かがみの国の王様
ある日、あるところに住む男の子がかがみの中から王様によばれました。
「余は王様である。よって余の命令は絶対なのである!」
胸をそらしてえらそうに王様は男の子に命令します。
その姿は男の子とそっくり同じでした。
「ぼく?」
「余は王様である。命じればすべて思いのままだ。よって命令する」
男の子はわからないままに頭をかしげます。
「余のかわりに王様になるがいい!」
王様は笑いながらかがみを通りぬけてかけていきました。
男の子はぽかんとそれを見送ります。
「ぼくのかわりになったっていいことないのに」
男の子はゆっくりとまわりを見ることにしました。
「ぼくの好きな色だ」
壁はきれいな青色です。お気に入りのおもちゃのスポーツカーの色です。
海賊船のベッド。宝箱のおもちゃ箱からあふれるおもちゃの数々。毒きのこみたいなつくえの上にはクレヨンと真っ白な画用紙。転がる小さな木琴。
きっと、ここは王様の部屋なのでしょう。
「ぜんぶ、ぼくの?」
「そうですよ」とこたえたのはカンムリを頭にのっけた女の子でした。
男の子はその顔を見てびっくりしました。
「おねえちゃん!?」
女の子は大きな声にびっくりしたのか耳をおさえてしゃがみこみました。
「ごめんなさい」
「ああ。びっくりした。いきなり大きい声はいけませんわ。王様。わたくしは、春の女王です。王様のおねえさまではないのです」
春の女王と告げた女の子は立ち上がってにっこり。
さかさまチューリップみたいなドレスでくるんとまわって見せる得意げな表情は男の子の知るおねえちゃんのものとはたしかに違いました。
男の子の知るおねえちゃんはいつだってふきげんでイジワルなのですから。
「ここは王様のお部屋。あなたは王様。だからここは王様のお部屋。あなたのお部屋」
春の女王様はかろやかに回りながら歌います。
伸ばされた手が男の子の手をつかみます。
「王様は決められたお仕事をして、わたくしたちを導くのです」
男の子はよくわからなくて頭を揺らしました。
「ぼく、なんにもできないよ」
男の子は自分がお仕事をできるとは思えませんでした。
お洗濯物もじょうずにたためませんし、じょうずにお歌も歌えません。
おねえちゃんになんど「なんど言えばわかるのよ」と言われたことでしょう。
春の女王様はくすくす楽しそうに笑っています。
「王様のお仕事は女王たちとおしゃべりして遊ぶこと。そして、日暮れまでにお部屋に帰れるように命令することですよ。今日はわたくし、春の女王の日なのです。遊びましょう。王様」
男の子はそれでいいのかと一緒に遊びます。
おなかがすいたら女王様が男の子の好きな食べ物を持ってきてくれます。
春の女王様を日暮れ前に送り出すことは男の子にはとってもつらいお仕事でした。
次の日は夏の女王様が遊びに来ました。
元気いっぱい振り回してくる女の子で男の子はびっくりしたもののやっぱり楽しく遊びました。
あやうくお昼寝から起きそびれるところでしたがちゃんと日暮れまでに送り出すことができました。
その次の日は秋の女王様でした。
夏の女王様は春の女王様よりお姉さん。
秋の女王様はその夏の女王様よりもお姉さんです。
じょうずに遊べるのかが男の子には心配です。
秋の女王様はにこにこと絵本を読んでくれたり、一緒にお菓子を作ろうと誘ってくれました。
ちゃんと手を洗って、準備してもらったかたまりをこねこねとこねます。
「次はお歌を歌いましょうね」
秋の女王様は日暮れ前に帰っていきました。
その次の日は冬の女王様でした。
男の子よりずっとずっとお姉さんです。
「おはようございます。王様。ワラワは冬の女王です」
ご挨拶をされて見惚れていた男の子は慌てて頭を下げます。
「おはようございます」
冬の女王様はにこりと笑います。
「朝ごはんはいただきましたか?」
頭を振って食べていないことを示す男の子に女王様はしゃがんで視線を合わせます。
「朝ごはんは食べなくてはいけませんよ。王様は何がお好きですか?」
「たまご」
男の子は覗き込まれて恥ずかしそうにそわそわ答えました。
冬の女王様との時間はとても静かに過ぎていきます。
おしゃべりはありません。
なにかをしようと女王様からは誘ってくれません。
「ごはんをいただきましょう」「お昼寝をしましょう」とは言ってくれましたけど。
冬の女王様は日暮れよりずっと早く帰っていってしまいました。
男の子はなんだかさびしくかなしくなりました。
春の女王様が明るく優しくしてくれて、夏の女王様がなんにも考えられなくなるほど遊んでくれて、秋の女王様はできることの楽しさを教えてくれました。
冬の女王様が教えてくれたのはなんだったのでしょう。
男の子はしょんぼりとかがみを見ます。
『あんたなんかだいっきらい!』
おねえちゃんが男の子にむかっていつものように言っています。
そのことばに男の子はぎゅっと胸をおさえてうつむきます。
言い返すことばも思いつきません。
『どーして?』
かがみの中で男の子は尋ねかえします。
そう、かがみの中の男の子は入れ替わった王様でした。
『あんたがいるからママがいそがしいんじゃない。うちの子でもないくせに!』
ずきりずきりいたむむねを男の子はおさえます。
『自分の家に帰りなさいよね!』
男の子はいつもの言葉を思い出します。
おとうさんが、『むかえにくるからそれまでまっていなさい』と言ったのです。
『ごめんね』
ごめんとあやまる王様の声はどこか楽しそうに聞こえます。
『ママのそばにいれないのさびしいの知ってるのに、ごめんね。おねえちゃん』
男の子は王様がなにを言っているのかわかりません。ただ、おねえちゃんが怒り続けるのをとめたことに気がつきました。
『べ、別にさびしいなんて思ってないんだから。あんたよりお姉さんなんだから!』
『うん。おねえちゃんだいすき』
男の子のふりをした王様がそう言えば、おねえちゃんはパッと顔を赤くします。
『なによ……』
ことばの途中でぷっつりとかがみのむこうの世界は見えなくなってしまいました。
男の子が不安な気持ちで目を覚ますと朝ごはんを手押し車にのせて春の女王様がやってきました。
「おはようございます」
男の子が挨拶をすると女王様は照れくさそうに笑顔になりました。
「おはようございます。王様。今日も元気ですか?」
ご挨拶からはじまって楽しい一日が流れていきます。
男の子は春の女王様の笑顔におねえちゃんの怒った顔を忘れていきます。
夏の女王様秋の女王様。
楽しいやさしい時間が過ぎていきました。
「おはようございます。王様」
「おはようございます。冬の女王様」
にこりと冬の女王様は笑います。
朝ごはんを食べて会話のない時間が過ぎていきました。
「女王様は王様が王様じゃなくてもいいの?」
男の子の問いに女王様はかがみの表面をそっと撫でます。
「王様は王様です。前の王様はきっとワラワたちと過ごすのがおいやになったのでしょうね」
かがみの表面にうっすらと男の子の姿が映ります。
いいえ。
男の子ではなく王様でしょう。
そこには冬の女王様によく似た女の人が笑っていました。
『ごめんなさいね。いい子でまっていてね』
『うん。待ってる。おばさんたちもおねえちゃんたちもみんなやさしいよ。だから、おかあさん。はやく元気になってね』
それを言っているのは男の子ではなく、王様です。
おかあさんの手が男の子ではなく、男の子のふりをしている王様の頭を撫でます。
「ズルイよ!」
男の子が叫んだとたんにかがみはかがみに戻ります。
「王様。王様。泣かないで。忘れてしまいましょう。ワラワが王様のおそばにおりましょう。日が暮れてもずっと」
冬の女王様は男の子の耳元に囁きます。
「イヤだよ。ぼくはおかあさんがいい。おねえちゃんがいい。そっくりでも、おんなじじゃないんだ! ぼくと王様は違うんだ。だって女王様はぼくがぼくじゃなくてもいいんでしょう!?」
男の子の叫びに女王様は困ったように手を彷徨わせます。
「王様なんかイヤだよ。ぼく、ぼく……」
とうとう泣きだしてしまった男の子を冬の女王様が抱きしめます。
「それでは王様はどうなさりたいのでしょう」
落ち着いてきた男の子に女王様が尋ねます。
「ぼくは、ぼくはね、おとうさんが迎えにきてくれるのを待つの。そしたらきっとおかあさんも一緒なの」
冬の女王様はにこりと笑います。
「では、王様は出て行った王様と入れ替わらなくてはいけません」
「うん!」
女王様の言葉はもっともだと男の子は思いました。
入れ替わったのだから入れ替われるのです。
「王様は王様です。王様はしたいことをちゃんと言葉にすれば、ワラワたちが叶えましょう」
ゆらり窓からさしこむ赤いひかりに男の子はハッとします。
「夕暮れだ!」
男の子は慌てて冬の女王様を送りだしました。
次の日に訪れた春の女王様に男の子は王様と入れ替わる計画を話しました。
その時に女王様がうれしそうな顔をしたのに男の子は気がつきました。
それは夏の女王様も秋の女王様もおんなじでした。
彼女たちの王様は男の子ではなく、あの出て行った王様なのです。
春の女王様はそっと男の子に教えます。
「ちゃんと日暮れまでに送り出すのよ。決まりを破れば王様でいられないわ」
「待たせたね」
「おうちに帰りましょうね」
「おとうさん! おかあさん!」
男の子は迎えに来てくれたおとうさんとおかあさんに抱きつきます。
かがみのむこうがわの王様はしたいことを好きにできる王様です。
楽しい時間に飽きた王様はいつだって入れ替わる瞬間を狙っているのかもしれません。