序・愛あればこそ
幼いころから自国の歴史を叩き込まれた彼にとって、現在の状況は納得できるものではない。彼の立場は、このときただの平民であった。
とはいえ、生活が不自由なわけでは決してない。人々は皆、彼の過去の立場を尊重して丁重に扱う。財産も失っていない。むしろ、彼は現在を生きていられることに感謝すべきであった。
彼が学んできた歴史というものは、国の調子が良いときはその自慢、苦境に立たされたときは他国に対する恨み、その繰り返しである。要するに、かつて栄華を極めた我が国が、あることをきっかけに不当に足下をすくわれ、心ならずも衰退した、我々は必ずやその恨みを晴らし、もとの栄光を取り戻さなければならない、という内容のものである。
彼は、常々思っている。自国の歴史書には客観性が欠けていると。歴史書は、栄華を極めた状態が元のあるべき姿であると断じ、衰退した状態はすべて他国の影響だとしているのだ。彼にとってそれは、無条件に信じることのできない記述であった。
――栄華を極めた国というものは、少なからず隣国の利益を横取りして成り立っているものだ。だから衰退するときは、それを取り返されたときさ。
そのように思うのである。しかしだからといって、彼は自国が隣国との関わりをいっさい断って、争いもしなければ交流もしなければよい、とは考えなかった。
「人というものは、国を愛すればこそ守ろうとして戦うのだ。他国と争って負けるという事実は、結局のところその気持ちが相手に比べて弱いからに他ならない。心から守りたいと思うからこそ、国は軍備を増強して強兵を育て、強兵たちは気持ちを前面に出して戦う。だから勝つのだ。一方これに対して負ける側は、守りたいという気持ちが少ないから軍備の増強を怠り、前線に立たされる兵たちはそのことに不安を感じる。そして国の態度を疑うのだ。だから国を守る気持ちよりも、自分の命を守ることを優先する。その結果、敵に降伏してしまうのだ。こうして国は人民を失い、土地を失う。そこから生じる収益も失う」
彼の言うところはつまり、国もそれを運営する人の意思の固まりなのであり、結局人々は人を愛して守りたいと思うからこそ戦う、というのである。
彼はかつて、国を運営する側の人であった。しかし現在はその立場を失い、国そのものも消滅している。
それは、彼が人々に与えた愛が足りなかったからこそ生じた結果であった。