表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
野獣と娘の物語  作者: 真麻一花
こぼればなし
3/6

「心配、してくれてるの……?」

 その呟きに返事のようなうなり声がする。

「優しい、のね……」

 ふふっと笑いながら、涙をこぼす。

 惨めさに笑い、うれしさに涙する。

 その涙を柔らかくぬぐう毛むくじゃらの指先が、とても気持ちよかった。

 野獣は優しかった。

 少女を気遣った様子で、まるで子を守る親のように少女を包み込んだ。

 守るような仕草が、少女の小さな胸を温かくした。触れた生き物のぬくもりは久しぶりで、ほっとした。

「優しい、野獣さん」

 つぶやくと野獣がうなる。うなる声はのどの奥で低く響いて恐ろしげなのに、なぜか少女の言葉に応えているように感じ、優しく耳に響く。

 言葉は分かるのだろうか?

 野獣を見上げて様子をうかがうが、よく分からない。

「……私、どうしたら良いのかしら」

 独り言なのか、野獣に聞かせるつもりなのかよく分からないまま、少女はぽつりぽつりと、これまであったことをとりとめもなく話した。

 野獣はまるで言葉を分かっているかのように、じっと少女の話に耳を傾けている。

 母親が死んでから今までのことを話し終えると、少しだけ心の整理が付いた。

「もう、村で暮らしていくのは、無理なのかしら」

 そうつぶやくと、またぽろりと涙がこぼれる。

「うぅ……ぅ」

 野獣のうなり声がする。

 少女が顔を上げると、じっと彼女を見つめる野獣の瞳と出会った。

 少女はふふっと笑みをこぼした。

 心配してくれているのが分かってうれしかったのだ。野獣の優しさが分かる。言葉を喋るわけでもないのに、とても少女を心配しているのが伝わってくる。

 胸が温かくなった。

 はじめは野獣の気遣いがとても惨めに思えていたのに、今はそうは思わなかった。ささくれ立っていた心は、あふれた涙と、こぼれるままに紡いだ言葉と一緒に、流れ出ていったようだった。

「野獣さん、助けてくれて、ありがとう」

 心から、そう思った。

「ううぅ」

 そううなった声は、少しだけ高い音で聞こえて、まるで野獣が喜んでいるように思えた。


 野獣は人の言葉はしゃべれない。

 だが、その言葉を理解することは、少しだけ出来る。時折魔の森にも人が入ってくる。

 野獣は人と関わったことが何度かある。森の生き物と人はずいぶんと違っていた。野獣と似たような姿をしているのに、肌に毛が生えていない。綺麗な布きれをまとっていたりもする。野獣から見た人という生き物は、とても不思議な生き物だった。

 興味はあったが、人は野獣を見ると、叫びながら逃げてゆく。

 けれど、魔の森に迷い込んだ人を助けたこともあった。森に害をなすと思った人は追い払ってきた。

 人の言葉も、そうして人と関わるうちに覚えた。

 百年も、二百年も、野獣はそうして人と関わってきた。


 この日出会った少女は、少し変わっていた。

 人は野獣を見ると必ず恐れる。最初は少女の反応は普通だった。けれど、慣れるのがとても早かったのだ。

 それどころかありがとうといって笑いかけてきた。

 その笑顔の少女は、野獣には、とても尊く思えた。宝物のように思えた。

 野獣にとって人とはとてもひ弱な生き物だ。この少女はその中でもとてもか弱そうで、守らなければ死んでしまいそうに思えた。

 野獣は、この壊れやすい宝物のような少女とずっと一緒にいて、守りたいと思った。


 その日に起こった衝撃から、少女がようやく落ち着きを取り戻した頃には、日は傾き始めていた。

 野獣が連れてきた泉で水を飲み、とってきた果物でおなかを満たした。

 けれど季節は秋口にさしかかり、日が落ちるととても冷え込む。毛皮をもち、丈夫な野獣には問題のないこの森も、少女には着の身着のままで過ごすには厳しい。

 少女は男達の様子を気にしながらも、家に帰ることにした。

 人の気配に気をつけながら家へと戻る。どうやら誰もいないようだ。

 ほっとして家に入り、身支度を調えて寝床に入る。今日は、もう、なにもする元気はなかった。

 これからどうしようかと、先のことを考えたが、なにも思いつかない。

 男達の様子を考えると、村にとどまるのはとても恐ろしく思えた。かといって少女が村を出て頼る場所もない。

 少女は、ここに戻る直前まで心配そうにしていた野獣のことを思い出した。帰ろうとする少女を引き留めるように果物を余分にとってきたりもして、少女が村へ帰るのをいやがった。

 きっと心配してくれていたのだろうと思う。その時の様子を思い出すと、不安よりもうれしい気持ちが勝って、くすりと笑みがこぼれた。

 また来ると野獣に約束をした。

 そうだ、夜が明ける前に、また魔の森へ行こう。

 今日の昼間のこともある。男達も怖いし、近所の人の目も怖い。

 夜だけこの家に戻ってきて、昼間は野獣の元へ行こう。

 魔の森は人が足を踏み入れないせいか、山菜も、キノコも果物も、至る所に見つかった。森の中では料理するための道具がないのでどうしようもないが、とりあえずしばらく食べ物に困ることはないだろう。

 穀物はわずかだが残っている。キノコや山菜は、干したり漬けておいたりすれば冬を越せるぐらいに蓄えられるだろうか。

 家ごと魔の森に持って行けたら良いのに。

 そんなことを想像すると、少しだけ次の日が楽しみに思えた。


 少女は夜が明ける前に目を覚ますと、空はわずかに白々と明るんできている。人が起きる前に、そう思って身支度を調えると、薄汚れた衣を幾重にも羽織り、かごを持って森へと向かう。冬にはまだ早いが、はぁ、と息を吐けば白く煙った。

 顔を洗うのはあの泉で良いだろう。

 野獣はいるだろうか。

 昨日の嫌な気持ちなど忘れて、森に分け入ってゆく足取りは軽い。

 森の奥深くまで進むと、ようやく泉が見えた。日は昇り、すっかり朝を迎えている。

「野獣さん」

 呼びかけるようにつぶやいた声は、思ったより大きく響いて聞こえた。

 辺りがしんとしているせいだ。

「……野獣さん」

 さっきよりも大きな声を上げてみる。

 いないのだろうか、そう不安を覚えながら少女は泉のそばに腰を下ろしため息をついた。

 森は広い。昨日ここにいたからと言って、今日もいるわけではないだろう。そんな当たり前のことに、今更ながらに気付いた。野獣が、あまりにも理知的な優しさを持って、そして人の形をしていたため、人と同じように定住しているような気になっていたのだが、そうとも限らないのだ。

 会えないのだろうか。

 そう思うと、寂しさがこみ上げてきた。野獣の、思いの外柔らかな毛並みは、触れると心地よい。暖かみがあって、なでてくる手は少女を包み込むようであった。

 野獣に会う期待に膨らんでいた胸が、寂しくしぼみかけた時だった。

 がさがさと音がした。

 野獣だろうか、再び期待がこみ上げて振り返った。

 少女の向いた先で、茂みが揺れ、狼が顔をのぞかせた。

 ヒッと息をのんで、体がこわばる。

 少女が見つめる先で、狼がゆっくりとした動作で少女に目を向けてきた。

 グルグルとのどを鳴らすその音は、警戒心に満ちている。

「野獣さんっ」

 叫ぶこともできず、小さな呟きで、助けを求めた。昨日助けてくれた野獣しかすがる相手を思いつかなかった。

「……野獣さんっ」

 祈るように震えながら、狼と対峙する。目をそらすこともできず、距離を保ったままどちらかが動くのを互いに牽制するようににらみ合い、緊迫した時間が過ぎてゆく。

 その時、再び草をかき分ける音がして、その空気は突然に破られた。

「野獣さん!」

 少女はとっさに声を上げた。

 大きな毛むくじゃらの体が、少女と狼の間に現れたのだ。

 野獣は少女と狼を交互に見比べると、狼に向かって低くうなった。とたんに、狼は警戒心を失ったかのように力を抜き、全く少女に興味をなくしてしまったかのような様子でその場を立ち去ってしまった。

 ほっとして力が抜ける。

 来てくれた。また、助けてくれた。

 うれしくて顔がほころんだ。

「おはようございます、野獣さん」

 振り返った野獣に、少女はにっこりとほほえんだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ