相馬盛胤の憂鬱(修正)
政宗の元服から数日後、ここは相馬家居城小高城その一室で相馬盛胤は悩んでいた。それは、伊達家との関係である。伊達家は、急速に力をつけてきていた。先月元服した、政宗が大いにその源になっている。このことは、この2年の間強く感じていた。なぜなら、相馬領からも多くの民が伊達領へと、流れていっていたからである。民が伊達領へと流れていくのを食い止めようと色々な方法をとるが、全てが失敗するありさまであり。ならば戦で伊達家に目に物を見せようと、戦をしかけるが毎回のように追い払われてしまっていた。
ここで何らかの手をうたなければ、相馬家は立ち行かなくなる。自分の代か息子の代において、伊達家に馬の轡を並べることになるだろう。もともと、相馬家と伊達家の仲は良かった。
なぜなら盛胤の母は、政宗の曽祖父である伊達稙宗の娘であり、伊達家とは縁戚関係にあった。しかし伊達稙宗とその子供である晴宗が対立した天文の乱のおり、稙宗についた時から両家は敵対関係となってしまった。
また1570年に、中野宗時と牧野久仲が輝宗に対し謀反を起こしたが、輝宗はこの謀叛を撃退し二人を追放した。追放された二人は伊達領を追われた後、相馬家へと亡命していた。
二人が相馬領へ亡命した理由であるが、謀叛を起こした際に盛胤に援軍を頼んでいたのだ。援軍に出た盛胤は、伊達領である丸森城を奪うことに成功。このこともよけいに、両家の溝が深くなる理由ともなっていた。
もし伊達家に攻め入られれば、相馬家は負けてしまうだろう。なぜなら相馬領は10万石でありその兵力は2500である。それに対して、伊達は1万の兵を持っている。しかもその兵士は、年中戦ができる兵士に政宗の改革によってなっていた。それに比べて相馬の兵は農民兵である。これでは、勝てるわけない。
攻めてくれば、これまでは芦名氏や岩城氏、田村氏、白川氏、二階堂氏に頼み援軍に来てもらえばよかった。攻めるとなれば、こちらは2000の兵で攻めるしかない。兵力の差、そして能力の違いによって負けてしまう。
今までは、同じ農民兵を使っていたので、兵士の能力の差はなかった。兵士の数では負けても、自らの采配で勝ってきた。この2年間、攻めても勝てない。負けることもないが。引き分けばかりで伊達領へ入ることはできなかった。
伊達家は、負けないための戦に徹していた。戦よりも、自国の発展を第一に考えているということを忍びにより伝え聞いている。
周りの大名を誘って攻めようかと考えたが、黒川城を居城とし一番勢力がある30万石の領土を持つ芦名氏第17代当主・盛興は、病で亡くなり。今の芦名氏は新しく当主となった盛隆が、家中の統制をとるために動くことができない。
相馬の南にある大館を居城とする岩城氏は、12万石を持つ戦国大名であるが当主である岩城親隆は、伊達晴宗の息子であり輝宗の兄にあたる。相馬氏とは戦を頻繁に行っている家であるので、2年の間に伊達と相馬が抗争に忙殺されている間隙をつかれて、木戸城と富岡城を奪われていた。二つの城は岩城氏の城であったものを、相馬氏にとられていたのであるが、こういうこともあり助力してもらえるかは分からない。
相馬の西に位置する田村氏は、三春城を居城としている9万石の大名である。田村清顕の妻は盛胤の妹の夫であるが、芦名氏・田村氏・白河氏・二階堂氏の連合軍一万余が佐竹氏・石川氏の軍勢と戦ったこともあり、北にある伊達氏よりも南に注意が向けられている。
田村氏の南にある石川氏は三芦城を本拠にする3万石の大名である。石川氏は、伊達晴宗の四男親宗を娘婿に迎えていた。現当主である親宗は、名前をかえ石川昭光と名乗っていた。昭光は、芦名連合との戦があったために出陣を求めても断られるであろう。
石川氏の横にある二階堂氏は、須賀川城居城とする6万石の大名である。現当主は、二階堂盛義であり、兄が芦名家を継いでいることもあるので、援軍に来てはくれるかもしれないが、同盟を結んでいるわけではないので、どうなるかは掛け合ってみてというところであろうか。
伊達氏の南に位置する畠山氏は、二本松城を居城とする3万5000石の大名であり、伊達の領地南側にあるため伊達が攻めてくれば、畠山氏に伊達の南を攻める事を頼むことが一番いいが、1574年に伊達実元が畠山領となっていた八丁目城を奪還したという。このため、畠山義継は五十騎の軍役を負担するという条件で田村清顕に伊達輝宗との講和調停を依頼し、七月和議が成立していたので、救援を得られない。
畠山氏の西に位置する大内氏は、小浜城を居城とする3万5000石の大名である。当主は、大内定綱であり、現在は田村氏の旗本となって支配されているため、救援は田村氏に頼むほかなかった。
一番南に位置する、白河氏は白河城を居城とし4万石の大名である。1575年に小峰義親は白河家惣領の地位を得たが、佐竹義重はこの好機を逃さず、同年二月白河領に侵攻し義親を捕らえ、義親の弟善七郎(義名)を名代とすることで、白河氏を佐竹氏の旗下に組み込もうとした。現当主は佐竹である。
岩城氏の南にある、佐竹氏は常陸国54万石の大名である。現当主は、佐竹義重であるが、北条氏や芦名氏と対立していることもあり、援軍は望めそうもない。
うなるように相馬盛胤が、悩んでいるとき息子の義胤が部屋に入って来た。
「父上、よろしいですか」
「おお、かまわんぞ」
義胤は盛胤に似て戦上手である。家臣達からの評判もいい。義胤の自慢の息子であった。
「父上にお伺いしたいことがありまして急に来てしまいもうしわけありません」
義胤は、かしこまって盛胤に挨拶を行った。
「気にすることはないその様にかしこまってどうしたのだ。急に」
義胤は盛胤の胸中を探るように尋ねる。義胤もこの2年の間に戦に出陣し伊達家と戦ったことによって、伊達家の兵士の質がかわってきたことを察したのであった。そして、相馬家の未来を心配していたのである。
「父上は、伊達のことをどう考えていらっしゃるのか.
気になったのでございます。奴らの兵の強さは、この2年の戦において分かっております。これは元服した政宗が何らかの関与をしていると見受けられます。伊達家中でも評判もいいとか」
そこまで話すと義胤は父に相馬の行く末を、聞くかどうか迷って一度間を置いた。自分より戦の才能がある父が、気付いていない訳が無いと思い直して次の言葉を発する。
「これから我が相馬家は伊達とどう付き合っていこうと考えておりまするか」
盛胤は息子が自分と同じことを考えていたことをとても嬉しく思った。
「ちょうど良かった。今まさに、そなたと同じことを考えていたところよ。近くの大名と同盟して同時に伊達へと攻めかかろうと思ったが、今この時期ではどの大名も動くことができそうにない。動いてくれそうなのは、同盟相手であり妹婿の田村家ぐらいであろうか」
「今の、時制をみれば田村家に依頼する他ありますまい」
「しかし、援軍に応じてくれたとしても兵数が足りん。芦名家か、佐竹家が援軍に兵をだしてくれればいいが。時期が悪い。芦名家と佐竹家はお互いにいがみ合っておる。両家に声をかけ、伊達を相手にともに戦うことは無理であろう。」
義胤は、相馬が置かれている立場を考え暗い表情になっていく。
「そうなると、われわれに残っているのは…。伊達の家臣になるか滅亡するかだ。今更、伊達家との同盟や家臣になることは出来ない。お前もそれは分かっているだろう。家臣達には伊達との戦でなくなった親類縁者がおる。家臣達に聞いたとしても、同盟や家臣になることは反対するであろうな」
しかし父の考えとは逆に、義胤は同盟の道を模索したいと考えていた。相馬家を、何としても残したかったのである。
「父上、私の妻は稙宗殿の娘、祖母も稙宗殿の娘であります。伊達家に一番近い血筋は、我が相馬家であります。家臣になることはかないませんが。同盟はできるのではないでしょうか」
盛胤は、ため息をついた。同盟できない理由が他にもあったのである。
「それは、無理だ。こちらには、中野と牧野が居る。反乱の際には、城も伊達から奪った。あ奴ら2人を匿っているわが家と、輝宗が同盟を結ぶわけがない」
盛胤が義胤の意見を否定するが義胤も諦めない。
「それでしたら2人を輝宗の下に送つけ。我らが奪った城を、伊達へと返せばいかがでしょうか」
その発言に、義胤は急に怒りだし盛胤を叱った。
「そのようなことをすれば、相馬は周りの大名からの信は得られなくなってしまうわ」
そこまで言うと盛胤は、口の中に詰まった唾を飲み干す。怒りで頭に血が上ってしまったため冷静になるためである。
「義胤、今は7月で農民も戦ができる。それゆえ戦をしたいが…。どうするか…。相馬家だけでは戦はできん。わしは、迷っているのだ」
義胤は、伊達家との同盟を諦めることにした。父を説得できない今となっては、伊達家との関係を改善することは無理であると結論付けたのである。
「父上、そこまで戦をすることに決心しているのであれば、某は父上の意見に従います。その前に戦を始めるにしても、家臣に説明しておくことは必要かと」
盛胤は、義胤が自分の意見を賛同してくれたことに笑みを浮かべ頷くと、家臣を集めるように指示を出した。
翌日、相馬の家臣が小高城へと集まった。その場に集まったのは、木幡継清、佐藤好信、水谷胤重、泉田胤清、江井胤治、中野宗時、牧野久仲である。
「殿、皆そろいました」
木幡 継清が皆を代表して盛胤へと声をかけた。
「急に皆に集まってもらったのは他でもない。伊達との関係をこれからどうするかである。その方達の意見を聞きたいと思って集まってもらったのだ」
盛胤がそういうと、泉田胤清が一呼吸おいて話し始めた。
「私は、伊達と同盟を結ぶべきだと考えます。忍や領民の話を聞いたところ、伊達領はかなりの発展をしております。また我が領からも伊達領への移民が増えておる次第。それに伊達家の兵は強い。我々の農民兵とは違い、完全に兵と農を分けている。この2年の間、戦に出ておりますが引き分けか負けることはあっても、勝つことはありませなんだ」
「そんなことは、なかろう。我々、相馬が負けたのではない。撤退しただけだ」
鼻息あらく佐藤好信が激高した。
それを見た木幡は静かな口調で皆に語りかける。
「泉田殿がいうことも一理ある。しかし我々の家族や親戚で戦って死んだ者が多い。それなのに今更戦うことをやめるなど…。できる話ではない。それに牧野殿や中野殿をどうするというのだ。同盟がなれば、彼ら2人を引き渡す必要があるがどうしたものか」
木幡がそう言いい二人の顔を見ると、牧野と中野の顔は真っ青になっていた。盛胤が自分達を、伊達家との同盟のために伊達家に引き渡すということを考えたためだ。この時、中野宗時は家臣全員に集まるように義胤から話があった時から、この場を利用して伊達領に攻め入る話を準備していたが、同盟の話をいち早く出されてしまったために話すことができなくなってしまった。
その後、それぞれの意見が出そろうが木幡継清、佐藤好信、水谷胤重、泉田胤清、江井胤治の5人のうち、2人水谷胤重、泉田胤清が同盟を結ぶといい。佐藤好信、江井胤治は交戦を主張、木幡は中立をたもって話は、いっこうに進まない。皆が苦虫を潰すような顔つきになり、意見もでそろったと盛胤が思いだした時、宗時が今こそ自分の意見を言う機会を得たと考え発言の許可を得ようと声をかける。
「私からも一つよろしいでしょうか」
「よかろう。宗時殿の発言を許可しよう」
「相馬様には、今日まで某と牧野殿を客将として迎えてもらったこと、本当に感謝しております。そして、某に何かできることがないかと考え、伊達の家臣につなぎをつけておりました」
全員が驚愕の表情にかわった。まさか、宗時が盛胤の命令もなしに動いているとは、考えていなかったからである。
「その者達は、白石と浜田殿であります。この二人は、我々が謀反を起こした際に輝宗に援軍を出さなかったことで、処罰をうけています。その後、家中でも不遇の身が続いていることもあり、我らが攻めかかれば寝返ると密使がきております」
そう言うと得意気に、宗時は二人の書状を盛胤の前に出す。宗時から書状を受け取ると、文の内容を確認する。盛胤が文の内容を確認し終わると、宗時はその場に集まっている者達に文の内容を説明しだした。
「相馬家との戦になれば、二人は裏切ると言っております。もし、伊達家との戦となれば伊達家が領土を出て戦をできる兵はおそらく10000その内、常々この二人が任される兵力はそれぞれ、1000でありますのであわせて2000の兵が裏切ることとなります」
中野宗時は、そういうと他の武将達を見回した。すると好戦派の佐藤が声を荒上げる。
「それなれば、我々相馬勢が伊達領へと攻め寄せた場合、岩城の抑えとして500の兵を残すとすると2000の兵を出せまするな。ここで田村殿の援軍が約束されれば約2000の兵が援軍として来るはず。伊達家を裏切る兵と援軍の兵を合わせれば相馬の兵は約6000の兵力になり。伊達家、8000対6000で数の上では伊達家に負けておるが、上手く、白石と浜田の二人の隊を裏切らせますれば、動揺した伊達の兵を倒すことも容易ではないか。その結果、我々は伊達勢と互角以上に戦えると思うが皆はどう考える?」
佐藤は、宗時の話を聞くと素早く戦に参加出来る兵力を考え、自分の意見を捲し立てた。佐藤の意見がでると場は静まり返り咳きひとつするものは居なくなった。これは、勝てるかもしれないと皆が考え始めたのである。白石と浜田が裏切れば、伊達軍も崩れるのは確実だろう。
「佐藤殿の言われる通り、我らの兵力が伊達家との戦において不利になるとは余り考えられなくなりますな。殿の指揮の下、我々が結束して動き田村勢と共闘できれば戦も負ける可能性は低くなるかと…。殿、伊達領への出兵に某は賛成にございます。殿はどう考えておられるのか、我らにそろそろお気持ちをお聞かせ願えませんでしょうか」
盛胤は木幡から自らの気持ちを確認されると、ようやく自分の考えを皆へと話す事にした。
「わしの考えは、伊達家との戦である。このまま時間が過ぎていけば、巨大となった伊達家は相馬家へと攻め寄せてくるであろう。その時を待つのか。今、立ち上がって伊達家へと攻めるのかであれば…。わしは、伊達家へ攻め寄せたいと思うのだ。皆、力を貸して欲しい」
盛胤が家臣達に自分の気持ちを告げると家臣達は自然と盛胤に頭を下げた。その様子を見た盛胤親子は、安堵のため息をつく。家臣達の意見が一つにまとまったことに安心したのだ。盛胤は一呼吸置くと、家臣達に声をかける。
「同盟関係にある田村家への出陣要請には宗時と義胤に任せる。その他の者達は戦の準備をととのえておくのだ。よいな」
『はっ』
全員の声が重なると一斉に全員が伊達家への戦に向けて動き出した。
ここは、田村家居城三春城。三春城は標高400mの城山に築かれた山城である。中野宗時、相馬義胤は援軍要請のため田村清顕に面会を求めていた。清顕から目通りが許されると、二人は城内の広間へと案内された。そこには城主である田村清顕がおり、二人は清顕が進める席へと座り居住まいを正す。
「お久しぶりでございます叔父上。覚えておいでであれば良いのですが、某は相馬義胤であります。小さき頃、一度お会いしたことがあると思いますが覚えておいででしょうか」
「おお!!そちが義胤殿であるか。そなたと会うたのも、かなり昔の話ではあるが覚えておるぞ。あれは確か、岩城と盛胤殿が戦になったおり援軍に向かったが、その帰り小高城に寄った時に会ったのであったな。大きゅうなった。それで、此度はいかがいたしたのだ。突然訪ねてまいって…。それに伴って参った者は、元伊達家の中野殿とお見受けいたすがいかがか」
清顕が義胤に問うと徐に義胤がその問答える。
「某の横におるのは、叔父上の言われる通り元伊達家家臣である中野宗時殿でございます。此度、それがしが三春城へと参ったのは伊達家への戦、御助成をお願いしたくお願いに参ったのであります」
義胤から話を聞くと、清顕は困ったことになったと顔には出さなかったが内心ではどうしたものかと考え始め、膝の上に置いていた手を自然と顎の先へと持ってきた。その動作を見た義胤は、すぐさま今回の戦の経緯について説明を始めることとした。
「我らが伊達家へと戦をしかけまするのは、今であれば伊達家とことを構えることができますが、今を逃せば伊達家の近隣大名は全て伊達家の家臣へとなるか滅びることと相成りましょう。ここ2年の伊達家の繁栄をご存じと思います。我らこれまで、伊達家と戦をしてまいった。簡単に伊達家の家臣へとなることを我々は受け入れることができないのです。今回の戦では、伊達家の家臣である者から内応の書状を受けております。叔父上が援軍に来ていただければ伊達と互角の戦が数の上でもできまする。何卒援軍の件をお願いします」
一気に義胤は自分の気持ちを清顕へと伝えた。義胤の話を聞き清顕は眼を閉じて考える。相馬領の民が伊達領へと流れるように、田村領の民も伊達領へと流れていたのである。清顕も伊達家の脅威を感じていた。しかし、戦をするのであれば兵力がものを言う。
今の相馬家と田村家の兵力を合わせただけでは、伊達家の兵力を上回ることが出来ないが伊達家の家臣の者が内応し裏切るのであれば、戦の進め方も変わってくるし我が方の兵力も増えてくる。もう少し詳しく、内応する者達について聞いてみようと清顕が考え始めた頃、宗時が声をかける。
「田村様、伊達家で内応する者の名前をお教えすることは、何処で漏れるかも分かりませぬから出来ませぬが。某の良く知る者で、裏切る兵力は2000の兵力であります。野戦で伊達家と戦うことが出来ますれば、伊達家の兵が裏切りによって浮き足立つのは必定。何卒、此度の援軍考えていただければ…。お願いいたします」
そう言うと、宗時は自らの頭を床に擦り付ける。清顕は、宗時から伊達家における内応者の名前を聞くことが出来なかったことを苦々しく感じたが、それだけ伊達家の中心に居る者であると考え、戦のおりに聞くこととしようとこれ以上の詮索することは控えることとした。
「某の妻は、盛胤殿の妹でござれば縁戚関係である相馬家の援軍、考えるに値すると思いまする。それに某自身も伊達家の影響力に懸念を感じておるところ。ここで伊達家の勢いを止め、伊達家との戦に勝ちいい条件で盟約を結ぶことが出来れば此れにこした事なし。某の気持ちとしては、援軍に行くこと。受けたいと思いまする。家臣にその旨を伝えたいので、本日は一日、我が三春城へと泊まり。正式な話は明日でも良かろうか」
その日、義胤、宗時は三春城に泊まることとなり、田村家の宴会に夜は誘われ田村家の家臣達と縁を深めることになった。翌日、清顕に面会した2人は、田村勢が出陣することに決まったことを伝えられると、義胤は父の盛胤から田村勢への援軍の見返りとして、食糧と金が渡されることを約定とすることを伝えると、安心して小高城への帰路につくことができたのである。伊達領への出陣は、田村勢と相馬勢が丸森城に集結後、伊達領を攻めることになり。2週間後に、丸森城で兵を合流することになった。
7月半ば、相馬盛胤、義胤親子は馬上の人となっていた。
「全兵出陣」盛胤の号令の元、兵士2000が歩き出した。田村氏と集結予定の丸森城へ進撃がはじまったのである。
話は、変わって伊達領
黒脛巾組の忍により、輝宗、実元、元宗、政宗、基信の5人の下に相馬、田村勢の出兵の報告が届いていた。
輝宗はその報告を受けると、政宗に対して笑って声をかける。
「政宗、そちの考えた通りになったな。馬鹿な相馬と田村が引っかかったぞ」
「殿、本当に若殿の言うようになりましたな。基信も信じられません。2年後のこの戦を見通していたとは…」
「政宗が、2年前に浜田と白石に対して、相馬に居る中野につなぎをつけさせるように言った時には、何を考えているのかと思ったが、この時を見越していたのだな」
「輝宗殿、政宗殿が居れば我が伊達家の繁栄は、約束されたようなものですな。政宗殿の婚姻も決まり2年後には、北条から亀姫様も来られます。それまでに、北条に馬鹿にされない大きな家にしましょうぞ」
顔を真っ赤にして実元も興奮している。俺は、相馬、田村が出陣したことを聞いて半ば安心していた。そもそも輝宗に浜田、白石につなぎをつけさせたのも相馬との戦をより戦いやすくするために頼んでいたのだ。俺は、現代の知識や梵天丸が学んできた知識、そして新たにこの時代を生きる2年の知識における軍略や戦の流れは学ぶことができたが、兵士達を効率よく動かせるかは不安があった。
このため、孫子の兵法にある『事前にしっかりと準備を整え、勝てると思える戦いに、無理なく自然に勝つ』ことをやろうと考えた時に、思いついた方法だったのである。事前にしっかりと準備を整えるため国力を上げた。それだけではなく、勝てると思える戦いができるように浜田と白石につなぎをつけさせたのだ。
ここで俺は、一番気になっていた相馬家に勝った後の処断について聞くことにした。
「父上は、相馬との戦に勝ったら、相馬をどうしようと考えていらっしゃいますか。一家を滅ぼしますか」
「藤次郎、わしもそれを迷っているのだ。相馬とは縁戚関係にある。わしにすれば、従兄弟になるわけだからな。捕えることができれば相馬を家臣に迎えたいと考えている。騎馬武者も強いが相馬は戦上手じゃ。これからの伊達の戦に必要な武将になることは間違いないと考えている」
輝宗の意見を聞いた元宗も輝宗の意見に同意する。
「相馬家と敵対するきっかけとなったのは、父と兄が戦をしたからじゃ。その煽りをくらったのは相馬家であると某も考えまする。相馬家は戦上手。家臣となれば頼もしきこと間違いないと思いまする。某も輝宗殿の同意見でございます」
元宗の発言を受けた輝宗は決意に満ちた表情で4人に語りかける。
「わしは、これまで構えてばかりで、戦うということを考えてこなかった。藤次郎が生まれ、2年前から藤次郎がわしの内政を協力するにつれてわしの考えがかわった。奥州守護職であるわれらが官位のように奥州を平定するのだ。藤次郎、実元殿、元宗殿、基信、皆の力!!貸してくれるか!!」
「父上、お任せください」「「お任せあれ」」「お任せください」
それぞれが、承諾してくれたことに輝宗は頷くと政宗に声をかける。
「藤次郎、それとこれからお前にも部隊を率いてもらうが、お前には3人の武将をつけることにいたす。鬼庭の息子綱元と、今までそなたと共に居た2人、成実と小十郎じゃ、3人で新たな伊達の中核になってもらいたい」
俺自身は輝宗の陣中にあるだけで一軍を任されるとは考えていなかったので、うれしい気持ちになったが。現代から転生した身であるため戦がどんなものなのか、想像もつかない。しかし、父の期待に応えたいと思い決意を表した。
「父上、精進いたします」
「藤次郎殿、成実をおたのみもうす」
実元が頭を下げる。
「叔父上、成実には助けてもらうことばかりです。我が弟のように思っております。こちらこそよろしくお願いします」
政宗は、実元に頭を下げ返した。
二人のやり取りを見ていた、輝宗が元宗に戦の準備を指示する。
「戦の準備を行う。兵糧の準備は基信、頼むぞ。兵の戦の準備は元宗殿にお願いしたい。各城から武将の招集を行う。今回は、裏切者になってもらう浜田、白石、実元殿、弟の国分と杉目、鬼庭、原田を連れて行くことといたす。留守居は、留守政景とする」
その後、基信が手配した早馬が、それぞれの武将の城へと向かっていくのであった。