葛西大崎戦
東北の城や、武将を調べるのにかなりの時間が必要になり、これからの更新には時間がかかりそうです。
愛姫との婚儀も終わり、政宗は伊達の領土を広げるために葛西、大崎を滅ぼす計画をたてていた。葛西氏と大崎氏を攻める際に一番の障害になると考えていたのは、黒川晴氏であった。彼を、いかにして味方にするか。政宗は、その策略を考えていた。
輝宗が部屋で、政務を行っていると期待している息子が顔をだした。
「父上よろしいですか」
そういって入ってきた政宗は、体も屈強になり結婚したこともあってか自信に満ち溢れた顔をしている。
「藤次郎どうした?」
政宗が何を考えているのか…。政宗は、小さい頃からその能力の高さを、わしや家中に示した。わしが政宗の年齢時に、比べれば政宗程の能力はなかった。まさか、弟との関係を相談しにまいったか。わしが見ていても弟、小次郎とは仲は義姫が小次郎を可愛がるために、兄弟の会話があまりない。輝宗は、小次郎と政宗の仲を一番心配していた。
輝宗の心配をよそに、政宗からの相談は戦のことであった。
「父上、葛西と大崎のことでございます」
政宗の言葉に、少々驚いた現在の状況を輝宗は考えた。葛西氏と大崎氏は伊達家に従属している。これは、伊達晴宗の代から伊達家に従っていた。葛西氏には、輝宗の弟が養子として入っていたが、すでに亡くなっている。黒脛巾組の活躍により政宗は、葛西氏と大崎氏の情報を手に入れ、その領土を伊達家に得ようと考えていた。
「葛西氏は、一族内での戦や大崎氏との戦によって、疲弊しております。大崎氏は、義直殿は伊達家に友好的ですが、息子の義隆殿は伊達家から独立したいと考えている様子。今年は、某の祝言がありましたゆえ、戦を行っておりませんが、葛西と大崎を伊達家の領土にしたく考えております」
政宗の発言に輝宗は驚いた。従属している家を、どうやって我が領土とするのか。政宗の考えを知りたいと思った。しかし、上手くいくのか。両家が敵対して伊達領を襲ってくるかもしれない。
「父上、まずは葛西氏に対して、自国の統治が出来ていないと詰問の使者を出して下さい」
「藤次郎、しかしそれで葛西氏が我が家に、反旗を振りかざしたらどうする」
輝宗は、戦は勝てるかもしれないが、伊達家に大義がないと思った。葛西氏の領土が欲しいから、葛西氏に難癖をつけたと思われるのではないかと。しかし、葛西領より流れてきた農民達の話を聞いたところによると、生活は困窮しており、葛西氏への恨みの声があがっているという。
「まず、詰問の使者を出す前に、葛西領で農民一揆を起こさせまする。現在、農民の一揆の準備は完了しています。一揆を行うのは、葛西領から逃げて来て現在、我が伊達軍に仕官している兵士1000名でございます」
輝宗は頷きながら、政宗の発言を待った。
「次に詰問の使者によって、葛西氏では領民の統治が出来ていない。領民のためにも伊達の家臣となって、葛西氏でも統治できる領土を任せるのでどうであろうかと。恐らく、激高して反発してきましょう。伊達領に、攻めかかってくるやもしれません。そうなれば、我らの葛西征伐の名目も立ちまする」
輝宗はしばし考えあぐねた。政宗は、何をそんなに焦っているのだ…。伊達領は、3倍の領土をもつ事が出来た。これ以上何を望んでいるのか。輝宗は、政宗の胸中が知りたくなった。
「藤次郎、お前の望みが知りたい。伊達家をお前はどうしたいのだ」
政宗は、すぐには言葉にしなかった。政宗と輝宗の目線があった。
「父上、私は天下を取りたいのです」
輝宗は驚いた。天下など考えたこともなかった。自分は、この伊達領を守っていく、それだけを考えて生きてきた。政宗は、天下を取るという。その時、伊達家のこの今の発展を政宗が、天下をとるために築きあげていることに気付いた。我が息子は、やはり只者ではない。自分が息子のために残せるもの、それは伊達家の発展だと輝宗は決心した。
「藤次郎、分かった。葛西へは詰問の使者をだそう。それで、大崎へはどうするのだ」
政宗は、輝宗が承諾して安心した。断られる、可能性もあったからである。政宗と北条の亀姫との縁戚において、政宗の提案を北条氏政が取り入れ佐竹との同盟がなった。南に軽快する敵はいない。西の上杉は、上洛を急いでいる。北の最上は、自国内の戦によって、伊達に攻める事ができない。そうなれば、今しかないのだ。
「父上、黒川晴氏殿を使って、大崎義直殿を調略いたします。息子の義隆殿は、伊達家に反意を持っておりまする。そこで、葛西氏を潰せば大崎氏が次の標的になると説くのです。以前の伊達家であれば、無理だったでしょうが、伊達家の兵力は45000になります。この夏に、二つの家を伊達家が攻めて潰す事も可能だと義直殿も考えるでしょう」
「藤次郎では、もし調略がなったらどうするのだ、大崎義直殿にはいくらの領土を任せるというつもりだ。大崎殿の家臣のこともあろう」
「大崎どのには、3万石を与え家臣は大崎殿に使えるか、伊達家の直臣になるか任せると伝えようと思いまする。そうすれば、家臣達の説得も義直殿はできるでしょう。しかし、義直殿もご病気の身、実際に大崎氏を継ぐのは、義隆殿の弟ということで交渉すればどうかと考えております」
「うむ、分かった。遠藤と黒川を呼んでくれ、今の話をして黒川を説得しよう。政宗も同席してくれ」
「分かりました」
一時後、遠藤と黒川が輝宗の所に、政宗と供にやってきた。
遠藤は、了承したが。黒川晴氏は、考えあぐねた。自分の妻の、父を説得するのである。しかし、義直が病床になり、義隆が継げば伊達家との戦は可能性がある。戦となれば、兵数において、伊達家には勝てないだろう。もし、義直を調略できれば養子に迎えた息子の黒川義康が大崎家の当主となる。それによって、義康が当主となれば、黒川氏の地位も上がることになる。黒川は、決心した。
「わかりました。義父を調略いたしましょう。しかし、輝宗様願いがあります。義康殿に子供ができたら黒川家に欲しいこと、義康殿に家督を必ず継がせ大崎氏を滅ぼさないことが条件でございます」
輝宗は頷き、その旨を了承した。
それから数日後、葛西領南において農民一揆が起こった。それにつられ、周辺でも一揆がおこる。葛西氏の悪政に、すでに農民達が我慢できなくなったからであった。
葛西氏は、本城の寺池城付近から農民一揆を掃討していった。その情報が、黒脛巾組より輝宗に伝わった。
「遠藤を呼んでくれ。詰問の使者をだそう」
1週間後、遠藤は、伊達家の使者として葛西氏の陣中を訪ねた。
「これはこれは、遠藤殿どうなされたのかな。輝宗様は、ご息災だろうか」
晴信は、戦の最中に伊達家がどうしたのかと、いぶかしげな顔になった。
「晴信様、我が主輝宗より晴信様の治世について、今回の一揆や、よからぬ噂があると聞き及んでおりまして、輝宗様は心配されております」
「それは、どういったことじゃ」
晴信は怪訝な顔になった。
「はい、我が領内に逃げてきた。領民の話を聞くと、晴信様では葛西領を統治できないのではないかとおおせで」
晴信の顔は、真っ赤になっていた。
「輝宗に我が領のことを、言われる義理はないわ」
遠藤は、晴信の目を見つめた。
「また、葛西家からの流民が申すには、晴信様では葛西領は潰れてしまうと申しておりました」
「伊達家に干渉されることではない、遠藤殿、わしはそなたの顔をみとうない。それに、今は一揆の鎮圧に忙しいのだ帰ってくれ」
晴信は、怒りを我慢して遠藤に伊達領に戻るようにいった。
遠藤が伊達領に戻って、輝宗に報告をおこなった。
「葛西殿は、かなりのお怒りでございました。本当によろしかったので」
輝宗は、しばらく目を閉じたあと遠藤に声をかけた。
「わしは、決めた。政宗が伊達家の当主になるまでに、領土を広げ、力を貯える。政宗に天下を取らせたいのじゃ、わしがそれによって、他家から何を言われようがかまわん」
遠藤は、輝宗の覚悟した顔を見つめた。
「分かりました。私は、輝宗様に取り立てて頂いた身。輝宗様について行きまする」
輝宗は、遠藤を信頼していた。自分に何かあれば、遠藤が政宗を支えてほしいとも…。
6月末、葛西晴信は葛西領南側の農民一揆を掃討に向かっていた。その農民たちは、伊達家の家臣達である。南へ、南へ逃げていく、葛西氏はそれにつられるように、伊達領の国境まで攻めてきたのだ。
国境付近に来た時、農民一揆は伊達領へと逃走し始めた。それを見た、葛西は気付いたのだ。今回の一揆が、伊達の計略であったと。遠藤の詰問や、伊達の計略に対して怒り心頭になった葛西は、伊達領千石城を攻めることにした。
「これより、千石城を攻める」
それを聞いた、高清水が止めに入った。
「殿、それでは伊達に葛西領を攻める口実を、与えるだけでございまする」
全ての家臣が、葛西晴信を止めに入ったが無理であった。家臣たちの猛反発を押し切ったのである。
伊達領千石城を葛西氏の兵10000が攻め立ててた。政宗の画策道理になったのである。その時、千石城には、遠藤が居た。ここの城は、遠藤の城なのである。葛西が攻める理由に、遠藤に対する。怒りもあった。
しかし、この時城には4500の兵と、その城の周りには、伊達家の兵20000が陣を敷いていたのであった。
その内訳は、第一陣鈴木重意の鉄砲隊2000、第二陣前田利益の騎馬隊2500、第三陣鬼庭良直の2500、第四陣桑折宗長の2500、本陣伊達輝宗5500、第五陣国分盛氏の2500、後詰政宗の2500、であった。
葛西の動きは、黒脛巾組によって逐一伝えられていたのだ。葛西の陣は、千石城を攻め立てたが、周りを救援に駆け付けた伊達軍に囲まれた。
「何ということか。どうしたらいいのじゃ。こうなっては、逃げるほかない。全軍退却」
葛西は、青くなった顔で退却の合図をだした。
退却の合図がなると、もとは農民の兵士達である一目散に逃げ出した。その後を城から遠藤の3500の兵が追いかける。飛び出して逃げてきた兵に、鉄砲の斉射が行われ。伊達軍の全軍突撃が行われた。
慶次の騎馬隊2500が葛西本隊を突撃した。慶次の朱槍に、兵たちが切り刻まれていく。
「葛西晴信、出てきやがれ。雑兵たちは道を開けろ」
慶次の突撃に、中央に切れ目が出来た。その中心に、周りを騎馬に守られながら逃げる武将が居た。
「そこを逃げる武将は、葛西晴信殿ではござらぬか。投降するか、ここで死んでくれ」
葛西は、その声がする方向を見た。鬼の形相で、慶次が迫ってくるのが見えた。必死で逃げていく。しかし、周りを守る兵達も慶次の騎馬隊によって倒されていった。逃げること、叶わず。葛西晴信は、慶次に召し取られた。
この戦によって、葛西領も伊達領に組み込まれることになった。打ち取られた、家臣も多く葛西氏は敗北したのであった。この情報が、大崎氏へと伝わり、黒川晴氏の調略も進みやすくなった。
翌月の7月になり、大崎氏より大崎義隆の廃嫡になり、黒川義康が大崎家を継ぎ大崎義康と名前を変えた。家臣達も、大崎氏に残る者、伊達家の直臣になるものと別れ。伊達家の直臣になる家臣の中には、氏家吉継、南条隆信の姿もあった。こうして伊達家は、大崎氏と葛西氏の30万石を加え、200万石を領土として超えたのである。