸せなことだ。
「すぐそこに自販機あるから、ジュース買ってあげるよ。」
しばらく2人でいろんな話をしてたっぷり笑った後、美波が学校に戻るのいうので俺も帰るのことにした。
「えぇ!いいんですか?……んーと、どれにしようかな。」
_ピッ、ガコンッ。
「...え?」
俺は美波がジュースを選んでる間に1番隅のボタンを押した。
「ミルクティー。これでしょ?」
ミルクティーを美波に渡した。美波は口を開けて呆然としている。
「な、なんで分かるんですか?!私の好きな飲み物!!」
「んー、勘かな?男の勘ってやつさ。」
本当は勘なんかじゃなくて、ただ単に美波の好きな飲み物は知っていた。小さい頃からずっとミルクティー一筋。
「えー!男の勘ってなんですか!初めて聞きました!」
そりゃそうだ。
「ありがとうございます!!私、ミルクティー大好きなんですよ!ミルクティーあるかなーと思って探してたら急に海斗さんが押すからびっくりしました!」
また笑ってる。よく笑う奴だな。
美波はミルクティーを手に持って俺と一緒に学校へ向かって歩いた。海が見える広い道を歩いた。涼しい風が俺たちを包み込む。いつまでこの世界に居れるのだろうか。できるならずっと居たいと思ってしまう。俺が子供なら...。美波ともっと自然に話せるのに。9歳という大きな差が俺と美波の壁を作っている。隣で歩いていても少し遠くに居るようだ。
「...私、あの水平線の向こうの世界が気になるんです。生まれた時から海が見える環境で育ってきました。この海星町は星が見える夜でも、海は静かに私達を見守ってくれている。だから《海星町》って名前になったんです。素敵な町ですよね。」
美波は立ち止まって青く輝く海を眺めて言った。
海星町の名前の由来はよく美波から聞いていた。
「そうなんだ。知らなかった。」
「私が海斗さんに、海星町のいいところたくさん教えます!だから……また来てください。私、よくあの公園にいるし、夕方頃なら部活終わりで学校の近くにいますから。まだ海斗さんに話したいことたくさんあるんです。だから、約束...ですよ?」
「...うん。」
ついていい嘘ってこういうことを言うのだろうか?顔は赤く、熱くなるばかり。俺は思わず下を向いた。まだ気持ちは伝えなくてもいいかもしれない。まだこのままがいい。まだ...この世界に居たいんだ。