北の狼、南の鬼
1580年7月、政宗は、家臣を守るために、佐竹家との交渉を拒否した。これにより、佐竹家との同盟が消滅することとなった。ここに伊達家は、北に南部家、南に佐竹家と領土を挟み込まれることになってしまったのである。
政宗は、直ぐに使者を同盟国へと派遣するが、北条家は伊達家、佐竹家共に同盟国であり、今回の事態は静観することとなった。
ここは、最上家山形城、鈴木元信は最上家当主、最上義光に面会していた。伊達家への援軍を頼むためである。鈴木元信が広間に通されると、義光と家臣の氏家守棟がおり元信は今回の佐竹家との同盟破棄になったあらましを、義光に説明し援軍を頼んだ。義光は、しばらく考えるそぶりを見せると、結論が出たのか元信へと視線を向けた。
「鈴木殿、そなたの話は分かった。政宗殿は、わしの甥にあたる。わしとしても、同盟国であるために援軍を向かわせたいのであるが、大宝寺家が最上領を狙っておっての。援軍に向かうことが難しいのだ。すまぬ。しかし、南部家や佐竹家と組んで、今回、伊達家に攻め入る様なことはない。約束いたそう」
元信は、最上の援軍が得られないことは残念であったが、西から最上家が伊達家との同盟を破棄し攻め寄せて来ることがなくなり、安心したのである。この時、伊達家の西に位置する上杉家は、越後国内の内乱も終わらせることができないまでか、西から織田家家臣、柴田勝家が攻めかかっており、東の伊達家に攻め込む余裕はない。
元信は、笑みを浮かべ最上義光へと頭を下げた。
「わかりました。最上様の言葉、主に伝えまする」
こうして、元信は米沢城へと戻っていった。元信が帰った後、守棟が義光に話しかけた。
「殿、良かったのですか。伊達家を攻める、好機ではございませんか」
「守棟、今回は政宗に味方するだけじゃ。時制が悪いからの。ここで、政宗が南部、佐竹とも渡り合うことができれば、伊達家との同盟は破ることはないと思うておる」
「確かに、輝宗殿が亡くなったばかりで、時制が悪うございますな。殿は、政宗殿をお認めになられて、おるのでざいますか」
「佐竹、南部を迎え撃つことができればの…」
そう言って、義光は広間から自室へと戻っていくのであった。
会津若松城にて、鈴木元信からの報告を政宗は受けた。政宗は、これで最上を気にすることが無くなり、相馬義胤を留守勢に前野長康、伊達成実を各2500の兵を呼びつけた。
政宗が、会津若松城に入城した翌日、佐竹勢が宇都宮城へ向けて行軍中であることや、南部勢が花巻城を目指していることが伝わる。各軍は政宗の命令を元に動き出すのであった。
7月末、伊達軍と佐竹軍が下野にて対峙することとなった。伊達軍、先鋒前野忠康2500、孫一2500、第二陣片倉景綱2500、第三陣亘理元宗3000、大将は政宗4500、右先鋒原田宗政2500、右後陣石川昭光2500、左先鋒後藤信康2500、左後陣二階堂盛隆2500、後詰浜田景隆2500 前田慶次3000、伊達成実2500である。
政宗は、始め考えていた隊列を変更した。これは、佐竹家の陣形を見た政宗が、陣形を変えることにしたのである。
対する佐竹は、左先鋒皆川広照3000、右先鋒小野崎従通3000、左第二陣大掾貞国3000、右第二陣船尾昭直3000、左第三陣佐竹義久3000、右第三陣小貫頼久3000、本陣佐竹義重5000、後詰車斯忠2500であった。
両軍は、伊達軍魚鱗、佐竹軍鶴翼の陣を敷いた。
佐竹が鶴翼を敷いた理由は、一つである。伊達の投石器による花火の攻撃を、かわすためであった。魚鱗などの陣を敷けば、お互いの陣の間隔が近くなってしまう。しかし、鶴翼の陣を敷き、離れすぎるのは問題があるが、ある程度の距離を保てば気にすることはない。
また、伊達軍と、佐竹軍が戦っている状態であれば、花火を撃つことが出来ない。もし、花火の攻撃をすれば、伊達軍にも被害が出てしまう。このため、鶴翼を用いることを義重は選択した。
「さすがわ、義重。投石器の弱点を突いてきおったわ」
政宗は、義重の陣を見てため息をついた。その頃、佐竹義重は自陣にて政宗の陣を眺めていた。
「魚鱗の陣を敷いてきたか。調べた情報と同じ陣形を敷いてきたな。後は、戦が進んだ時に様子を見て、合図を送るとするか」
義重は、自軍を見ながら誰にも、聞こえる事がない独り言を言った。
「よし、そろそろ戦を始めるとするか。孫一に敵軍へと前進、鉄砲が届く範囲になれば発砲するように伝令を走らせろ」
政宗の指示が出ると、伝令が孫一まで走り。それを聞いた伊達軍は前進を開始した。前衛が佐竹軍の前方に、鉄砲が当たるまでの距離に近づくと孫一が指示を出した。
「よーし、鉄砲隊は全軍鉄砲を構えよ。全軍一斉に撃てー」
孫一の命令が響くと伊達軍より鉄砲の一斉斉射が行われた。
バーン、バーン、バーーーン
伊達軍と佐竹軍から悲鳴が起こる。
この時、佐竹軍からも鉄砲の斉射による反撃が起こった。両軍の鉄砲攻撃によって周りは、白煙に包まれる。両軍には、鉄砲隊の屍や怪我人がでたが佐竹家の方が多かった。この時、佐竹家は鉄砲隊1500を率いてきたが、伊達軍に比べれば鉄砲の訓練が行われているとは言い難かった。
煙硝の値段は高い。伊達軍は煙硝を自前で用意し、訓練も行われているが佐竹家では訓練などあまり行われていない。鉄砲を撃つ技能の差が、出たのである。鉄砲は、確かに素晴らしい兵器であったが、今の技術では命中率が低い。
今は、敵を倒すのであれば、鉄砲よりも弓の方が殺傷力はどちらかと言えば高かった。伊達家では、この命中率を上げるために、鉄砲隊は毎日訓練を行っている。その結果が出た。
伊達軍は、煙幕が消えるとすぐさま鉄砲を構えなおし、再度鉄砲の斉射を行う。
バーン、バーン。
佐竹軍は、伊達軍の鉄砲に対抗して鉄砲を撃ち返すが、佐竹軍に被害が広がるばかりである。孫一は次に手筒包部隊に指示を出した。
「手筒包部隊、前衛にて手筒包発射」
それを聞いた、手筒包部隊は佐竹軍前衛に向けて手筒包を発射する。
ドーン、ドーン、ドーン
佐竹軍前衛部隊、皆川勢、小野寺勢に被害がでる。政宗は、続けて投石器での花火攻撃を指示した。
「花火発射!!」
発射された花火は、左右第二陣の頭上で破裂した。
ドゴーン
花火の攻撃によって、佐竹軍に被害が出ると政宗は考えていたが、佐竹軍は花火が頭上に飛んでくると頭上に、厚い木で出来た板を掲げる。花火は佐竹軍の部隊に落ちる前に、距離があったためか、目標に届く前に破裂したのであった。これにより、佐竹軍は花火攻撃を防いだのである。数人の被害は出たが、佐竹軍は花火の攻撃を防いだ。
花火を防いだ左右の第二陣からは、喜びの声が上がるが、これは一瞬だけであった。この頃、第一陣、第二陣へ伊達軍の攻撃が始まったのである。
「前衛部隊突撃!!」
各、前衛を任されている、前野、原田、後藤が叫び声を上げる。
前衛部隊は、皆川、小野崎勢、大掾勢、船尾勢へと攻撃を開始する。互いに槍による攻撃が続いた。両軍引くことなく、攻撃を続ける。特に戦意が高かったのは、皆川勢であった。
「弟たちの仇を討つのだ!!」
弟の仇を討つという広照の気持ちが、兵士達に乗り移ったのである。皆川勢の勢いは凄まじかった。伊達軍は、皆川勢の勢いを止めるだけで原田勢は攻撃を受け止めるだけで精一杯であった。
原田は、大声を出し。兵達を鼓舞する。
「勢いに飲まれるな。槍を突き出せ」
原田の声に、原田勢は必死に皆川勢に挑んでいく。
孫一は、前衛の攻撃が開始したことを見計らい、後衛へと退却していく。これより、1時間の間、両軍のせめぎ合いは続くが状況は変わらず、佐竹軍、伊達軍もお互いに譲らずに戦は続いていた。
義重は、戦に進展が見られないために、策を発動させることにした。
「よし、狼煙を上げよ」
義重の指示によって、狼煙が上がると狼煙を見た真壁氏幹の騎馬3000は、行動を開始した。真壁勢は、近くの森に隠れていたのである。隠れていた真壁勢が向かうのは、政宗の本陣である。
「よーし、これより政宗の側面を突く。全軍付いて来い」
真壁勢は、政宗の左側面を狙って走り出した。
政宗が本陣にて戦の経過を見ていた時、黒脛巾組の小平太が突然現れた。
「政宗様、西より真壁の騎馬兵3000が、こちらに向かってきております」
政宗が、小平太に向け頷くと小平太は何処かへと消え去った。
「孫一の鉄砲隊がまず、真壁勢に鉄砲を撃ちかけよ。その後、後詰の浜田勢が真壁勢に当たるようにせよ。伝令は急げ」
政宗が伝令を急がせる。伝令が孫一、浜田に政宗の言葉を伝えると、二部隊は行動を開始した。真壁隊が政宗勢に近付いて行くと、目の前に孫一の鉄砲隊が待ち構えている姿を目にした。
「くそ!!伊達勢に我が部隊は見つかっていたのか…。鉄砲の攻撃に注意せよ。全軍散開!!」
真壁隊が散開を開始し始めた瞬間。孫一の指示が鉄砲隊へと響く。
「全軍撃てーーー!!」
バーン
鉄砲の音が響き渡ると、真壁軍において、馬を撃たれそのひょうしに馬から落馬する者、馬を打ち抜かれ落馬する者が続出した。孫一は、鉄砲を発射すると退却を開始。代わって浜田勢が真壁勢を抑える。真壁勢は、孫一の鉄砲によって半数以上を失った。
真壁は、兵達を率い浜田勢へと突撃した。何としても、政宗の陣へと向かおうとしたのである。義重は、真壁勢が攻め寄せることに失敗したことを伝令より知り、鬼の形相となった。
「政宗め!!やってくれるわ」
そう言って、座っていた椅子を蹴り倒す。
戦が始まって、1時間半が経過した。両軍の戦は、一進一退を続いている。政宗は、ここで疲れ始めた前衛部隊と後衛部隊の入れ替えを行うために、指示を出す。
「前衛と、後衛を入れ替える。石川勢、片倉勢、二階堂勢に前衛を入れ替わるのだ。また、前衛に休憩と食事、水を与えよ」
伝令は、各陣へと走りよせる。政宗の指示を聞いた、第二陣が前進を開始する。第二陣が前進するタイミングに合わせて、第一陣が後退を開始する。訓練で何度も練習してきた、前衛と後衛の入れ替えである。スムーズに隊の入れ替えは行われた。
ここで、入れ替わった第二陣は皆川、小野崎、大掾、船尾勢に攻撃を開始する。
退陣した前衛部隊は、休憩と食事を取ることとなった。中でも一番被害を受けたのは、原田勢であった。原田宗政は、兵達に声をかけて回るが怪我をした者が多い。それだけ皆川勢の攻撃は、凄まじかったのである。
この時、佐竹部隊の勢いは落ちて来ていた。佐竹軍は疲れてきていたのである。既に戦が始まって二時間が経過していた。伊達軍は、常に鍛えられている職業兵士であるが、佐竹軍はその7割が農民を徴兵した部隊である。
兵士の力量は、伊達軍が上であった。しかも、伊達軍は前衛と後衛が入れ替わり、疲れがない。次第に、佐竹軍は押され始める。政宗は、佐竹軍の動きを見据えここで、慶次へと指示を送る。
「慶次に右の小野崎勢を斜めから突撃後、第二陣船尾勢を破り、第三陣小貫頼久へと突撃せよ慶次の後ろに成実部隊が続け」
伝令が、慶次へと政宗の指示を伝えると、慶次は笑って政宗の指示を受ける。
「よーし。暇で、暇で、しょうがなかったところだ。俺が、佐竹義重までの道を作ってみせらー。政宗様に任せろと伝えといてくれ」
軽くそう言うと、慶次の部隊は前進を開始した。小野崎勢が気付く前に慶次は、突撃を開始する。
「皆、俺に続け遅れるなよ。全軍突撃!!」
慶次の突撃によって小野崎寺勢は、二つに分断される。
「小野崎、何処だ!!出てこい!!」
大声で叫びながら、慶次が小野崎を探す。小野崎はこの時、部隊の中央に居た。小野崎を慶次が見つけ、一騎打ちを挑む。
「小野崎、懸かって来い!!槍の錆にしてやる」
小野崎は、慶次に挑まれると槍を構え、慶次に戦いを挑んだ。
「くたばれ。こいつ!!」
必死に、槍を突きあげるが慶次はその槍をかわし、小野崎の胸に槍を突きいれる。声を出す事もなく、小野崎は慶次に討たれたのである。
「小野崎従通、前田利益が打ち取った!!」
大きな声で、慶次が叫ぶ。
これによって、小野崎勢は崩れた。二階堂勢は、小野崎が討たれた瞬間を見逃さず突撃を開始する。佐竹勢は、右の部隊から次々、崩れ出した。政宗は、右後方で休んでいた後藤信康に突撃の指示をだす。
後藤勢は、前田勢、二階堂勢と共に右第二陣の船尾勢に挑みかかる。小野崎勢は、伊達成実隊に任せた。
この時、船尾は焦っていた。自軍の三倍の敵に攻め込まれたのである。中央の片倉勢を抑えていたのだが、それに対しても押され始めた。対して片倉勢は、右の船尾勢を三軍に任せ、左の大掾勢に攻撃を集中しだした。
船尾昭直は、陣の最後部で兵士へと指示を出していたのであるが、陣は押され兵士達は動揺を隠せなくなってきた。前田勢の勢いは衰えない。船尾勢は、前田勢に切り込まれ昭直への道をあける。
慶次は、周りを供回りに守られた昭直を見つけた。
「おーい。そこに隠れているのは、船尾殿ではござらんか。その首、わしにくれ」
そう言って、慶次は昭直に挑みかかる。昭直は、慶次を見て逃げ出した。
「おい。全員逃げるぞ。命がなくなれば、それで終わりよ」
昭直は、戦っている兵士を残し供回りと供に退却を開始した。昭直が、退却する様を見ていた兵士達は、自分達も逃げようと、必死に逃げ出したのである。ここで、船尾勢が崩れ小貫頼久勢への道が開けたのである。
政宗は、船尾勢が崩れたことを知ると、休んでいた。中央の第一陣である前野勢へ突撃を指示した。前野勢は、片倉勢の横を抜け右第三陣の佐竹義久陣へと攻めかかる。
「何という事だ、船尾め!!率いる兵を見捨て逃げ出すとは!!」
義重は、船尾に向けて殺意を向ける。しかし、ここで船尾を責めても戦の流れは変わらない。冷静に義重は、戦況を分析する。
右の軍勢が二軍破られたためにこのまま戦を続ければ、佐竹全軍が崩れ去ってしまう。第三軍は、戦に加わってはいなかったので、戦に遅れは取らないが、戦が続けば伊達軍の勢いに負ける可能性がある。
戦が始まって、既に3時間が経過していた。左の第一陣皆川勢、第二陣大掾勢は疲れ切っているだろう。いつ軍が崩れても仕方がない状況になっていた。退却をするならば、今しかないと思った義重は、すぐさま全軍退却の決断を下した。
「くそ!!兵の質で伊達軍に負けたわ。農民兵でなければ負ける事はなかった!!全軍に退却の指示を出せ。常陸と下野の国境の城まで退却するのだ。常陸には、伊達軍を進入させん。下野を伊達に全て渡すわけにはいかんのだ。退却時の殿は、義久、小貫に任せる」
伝令は、各軍へと義重の指示を伝えて回った。ここで、退却を開始したと前衛部隊から伝令を受けた政宗は、全軍突撃の法螺貝を拭くように指示を出した。
ブオー
法螺貝の音が鳴り響くと、伊達全軍が勢いを上げ攻め立てるが、義久、小貫が殿となって伊達軍を抑えるのである。伊達軍の攻撃は、苛烈であったが義久、小貫は攻撃に耐え殿を勤め上げる。
戦況を見つめていた。政宗の元に小平太がいつの間にか現れた。
「政宗様、佐竹勢は下野南東にある城へと逃げるようでございます。国境の城へと兵士達を逃げさせております」
「なれば、佐竹軍を追うのは止めて、下野南西にある佐竹領と上野南の佐竹領を攻めるとするか。小平太、今晩そなたに頼みたいことがある夜までに文を用意しておくゆえ、夜になったら文を取りに来てくれぬか」
「分かりました。夜、政宗様の元にお伺いいたします」
小平太と話を済ませると政宗は、伝令に指示を出した。
「これより、上野南を戦に参加しなかった。宇都宮城主小梁川と元宗殿にて、城を攻め取るようにと。恐らく、義重の援軍は来ぬ。簡単に伊達軍になびこう。抵抗する者は全て倒せと伝えよ。」
「次に、残った部隊は休憩を取り、近くの城から攻め立てよ。わしは、本陣を率いて先に近くの城を攻め立てるのでな」
伝令たちは、政宗の指示を各部隊へと伝えるために走り去っていった。
これによって政宗は、佐竹領であった南半分の7万石と上野の15万石合わせて、22万石を得て262万石の領土を得るのである。また、北条とも領土が接することとなった。
政宗が義重を追い払った夜。別働隊である留守勢は、花巻城へ向かう途中にある豊沢川付近に陣を敷いて野営していた。ここで、南部勢を迎え撃つのは、先方、戸沢盛安騎馬隊2500、雑賀重朝鉄砲隊2000、第二陣鬼庭綱元2000、第三陣黒川晴氏2000、大将留守政景3500、右先鋒南条隆信2000、右後陣南部信直2000、左先鋒田村氏顕2000、左後陣四釜隆秀後2000、後詰杉目直宗2000、相馬義胤2500であった。
この時、対岸には南部勢は、晴政4000、九戸政実2500・実親2500、石亀信房2500、泉山古康2500、北信愛2500、八戸政栄2500であった。
夜、留守政景の元には全武将が集まり、翌日からの戦の展開を考えていた。その時、外が騒がしくなった。一人の兵士が駆け寄ってくる。
「南部勢が夜襲を仕掛けてまいりました」
驚いた。政景が立ち上がり声をだした。
「何!!川を渡って来たのか。しかし、それならば気付くな。まさか…」
政景の考えがまとまった様子を見ると、兵士が状況を説明する。
「敵は、近くの森に隠れていた模様でございます。目の前の川を渡った、わけではありません」
「今夜の軍議は、これまでとする。各将は兵達を、まとめて下され」
「「「「「わかりました」」」」」
全員が、各自分の陣へと戻っていく。
この日、夜襲を仕掛けたのは、九戸政実勢1500であった。九戸勢に攻めかかったのは、戸沢勢であった。盛安は意の一番に、先陣を切り九戸勢へと迫った。しかし、夜で敵なのか味方なのか分からない。
盛安は、家臣に松明を用意させ。二人一組で動くようにしたのである。切かかっている者が入れば声をかけ、敵を判断することにしたのである。声をかけ疑わしいものは、その場で切りかかる。盛安の行動を、各軍が真似をしだした頃には、政実勢は退却を開始した。
政実の指揮は、冴えわたっていたのである。この晩、伊達軍は1000名の死者、1500名の負傷者が出た。味方同士の混乱により、同士討ちが起こったためであった。同士討ちが止み、状況が落ち着くと政景は、自分につけられている忍びを呼ぶことにした。
「弥太郎おるか」
その声が響くと、近くに弥太郎が姿を現した。弥太郎の姿を見ると、政景が弥太郎に指示を出した。
「弥太郎、南部勢が川のどの場所を渡って来たのか調べてくれ。もし、橋があれば壊して欲しい」
「かしこまりました」
弥太郎は、言葉を発すると同時に姿を消した。
その後、政景が寝ていると、自分を起こす声で目を覚ました。そこには、弥太郎の姿があった。
「政景様、敵は東に船橋が作られておりました。周りを敵が護衛しているため、壊すことかないませんでしたが、敵は九戸政実勢2500でございます」
「分かった。今日は休め。明日の軍議で取り上げよう」
翌朝早く、伊達軍の武将たちは政景に呼ばれ軍議を行うこととなった。政景は昨日の夜襲が、政実によるものだと皆の前で説明する。政実が指揮していることを知り、鬼庭綱元の顔が強張る。父である良直を討ったのは、政実だったのである。
「政景様、政実の抑えにはこの鬼庭綱元を使ってくだされ。お願いいたします」
綱元が頭を下げる。
「では、綱元の軍勢にて政実勢を抑えてくれ」
「ははっ」
綱元は、笑顔で政景の指示を受けた。
「次に、本日の戦についてであるが、何か意見があれば聞こう」
政景が言うと、盛安が意見を述べる。
「それならば、川沿いに対陣しておりますので、無理に攻め込む必要は無いかと。敵が川を渡るようでしたら、鉄砲隊にて敵を倒せば我らの被害は低いかと思いますがどうでござろうか」
盛安の意見に全員が頷く。
「これ以上、兵の消耗は避けたいですから。その方法が、一番いいかと思いますな」
相馬義胤が相槌を打つ。
「もしくは、退いて敵に川を渡らせ戦に挑むのもいいかと」
黒川晴氏が発言する。皆の意見を聞いた南条隆信が意見を述べた。
「なれば、敵には鉄砲隊にて攻撃を加え。綱元殿が政実を抑え。敵が出て来るようでしたら、陣を後退させ敵を引き込みましょう。どうで、ござろうか」
隆信が全員の意見をまとめ上げた発言をすると、政景は全員を見回した後頷き隆信にこたえる。
「わかった。その案で戦を行うとする。各将は持ち場へと戻っていただきたい。尚、鬼庭勢の場所には、相馬殿に入ってもらう。鬼庭勢には本体より500の援軍を出し。弟の杉目にも加勢に回ってもらう」
「「うけたまわりました」」
義胤、杉目が頷き。全員が持ち場へと帰って行った。
伊達、南部両軍は川を挟み、対峙したまま時間が過ぎる。南部軍は攻めかかってこない。その頃、鬼庭、杉目勢は、九戸政実勢と川を挟んで睨みあっていた。鬼庭、杉目勢が出陣した報を聞くと、すぐさま川を渡ったのである。
「ここまでか…」
政実は独り言を言うと。配下に船橋を撤去させたが撤去させている途中に鬼庭、杉目勢が橋にたどり着いたのである。
政実は、船橋を焼くことにし、船橋が焼け上がるのを見終えた後、南部晴政の元へと戻っていった。鬼庭、杉目勢は戦をすることなく、政景が守る陣まで戻ることにした。
その日は、両軍ともに戦もなく夜を迎えた。
ここは、南部晴政陣。晴政が軍議を開いていた。政実は、昨夜の夜襲における褒美を晴政より貰っていた。
「良く、昨日の夜襲を成功させてくれた」
誉められた。政実は笑顔で答える。
「ありがたき幸せ。それで殿、伊達軍との戦どうお考えでございましょうか」
政実が質問をすると、晴政がこたえる。
「出来れば、伊達軍を退却させたい。石川勢が津軽勢を抑えてはおるが、援軍を求める遣いが来ておる。何か、いい策はないか」
晴政が質問すると、政実の目が光った。
「殿それでしたら、このような策はどうでござろうか」
こうして、その夜の南部勢の軍議は終わりを迎えるのである。早朝、伊達軍の見張りが対岸に驚くような光景を見つける。政景は、知らせを聞き急ぎ川へ向かった。何と対岸にあった、南部勢の姿がないのである。
「なぜ、南部勢は退却したのだ…。もしや、津軽勢へと向かったか。しかし、このままにすれば、我らに花巻城は落ちよう。何を考えているのだ。弥太郎、おるか」
すると弥太郎が姿を見せた。
「なぜ、南部軍が退却したのか調べてくれ。対岸に敵がおらず、南部勢が津軽勢との戦に赴いたのであれば、我らは前進し花巻城を落とす」
「調べてまいります。お待ち下さい」
弥太郎が政景に返答し姿を消すと、早速軍議を開くこととなった。軍議の席で、綱元と田村が積極的に話をする。花巻城を落とす事を進言するのであった。
「政景殿、これより川に船橋を作ること許して下され。花巻城へ攻め入りましょうぞ」
綱元の発言に田村ものる。
「政景殿、我らに兄の仇を討つ機会を与えて下され。花巻城へと攻め入りましょうぞ」
二人の意見は変わらない。政景は今、黒脛巾組によって南部勢の動きを調べていることを説明するのであるが、二人はなかなか承諾しないのである。軍議が始まり、半時程せめぎ合いが続いた時、政景は船橋を作る事だけを承諾することにした。
鉄砲隊に守らせておけば、船橋を作る際に南部勢が攻めて来ても、退却するまでの時間は稼げるからである。鬼庭勢、田村勢は喜び勇んで、船橋を作り始めた。今回、船は政宗の命令によって持ってきていたのである。投石器も持ってきてはいたが、船橋の上は通ることができないために、二子城へと移す事となった。
昼が過ぎた頃になり橋が完成した。しかし、ここで思ってもみなかった行動に、田村、鬼庭勢は出た。無許可で川を渡り始めたのである。これに驚いた、政景は伝令を出し、勝手に橋を渡らないように指示をだすが言う事を聞かない。鬼庭、田村勢は花巻城を目指し始めたのである。
こうなっては、どうすることもできないと判断した政景が、全軍に出陣を命じた。夕方になり、花巻城に着いた時にようやく、鬼庭、田村勢に追いついたのである。陣を敷くと、軍議を開始した。政景は、綱元、田村を責めたてる。
「何故勝手な事をしたのだ。これでもし、敵が策に乗っておったらどうするのだ。我らは、戦に負けるかもしれないのだぞ」
綱元、田村の二人はこの時になって、自分たちがしたことに気付いた。頭に血が上っていたのである。
「申し訳ござらん。北が納める花巻城が近くにあると分かっているのに攻めることが出来ないことが、悔しかったのでございます」
「それは、理由にならん。勝手に動いたことは、政宗殿に報告する。そう思っておれ!!」
二人を責めると、翌日からの花巻城を攻める策を話し合うこととなった。この時、盛安、晴氏、義胤は遅れて軍議に参加した。もし、敵の策があった場合に敵から逃げる街道沿いに柵を作り、逃げる時に敵を食い止めるためである。
全員がそろった時には、日も山に隠れようとしていた。軍議を始めようとした時、急に弥太郎があらわれた。
「政景様、なぜ川を渡ったのですか。九戸兄弟が率いる部隊、5000が攻めかかっております」
「何!!」
「城には、3000の兵が居ります。南部晴政は、家臣を率いて津軽勢との戦に向かいました」
「相手は、8000かこちらの方が多いがこれから夜になれば、敵の見分けも付きにくい。鉄砲も発砲しても当たるか分からん。返り討ちにするのもいいが…。ここは、退却することとする。殿は、綱元、田村殿にやってもらう」
政景は、綱元と田村に自分たちがやった責任を、取らせようとしたのである。政景が二人に告げた時、晴氏が異議を唱えた。
「ここは、それがしと南条殿が引き受けましょう。お二人の部隊は、昼に船橋を作られているだけでなく、急いで花巻城へと向かってござる。兵達も疲れておりましょう。我らの部隊は、それに比べれば耐えられまする。よって、我らが殿を引き受けましょう」
政景は二人に任せることにした。
「それでは、晴氏殿、南条殿にお任せしましょう。全軍退却」
こうして、日が落始め薄暗くなった道を伊達軍は退却しだしたのである。九戸勢、北勢は、殿である黒川、南条勢を捕らえ戦った。黒川、南条勢は近くにあった柵で九戸、北勢を迎え撃ったのである。
この時、周りの茂みに鉄砲隊1000が隠れて狙っていた。重朝が晴氏と南条の軍を援護することを進言したのである。敵が策に近付いてきた時、重朝より鉄砲隊に命令が下った。
「全軍撃てー」
声がする方へ、九戸・北勢が眼を向けた瞬間、夕闇に照らされた黒光りする鉄砲が発砲されたのである。
バーン、バーン、バーーーーーーーーーン
まともに鉄砲の攻撃を受けた九戸・北勢は、この鉄砲攻撃によってすぐさま退却を決意する。無用な兵の損傷を抑えようと考えたからだ。
「「退却」」
政実、北勢は花巻城へと退却した。黒川、南条勢は鉄砲隊とともに、退却を開始。敵が退却することを確認し、松明を持ち夜半になってようやく、豊沢川の陣へとついたのである。伊達軍は、昨日まで陣を敷いていた場所に陣を構え、翌朝を迎えるが南部勢は攻めてこなかった。
5日間、陣を敷いたが南部勢があらわれず。弥太郎の知らせによれば、南部勢は花巻城を固めている報告を聞き。無理をする必要がないと判断した政景は、戦を終わらせることにし、全軍退却の指示をだした。舟橋は撤去し、8月になって米沢を目指したのである。
ここに、伊達軍を震撼させた。佐竹、南部との戦が終わった。
政宗は、8月中頃まで上野、下野の領土を攻め伊達領とすると、宇都宮城に入り北条の死者を待っていた。小平太に文を渡し、実元に指示を出して使者とし、北条に佐竹との講和を頼んだのである。
北条は、まず佐竹へと赴き講和の条件を聞いた。佐竹としても、戦を続ける意思がなかったため、講和の条件として3年間の停戦を伊達家に認めるように言ってきたのである。
伊達家としては、4月の敗北、佐竹、南部の挟撃によって失われた兵は、11000もの兵が亡くなり怪我人も6000に上ったのである。兵士達を訓練する暇も無かったために、伊達家としては、自国を守るためにも兵の補充が急務であった。
佐竹を攻める事が出来るが、戦となれば討死した兵士達の数が増える。兵数が減れば、自国を守る兵も減るのだ。政宗は、ここで佐竹と停戦し兵士を休ませ、兵士を増やし新規の兵を訓練する時間が欲しかったのである。
下野、上野に新しい土地も手に入れたのである。そこに送る兵も増やしたい。内政も滞っていた。佐竹家の3年の停戦を政宗は認め、お互いに北条家を仲介として認めることにした。
3年の停戦がなると佐竹義重はこれより、農民兵を兵農分離することに動き出す。3年の年月があれば、義重は可能だと考えていた。義重は、政宗を倒す事をここに決意したのである。
9月になり、政宗は米沢城へと帰った。
城にて、今回の戦による褒美を家臣に与えるためである。まず、政宗は佐竹に攻め寄せた武将たちに加増を行った。ここで、上野において義重が改修した館林城を石川昭光に与え城主とした。
家臣達が一番驚いたのは、下野国唐沢山城を戦に出陣していなかった北条高広に与えたのである。北条は転封となった。この理由は、北条家と領土を境にしたことによって、もし佐竹家が盟約を反故にし、攻め寄せた場合。
北条が下野に居れば、北条家の家臣になったこともあり、北条家中でも顔が知れているため、援軍の依頼を北条家に行いやすくなるためである。政宗は、その理由を家中に伝えると誰も反対の声は出なかった。
北条は、自分が政宗に信頼されていることを喜び、政宗のために戦うことを誓うのであった。次に、政宗は南部と戦った者達の褒美の話となったが、政景は南部にしてやられた感が否めない。まず、政宗に頭を下げた。
「政宗殿、此度は南部家との戦、申し訳ござらん」
頭を下げる叔父に対し、政宗が声をかける。
「叔父上、頭をお上げください。南部勢との戦は、勝ってもなくば、負けてもおりません。引き分けでございます。それに、当初の予定通りに南部家は我が伊達領へは攻め込んではおりません。それで、皆には領土の褒美は出せませぬが、他に褒美を考えていたのでございます」
そう言うと、南部との戦に参加した者達へ金と刀や茶器が渡されたのである。褒美の話が終わると政宗は、綱元、田村に声をかけた。
「綱元、田村、恨みに思う気持ちは分かるが、次に命令違反をすれば許さん。心にそのこと置きとどめよ」
二人に注意を促すと、二人は頭を下げ返答した。
「申し訳ございません。以後、気をつけまする」
二人が反省していることを確認すると、政宗は自室へと退いた。久しぶりに、妻達に会いたかったのである。政宗の南部、佐竹との戦はここに終わりを告げるのであった。
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