北へ西へ
1579年3月御館の乱が終わり、上杉景勝は上杉景虎をやぶり上杉の当主となった。しかし、これによって家中内での対立が表面化したことで、未だに乱の後の混乱は、収束する見込みは遠い。御館の乱により上杉家と武田家は同盟が成り、武田家と佐竹家も同盟が結ばれた。
上杉家と武田家の同盟を快く思わない北条家は、武田家との同盟破棄を決め、北条家は武田家が納める駿河へと出兵を行うこととなった。伊達家は、北条家と武田家は同盟関係であるため、援軍を両者に送ることは出来ない。伊達家としては、北条家と武田家との戦を静観せざるを得ない状況となっていた。
米沢城輝宗の執務室に元宗、実元、政景、政宗、遠藤、黒川が集まっていた。今日、なぜ輝宗が家臣を集めたのかというと、今年の戦略を練るためである。これには、2月に南部家家臣である北信愛が米沢城を訪れ、後1年南部家への進行を遅らせて欲しいと願い出たからであった。
北信愛が言うには、まだ晴政派の切り崩しが終わっていないため、後1年の猶予が欲しいとのことであった。輝宗は、南部家との戦をそれほど急いでいないために、南部家への進行を遅らせることを承諾した。
「それで殿、今年の伊達家の方針は、どうお考えになられておりまするか」
まず、元宗が話を切り出した。輝宗は、元宗を見てこたえる。
「今年は、安東家を攻め落とそうと考えておる」
「安東家でございますか。東北で残っている勢力としては、南部家と安東家だけでございますな。南部家との戦を1年延ばしたのですから、安東家を攻めるのも道理でございますな」
実元が、輝宗の意見に賛同する。
「この度の戦であるが、藤次郎に任せようと思っておる」
それを聞いた、全員が驚いている。
「父上、私に任せて頂けるのですか」
「藤次郎、お前に出陣する武将も、選んで貰おうと考えておる」
それを聞いた。元宗が輝宗に対して意見を求めた。
「殿、政宗殿は確かに、内政面や外交面での結果は出しております。しかし、今まで政宗殿は戦に出てはおりますが、結果は残しておりません。家臣達に対して、政宗殿の戦面での能力をみせるにはいい機会でしょう」
輝宗はその言葉に頷き。言葉を続けた。
「元宗殿と晴氏殿に、藤次郎はこれまで戦の戦略や駆け引きを、教えて頂いたが。お二人から見て、今回の戦を政宗に任せても大丈夫だと思われるか」
二人は、頷き。元宗に代わって晴氏が輝宗にこたえる。
「政宗様は、十分に学んでございます。一軍を率いても、任せて大丈夫かと」
輝宗は、二人の答えに満足していた。自分の考えを、集まった武将に説明することにした。
「この度の安東家との戦において、藤次郎が勝利を収めた暁には、家臣達の前で藤次郎を次期当主とすることを発表しようと思う」
実元がそれを聞き、喜んで賛同する。
「おおっ!!それはいいことでありますな。政宗殿に足りないのは、戦での功績のみ。安東家を政宗様が倒せば、家臣達が反対することもないかと」
「藤次郎、任せるぞ」
政宗は、頭を下げて答えた。
「その期待に、応えてみせまする」
政宗は嬉しかった。輝宗が自分を認めて、次の当主と考えてくれたことを感謝した。
話が、終わったころを見計らい。遠藤より軍備の報告が始まった。
「殿、昨年に開発を始めた、新型の鉄砲が出来上がりました。以前と違う場所は、撃鉄根元に鉤状の安全装置をつけ、暴発の危険性を減らし整備、維持、保守、点検、手入れが安易になりました。さらに、政宗様が考案された手筒包を100丁用意しました」
「それは、重畳。それで手筒包とは、どのようなものだ」
「手筒包は、長い筒に花火状の火薬を詰めて発砲するものです。また、新たな鉄砲1000丁を、去年そろえました。今年の戦力は鉄砲6000丁、新型鉄砲1000丁、馬32000頭、兵65000、南蛮船2隻、安宅船8隻、商業船3隻となりました」
輝宗はそれを聞き、頷いた。
それから時が過ぎ、3月半ばに戸沢盛安と琴姫との結婚がなり、盛安は伊達家の一門となったのである。
3月末になり、伊達家米沢城に伊達家の家臣が集まった。安東家へ出兵するためである。
まず、輝宗が話し始めた。
「それでは、これより安東家へと出陣する武将を、藤次郎より発表させる。今回の、出陣においては藤次郎を大将にして出陣させようと思う」
集まった、伊達家の家臣達は驚いた。政宗に今回の戦の、全権限を任せると言ったからだ。
「それでは、藤次郎。皆の前で発表せよ」
「今回の戦では、政宗が指揮をとる。先方は、戸沢盛安の騎馬隊3000、その副将に前田利益とする。同じく鉄砲隊2500を孫一に率いてもらう。第二陣南条隆信の2500、第三陣伊達実元の3000、右陣先鋒を相馬義胤2500、右後陣に石母田景頼2500、左陣先陣を黒川晴氏2500、左後人に国分盛重2500、後詰桑折宗長1500、泉田重光1000、大内定綱1000とする」
それを聞いた、武将たちが頭を下げる。
「ははっ」
この時、一番驚いていたのは、大内定綱であった。自分は、伊達家では出世することは無いと、考えていたからである。定綱が驚いていると、全員が頭を上げたので、それにならって頭を上げると、政宗は次に自分の家臣に眼を向けた。
「わしが率いる5500の兵の内訳は、騎馬隊1000を鬼庭綱元、同じく騎馬隊1000を片倉景綱、歩兵1000を前野忠康とする。残り2500をわしが預かる。それと、成実は実元殿の陣に置くこととする。水軍長、熊谷信頼」
「はっ」
信頼が頭を下げる。
「信頼、そなた安東領に海から攻め入ろうと考えると、どれくらいの日にちが必要か」
「一月程いただければ可能かと」
「それでは、これより出陣し安東水軍との海戦を挑め。戦に安東勢が負けた場合、安東愛季は、蝦夷へと逃げるであろう。そこを、攻め寄せよ」
「分かりました。直ぐに出陣いたします」
これより、伊達勢は米沢城を出陣、2週間における行軍の後、戸沢領角館へと入った。
城内において、政宗と盛安は会見することとなった。初めて、二人はお互いに話す機会を得たのである。
「盛安殿、安東家の家臣の切り崩し、どうなっておりますか」
「はっ、政宗殿に頼まれた安東家臣の切り崩しですが、安東愛季の元に一つになっている模様。切り崩せませんでした」
「そうか。やはりな」
政宗は、盛安の報告に納得した。安東愛季は、長く分裂していた檜山系と湊系の安東氏を統一し、安東家の発展を支えてきた者であったからだ。その後、安東勢の戦力に対する報告が終わり、その夜は、政宗と盛安は互いのことや、戦のことなど色々なことを話した。二人とも惹きつける何かを感じたのである。
政宗が、角館城に入城する数日前、愛季の本城である檜山城には、浅利勝頼、大高光忠、五十目秀兼、嘉成重盛、南部季賢ら家臣達が集まっていた。
「伊達との戦どうするか。意見を聞きたい」
代表して、大高光忠がこたえる。
「愛季様、伊達家は内応の使者を出してまいりましたが、全員断っております。ここに内応者はおりませぬ。ご安心ください」
「ありがたい。伊達との戦の前に、皆の気持ちが分かった。援軍が得られない以上、全軍を率いて伊達と決戦に及ぶ」
「それでは、津軽家が攻めてまいりましょう」
南部季賢が心配な面持ちで意見を述べた。それに、愛季が答える。
「心配はいらん。南部家が津軽家へと出兵する」
南部家の出兵理由は、津軽家が安東家を攻めることで、領土を拡大することを嫌ったからであった。
「津軽家が攻め寄せてこないのは、ようございました。これで、全軍をもって戦えますな」
嘉成重盛が笑顔で答えた。
「伊達家との戦の場所は、角館城近くの大森山にて戦を行う。出陣の準備を始めろ」
角館に伊達軍が入城した翌日、大森山に安東勢が陣取ったことを黒脛巾組が知らせてきた。そのため、政宗達も決戦場である大森山へと向かった。安東勢は、大森山の麓に陣を敷いていた。
第一陣に大高2500、五十目2500、第二陣に嘉成2500、浅利2500、第三陣に安東4500である。第一陣は平地、第二陣は山の麓、本陣は山の中腹に陣取った。
政宗は、全軍が大森山に陣取ると戦の準備を始めたが、翌日まで戦を延ばすことになった。政宗に策があったからである。その頃、愛季は、陣を固める伊達軍を山の上から眺めていた。伊達の軍勢がどの陣形を選ぶのか、見渡すためである。
「伊達軍は、魚鱗の陣形を敷いてきたな。あれは何だ。伊達軍の陣中に、何か兵器が見えるが」
それを聞かれた。浅利は愛季を見つめ答えた。
「あれは、攻城兵器か何かでしょうか。これは、平野、山岳での戦でございますれば、おかしいですな。この後の、檜山城での戦を見越したのでしょうか」
頷いた後、愛季が答えた。
「それならば、伊達はこの戦に勝とでも思っているのか。兵力差では倍でも、本陣さえ襲ってしまえば…」
愛季は、浅利を見て薄笑いを浮かべた。
翌日、日が昇り伊達軍に動きがあった。政宗が行動を、開始したのである。
「よし、そろそろ始めるとするか。孫一、戸沢、実元殿に伝令を送れ」
政宗の指示を聞き、孫一は鉄砲を持ち、鉄砲の攻撃が届く距離へと前進を開始した。距離を詰めると孫一は、各鉄砲隊に指示を出した。
「よーし、鉄砲隊は発砲の準備を行え」
全員が鉄砲を構えると、鉄砲隊全軍に指示をだす。
「全軍撃てー」
バーン、バーン、バーン
孫一の合図により、各鉄砲隊より一斉に発報が開始された。前衛である大高、五十目陣の武将たちは次々に倒れていく、伊達陣へも安東勢から発砲があったが、あまりにも静かな発砲であった。
「あー、痛い」
「いてー」
「肩を打ち抜かれた」
安東勢より、阿鼻叫喚があがった。
この時、安東勢は700丁しか、鉄砲を持っていなかったからである。しかも、安東勢は伊達勢の一斉発砲によって、鉄砲隊は数を減らしてしまった。これで、発砲がおわれば良かったが、続いて三回にも及ぶ一斉、斉射が行われた。斉射によって、安東勢の足軽達は、鉄砲の弾に当たらないように、戸板の下に隠れ鉄砲の弾が当たらないように、しゃがみこんだ状態となった。
第一陣の前衛がしゃがみこんだ瞬間、伊達家から新たに作った手筒包50門が、安東家の柵に向かって発射された。
ドーーーン
という音の後、前衛の前にあった柵が吹き飛び、周りに陣取っていた敵兵が吹き飛んだ。
安東勢の第一陣が、混乱状態となった。その時、安東勢の頭上に球が飛んできた。球に気付いた兵士から声が出た。
「ありゃなんだ」
その声に、近くに居た者達から全軍にまで声が膨らんでいった。球は、第一陣と第二陣の間に落ちてきたところで爆発した。
バーーーーン
凄まじい爆発の後には、無数の足軽達が倒れている状況となり、それを見ていた安東愛季はあっけにとられていた。自分の軍勢が、一時の間に数を減らしてしまったからだ。怪我をした兵士達が、もがき苦しんでいる。
「誰か助けてくれ」
「右手が吹き飛んでしまった」
「足が~、足が~」
いたるところで、痛みを訴える声が響く。愛季があっけにとれている時、伊達勢より騎馬隊の足音が鳴り響いた。
伊達騎馬隊が突撃してきたのである。先頭を駆けるのは、戸沢盛安と前田慶次であった。次々と、前衛の部隊が倒されていく。柵が手筒包によって、破壊されたため柵を気にせずに突撃してきた。
盛安の声が響く
「大高、五十目どこにおる。我こそは、戸沢盛安である。勝負いたせ」
盛安は抱えた、槍をさばきながら大高、五十目を探していた。慶次も同様に、大高、五十目を探し、敵足軽に槍を突き足軽達を倒し続ける。
「出てこい、尻込みしたか~」
その二人の姿に、第一陣の中心は分断されることになり、安東軍、前衛部隊は騎馬隊の動きを防ごうと、中心に向かって軍の向きをいつのまにか向けていた。
しかし、中央に軍を向けた時、大高、五十目の両軍に黒川勢、相馬勢が攻めかかったため、横腹を突かれることになった。しかも、二人の姿は、盛安と慶次に見つかってしまう。
「おお、そこに居るのは大高殿とお見受けします。わしは戸沢盛安、尋常に勝負」
そう言って、大高に盛安は突撃を開始する。これに応え、大高も声を上げた。
「わしの、槍の錆にしてくれよう。さー、かかって参れ。若造!!」
大高は槍を構え、突撃した盛安に槍を突いたが、これをかわし大高の喉にお返しとばかり槍を突きいれた。盛安の槍は、大高の喉を捉え大高は即死することになった。
「大高光忠、戸沢盛安が打ち取ったり~」
この時、慶次は同じように五十目を見つけていた。
「おお!!そこに居るのは五十目殿ではないか」
その声に、五十目は反応する。
「何奴じゃ、名を名乗れ」
「わしは、伊達家臣、前田利益じゃ。一騎打ちを所望する」
五十目は、慶次に応え槍を構えた。慶次は、五十目の周りを固めていた武将達を薙ぎ払い、五十目に近づく。五十目は慶次に槍をつけるが、五十目の繰り出した槍は慶次によって払いのけられ、払いのけた槍の勢いで、胸を慶次の槍で突かれることになった。
二人の武将を無くした第一陣は、ここに崩壊してしまった。第二陣は、伊達騎馬隊を止めようとするが、戸沢、前田に率いられた騎馬隊の足並みを止める事ができない。
騎馬隊の足並みを見た、第二陣にある兵たちは花火の攻撃や、第一陣の壊滅を見て退却を始めてしまったことにより逃げ出す者が続出。
「命あっての物種だ。逃げろ」
「ひえ~」
「おい!!逃げるな戻って戦え」
と言った、声が第二陣から聞こえ出した。これによって、第二陣は次第に瓦解し始めた。第二陣の嘉成重盛、浅利勝頼は、必死になって足軽達の退却を止めようとするが、足軽達は言う事を聞かない。伊達軍、騎馬隊が安東勢第二陣の中央まで進んだところで、愛季は伊達軍が前がかりになっていることに気付いた。
自分の策を発動するために、伝令を呼ぶ。
「よし、今ならば…。別働隊に指示をだす。狼煙を上げよ」
愛季の指示の下、狼煙が上がると西の森から別働隊の南部勢2500が、政宗の本陣に攻め寄せた。それを見た政宗は、落ち着いて指示を出す。
「石母田、泉田隊に対応するように伝令を向かわせろ」
伊達勢は、伝令が来ると南部勢に向かって進軍を開始した。石母田、泉田勢により南部勢は止められた。政宗の対応が早かった理由は、前日に戦を伊達軍がしかけなかったことに由来する。政宗は、攻めて来た安東勢が伊達家に勝つには、不意を突いて伊達勢を攻撃するしかない。
政宗をこの戦で、倒すのである。それならば、どこかに伏兵を潜ませている可能性がある。陣を敷いた後、黒脛巾組に周りの森を調べさせたのであるが、調べさせると安東家の伏兵が居ることを、見つけたために伏兵に対応することが出来たのであった。
安東勢第二陣の退却する姿を見ていた別働隊は、鉄砲の威力や手筒包による被害を目の当たりにし、これは勝てないと思ったのか、戦意が落ちていた南部勢の足軽達も、勝手に退却を開始した。
南部勢の退却を見ていた愛季は、策が敗れたことを実感し直ぐさま退却を指示した。政宗は、退却する愛季軍の退却を見ると、すぐさま戦に参加しなかった。桑折勢、大内勢、国分勢に指示をだす。
「桑折、大内、国分殿に他の城には目もくれず、檜山城へと進み檜山城を落とせ。他の城は、ここに残った軍勢で攻め落としていくと伝えよ」
それを聞いた。桑折、大内、国分勢は檜山城へと進軍して行った。
この時、政宗の指示を聞いた、大内定綱は驚いていた。今回も活躍する場が、与えられないと思っていたからである。伝令の指示に、いち早く動き出した定綱勢は、他の二つの軍に先駆けて、檜山城へと進軍を開始した。定綱は、この時喜び勇んでいたのである。
続いて、実元、泉田、石母田勢に対して政宗は指示を出す。
「実元殿、泉田、石母田勢に近くの城でこちらに寝返る気がない城は、全て攻め落とすように指示を伝えよ」
指示を受けた実元、泉田、石母田勢は、近くの城へと進軍する。
最後に、残った軍勢に政宗は指示を出した。
「南条勢はここに残り、傷ついた者の傷の手当、亡くなった者の埋葬を行うように伝えよ。相馬、戸沢・前田、黒川勢に傷ついた者はその場に残し、休憩が終わった軍から次第に動くように伝えよ。本軍はこれより、檜山城へと向かう」
伊達軍本陣は、その場を任せ進軍を開始した。
安東愛季は、負けを認め準備していた安東水軍の安宅船に乗って、蝦夷へと逃れることにした。水軍船には、愛季の家族も一緒である。負けた場合を考え、船に乗せていたのであった。
土崎港を安東勢が、出向して間もなく。目の前に、伊達の家紋が書かれた船が迫ってくる姿を、水夫がとらえた。伊達勢はこの戦に、南蛮船1隻と安宅船5隻を出陣させていた。対する安東勢は、安宅船6隻である。
お互いの船は、焙烙火矢または焙烙玉によって、攻撃できる船の間隔で攻撃しあうのであるが、伊達水軍は焙烙火矢または焙烙玉が届く距離まで近寄ってこない。
伊達水軍、南蛮船の上では水軍長の熊谷信頼によって、手筒包発射の命令が水夫達にかかる。
「よーし、手筒包の発射の準備を始めろ。後、敵が攻撃できない距離を保ちつつ、手筒包が届く距離にて、安東水軍に眼にものを見せてくれよう」
お互いに、船の側面が向かい合う位置に来た時、伊達軍より、手筒包が安東勢の安宅船を襲った。
「手筒包、撃てーーー!!」
信頼の号令の元、50門の手筒包により球が発射される。
バーーーン
手筒包が安東勢の安宅船に当たると、先頭を走っていた安宅船三隻から火が燃え上がった。燃え上がった、安宅船には愛季とその家族が乗っていた。安宅船は混乱をきたし、逃げ惑う者や、燃える船の炎を消そうと動き回る者がおり混乱状態となった。消火する者は数人居るが、消火よりも船が燃え上がる方が早い。
しばらくすると、愛季の船より白旗が降られ、愛季は伊達家に投降することとなった。
周りの船も、伊達家の攻撃に驚き戦意を喪失したのである。伊達水軍が、安東水軍に勝っていた頃…。
夕方遅くになり、政宗達は檜山城近くの大館城に入城した。檜山城には国分、大内、桑折が檜山城へとたどり着き入城したのである。
翌日、伊達軍は安東家の残った城に進軍して行った。この後、4月末安東家は滅びるのである。伊達軍は、安東勢を倒し、20万石を手に入れただけではなく、蝦夷の地を納める蠣崎季広が伊達家の家臣となり、伊達領は245万石となった。
今回の戦において、嘉成重盛、浅利勝頼、南部季賢は戦の後、伊達家に降伏、領土は安堵されることになり、国分盛重は土崎港の近くにある出羽香奇館を改修することや、港の整備、土地の開墾、工業施設、産業施設の建設を輝宗より指示された。
檜山城は、桑折宗長に与えられ、国分盛重を助け出羽国の発展を手助けすることとなった。泉田重光は、蝦夷地へと向かい蠣崎氏との取次や、蝦夷地の開発アイヌ人達との融和に努めることとなり、他に出陣した武将達には領土の加増が認められた。政宗は、国分の仕事を手伝うことになり、出羽に滞在することが決まり、他に出陣した武将たちは、自国へと帰ることになった。
9月になり、粗方の開発が終わり政宗は米沢城へと帰って来た。米沢城へと戻ると輝宗の執務室へと通された。
「藤次郎、ご苦労だった。ところで、出羽の開発はどうなっておるか」
「父上、ある程度の開発は進んでおります。城の縄張りや土崎港、工業・産業施設の開発はある程度、かたちになりました。新たに金山、銀山も見つけることが出来ました」
「それは重畳」
「大久保殿にお願いして、鉱山の開発が進んでおります。しかし、大久保殿に全ての鉱山を任せきりにするのはどうかと。確かに今、信頼できる家臣が大久保殿に鉱山開発を学んでいますが、以前お願いしたように黒脛巾組の者を数名潜ませてもらえませんか」
「それはいいが、確かに一人に任せきりもいけんからな。それで藤次郎、これからは、ゆっくり休めばいい。そなたの姫達も待っておるでな。仙台の開発は、小次郎が進めておる。藤次郎が進めていた開発を受け継いでな」
「小次郎は、優秀な弟です。後日、仙台へと向かい内政を行います」
輝宗は、政宗の言葉を聞き頷いた後、続きを話し始めた。
「それから、そなたの提案していた。相馬、岩城領に中規模の港の建設と造船所の建設も終わっておる。これから、中型の戦艦や商業船を作っていくことになる」
「では、父上は以前、私が提案した中型商船における伊達国内の、貿易推進に賛成していただけたのですね」
伊達国内は、現在関所を撤廃している。他国との間には関所は作っているが、金銭は要求していない。間者を防ぐために関所を設けているだけである。
「そうだ。港へとこれからは、輸出品を集め、各港へと寄って輸出品を乗せて行くことにした。わざわざ、塩釜港に集めれば、それだけで輸送費がかかるが、近くの港に集まれば輸送費は少なくてすむ。葛西領の港は、現在整備中だ」
「わかりました。意見を受け入れて頂き、ありがとうございます」
「最後になるが、来年の正月には家臣達に藤次郎を、後継者とすることを発表する」
政宗は、頭を下げ輝宗に感謝の念を伝えた。
「父上、ありがとうございます。政宗、これからもより精進いたします」
その日、政宗は久しぶりに妻達と会うこととなった。久方ぶりである。昨年は、御館の乱などで出兵もあり、一緒に過ごすことがなかなか出来なかった。今年は、安東勢との戦のために、半年近く城を空けていた。
「政宗様、お帰りなさいませ」
三人を代表して、亀姫が挨拶をする。
「ああ、皆が元気そうでなによりだ」
それを聞いた、三人は顔が喜びに満ちていた。政宗は、着替えた後、三人で食事をすることとなった。
「政宗様、食事の時にすみませんが、昨年は北条のために援軍に出て頂き、ありがとうございました」
亀姫が頭を下げる。それを聞いた、松姫も政宗に話しかけた。
「政宗様、武田家への援軍本当にありがとうございました」
松姫も同じように頭を下げた。
「二人とも気にするな。そなた達の実家とは、同盟関係にある。助けて当たり前だ」
二人は、満面の笑みになったが急に顔が曇った。
「どうしたのだ。深刻な顔をして」
亀姫が意を決して、政宗に話し出した。
「北条と武田との同盟の仲介を、伊達家が出来ませぬか」
一呼吸置き、政宗は答えた。
「すまぬがそれは厳しい。昨年の乱により、上杉景虎殿が亡くなっておるし武田家は景虎殿を倒した景勝殿に妹を嫁がせている。これでは、北条にいくら武田との和解を呼びかけても厳しいのだ」
亀姫、松姫は悲しい表情になった。二人の仲はいい。実家のこともあるが、それを感じさせない。二人に対して、政宗は優しい言葉をかけてやろうと思った。
「武田と北条がまた、盟友になれるように力になれる時は、伊達としても動けるように父に相談しよう」
二人は、満面の笑顔になった。
「「ありがとうございます」」
こうして、政宗と姫達の1日は過ぎてゆくのであった。
翌日、政宗は仙台へと向かった。仙台の町の発展を、確認するためである。仙台の町は、この2年半の間に街並みは整い、武家屋敷も建てられている。城は、石垣の工事が終わり今は、天守閣や二の丸、三の丸の工事に移っていた。仙台の町へと着くと、小次郎が仕事をしている姿を見つけたので小次郎に話しかけた。
「小次郎、よくここまで開発を行ってくれた」
「兄上、おかえりなさいませ。兄上に町割りを決めていただいたので、それをそのまま行っているだけですので、私は楽でした」
「町割りは決めてあっても、決めてあった日程で進んでいるのは小次郎の力がおおきい。ありがとう」
政宗が小次郎に感謝の意を伝えると、小次郎は笑顔でこたえた。
「兄上、仙台の発展を兄上と供に出来ること、小次郎は嬉しく思っています」
二人は、会っていなかった間の出来事などを、話しながらその日は過ごしたのである。
9月半ばになり、仙台の町を政宗達が開発していた時、米沢城より遣いの者が政宗を呼びに来た。至急、米沢城へと戻るように言ってきたのである。城に戻り、大広間に行くとある武将が米沢城を訪れていた。そこには、輝宗、実元、遠藤が居た。
「これは、政宗様お久しぶりでございます。去年は援軍、ありがとうございました」
挨拶をした武将は、真田昌幸であった。
「真田殿、お久しぶりでございます。遅くなり、申し訳ございません。それで今日は、どういったご用件でしょうか」
政宗が質問すると、遠藤が昌幸の訪問理由を代わりに述べた。
「真田殿は、伊達家への援軍の要請に参ったのです」
それを聞いた政宗は驚いた。今、武田は北条、徳川、織田に攻め込まれている。今、武田を救援に行くと、北条との関係が悪くなるのではないかと、考えたからである。政宗が考えている時、昌幸が集まった武将達に話し始めた。
「援軍に来ていただいて、一緒に戦ってもらいたいのは、織田軍なのでございます。北条軍と戦になると、伊達家も北条家と同盟破棄になる可能性がありますので」
それを聞いた、伊達家の者達は、しばし考えた。すると輝宗が実元に相談する。
「実元殿、北条への使者に赴いた場合、北条は伊達家の立場を理解してくれようか」
輝宗に聞かれた。実元がこたえる。
「それは、理解して頂けると思いますが。何と言っても昨年、伊達家が北条の援軍要請に応え、援軍に出ましたが、我々は援軍の報奨を貰っておりません。北条からも、報奨の話はありませんでした」
「なれば、武田家への援軍を受けよう。援軍を率いるのは藤次郎に任せる。どうか」
政宗は、突然の使命に驚いたが輝宗の指示に従うこととした。
「お任せ下さい」
輝宗の話を聞いた後、昌幸は輝宗に感謝の意を伝えると、武田領へと戻っていった。
昌幸が広間を下がると、残った者達で話し合いが行われた。
「藤次郎、武田家に援軍に行く理由が分かるか」
「はい、武田領の事を調べてはいますが、実際に見るのでは違うかと。武田の現状を探ってくるのですね。また、武田家中の人物と繋がりを持つのですね」
「まさしく、その道理だ。藤次郎、出陣する武将はいかがする」
「先鋒を鬼庭良直の騎馬隊2000、孫一の鉄砲隊1000、第二陣浜田2000、第三陣元宗2500、本陣政宗の3500、左陣後藤2000、右陣石川昭光2000、後詰杉目直宗500、合計15500で出陣いたしまする」
「ならば、実元が北条から理解を得られてから、武田領へと入ることにする。そのため、行軍は厩橋城までとし、実元からの伝令が厩橋城に来てから出陣せよ」
「はっ。わかりました」
米沢を出陣後、10月第一週目に、政宗達が厩橋城に入城した。入城後一週間がたった頃、実元の伝令が厩橋城を訪れ、伊達家の援軍を北条が認めたことを伝えると、10月第二週に武田領へと入った。
武田領へと入ると、真田昌幸が伊達軍を引き連れ諏訪上原城までの道案内となった。この間も、昌幸と政宗は交友を深めることなる。
この時、徳川軍と北条軍は武田領より撤退を開始しており。織田軍も伊達軍が援軍として来たことを知り、諏訪上原城に入城する頃には、織田軍も武田領から退却していた。
武田領は、信濃地方は農工が盛んであり、土地も枯れ果ててはいなかったが、続く戦により民たちは貧困であるように見受けられた。
上原城に入った翌日、武田勝頼が援軍の礼を述べたいということもあり、躑躅ヶ崎館に向かうこととなった。甲府に入ると、信濃とはうってかわり、土地は貧困で痩せているように見受けられた。民も疲れ果てている。
躑躅ヶ崎館に入ると、大広間には数名の武将が集まっていた。政宗が全員を代表して、挨拶を行うと勝頼から伊達家の武将に、感謝の言葉があった。
「この度は、援軍に来ていただき痛み入る。援軍に来ていただいて申し訳ないのだが、織田家は退却してしまった。退却の理由は、伊達殿の援軍が来てくれたことがおおきい。感謝している」
勝頼が感謝を述べると、政宗がそれにこたえた。
「某は、松姫殿と婚姻しており、武田家と伊達家は同盟関係にあります。盟約がある武田家を助けるのに、不都合はございますまい」
勝頼はそれを聞き、笑顔になった。武田家は佐竹家、上杉家、伊達家と同盟しているが、今回の戦でも援軍に来てくれたのは、伊達家だけであった。これが嬉しかったのである。
その夜は、武田家と伊達家の武将の間で、夜遅くまで歓迎の宴が続いたのであった。
二日後、伊達軍は米沢目指して進軍を開始したが、帰りも一緒に昌幸が付き従っていた。帰る途中、一緒に居た昌幸から政宗に、真田の岩櫃城によらないか話があった。昌幸は、家族を政宗に紹介しようと考えたのである。
10月も末になり、外で夜を明かすと寒いため、政宗は快く受けた。岩櫃城内では、昌幸の息子である、信幸、信繁に会った。信幸は、一歳年上で信繁は同じ年であった。政宗は、信繁が現代で広く知られている真田幸村と分かり、興奮を覚えた。岩櫃城では、昌幸、信幸、信繁と夜遅くまで語り明かし。翌日、伊達領米沢城へと旅立ったのである。政宗が米沢城に付いたのは、11月末頃であった。
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