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冬の外交、内政、人事

10月になり、山の紅葉も進んで綺麗なオレンジ色の、山々が見られる季節になっていた。奥州は、雪が降り出すと冬の季節は動くことが出来ない。そんな中、農民達は政宗が提案した内政により今日も治水工事、鍛冶の仕事、山での洞窟掘り、家畜の世話と忙しい。


今までは雪が降る季節は畑仕事ができず、食料を春まで食いつなぐか、お金に困っている子供が居る家では、なくなく子供を売っていた家もあった。


しかし、政宗によって鍛冶の仕事、家畜の世話を行うことによって、生活費を伊達家から、賃金として貰うことができるおかげもあり、伊達領の農民たちは、東北のどの農民よりも裕福になっていた。


農民の二男や三男は、長男が居るために、実家の農家を継ぐことが出来なかったために、自分で畑を切り開くか兵士として戦に出る、といったような選択しかなかった。


2年前、工業と産業の発展を念頭にし、各農民へ男は工業(鍛冶)と女性は産業(機織)の仕事を冬の間、農民の仕事として、行うようになっていらい。2年の間に、農民たちの技量も向上した。そして、農家の二男、三男、娘達は、伊達家が経営するこの鍛冶工場、産業工場に就職する者たちがあらわれ始めたこともあり、鉄砲の生産量はかなりの数を生産できるようになっていた。鉄や鉛も国内の鉱山で取れるので、自国生産ができることで鉄砲の所持数も、東北一にあと数年でなることができる。


今回、手に入れた相馬、岩城、田村、大内、石川領に工業と産業の工場を作ることが内定しており、10月末までには全ての主要都市に工場が出来上がる予定になっている。また、技術力がある伊達領の男や女性をそれぞれの工場に移動させる、人選も今行われており、現地の農民達に、工業と産業を冬に仕事をするように各村への布告もすんでいる。


各村では、この仕事が歓迎されこれで、冬の間の食い扶持を心配することがないと仕事をどの村でも歓迎している。技術力を他の国に奪われないために、農民たちには分担で作業を行わせるようにしているため、重要な仕事だけは伊達の米沢城下のみでの作業としている。これによって農民の、他国への技術力盗用防止として行っていた。


また、芦名氏や北の最上氏の農民が、伊達領に逃げて来て工業や産業で働いている者たちが居るが、この者たちの中から、伊達に忠誠を尽くす者1名と、黒脛巾組の者2名をつけて、最上や芦名にある彼らの故郷へと帰らせ、その村の農民二男、三男を伊達領に連れてきて働かせることや、その村の村長に伊達が攻めてきた場合は、守護する大名に力をかさないように要請するといった勧誘も行ってた。この勧誘によって、伊達が攻めた際の敵勢力の兵力が格段と落ちたのである。


ちなみに、相馬、岩城、田村、大内、石川領から来た農民から工業の職人になった者がいるため、優先的に自分の故郷で仕事が出来る様に人選もしているところだ。


次に、山での洞窟堀の仕事であるが、伊達領の村の近くに食材を保存するために、この洞窟を掘っているのである。中には氷を冬の間に、ためておき冷蔵庫として近隣の農民が使っているのである。野菜や、魚、肉などを夏の暑い季節にこの冷蔵庫で保存することができるので、食料の貯蔵庫として使用されている。


家畜は、2年前から海外の豚、馬、鶏、牛を大量に購入し伊達家において作った家畜小屋で飼っている。世話は農民にまかせ、豚はソーセージ、鳥は燻製、牛は乳を搾ってチーズを作っている。家畜小屋は、それぞれ農民の村の中に作られ、襲われないようにその小屋の横には奉行所があり警戒を行っている。


農民たちは、家畜の飼育の当番を村で決めており、当番は伊達家から日当の賃金を貰うことができる。鳥の燻製や、豚のソーセージ、チーズを村人が作って、御用商人に持っていくとお金で引き取ってもらえ、その燻製やソーセージ、チーズを伊達家が各都市で売っているのであるが、保存食として人気でかなりの金額で取引されている。家畜の繁殖も精力的に行われており、今回得た領土にも家畜小屋を作る予定になっている。


伊達家は、鉱山の資金力を使って売られた子供や大人、親を亡くした子供達を引き取っている。子供は、施設で勉強や兵士としての訓練を施し、能力が高いものは武官、文官、医者、看護師になるように教育を行うことで、伊達家に忠誠を尽くす子供に育てている。


大人は、産業、工業、治水工事、鉱山で働く者になり、毎月の給金から奴隷として買い取ったお金を、少しずつであるが伊達家に返すようにしているため、彼らはその金額を払い終えると自由であるが、このまま伊達領での生活を望んでおり、住民の人口はうなぎのぼりに増えていた。


子供達は、寺子屋にて無料で勉強をすることができ、寺子屋で優秀なものは伊達家の学校に通うことができる。学校は、通常費用が必要であるが寺子屋で優秀な子供5名は無料で通うことが出来る。学校へは、武将や兵士の子供達が通っているが、農民の出身や商人出身の子供達も学校へ通うようになってきていた。


内政面は、10月から雪が溶ける4月まで、工業や産業の仕事が続くのである。以前、基信が800丁鉄砲を用意するとあったが、あれは大阪から買取る鉄砲が800丁であるので4月になると伊達領の鉄砲の総数は、3000丁に達するのである。馬においても、総数12000頭数の確保が出来る予定となっていた。


外交においては、最上との関係は良好であるが、裏で最上家家臣の天童への支援を行っている状態である。北条とは、同盟が出来ており再来年の4月には北条から亀姫が嫁いでくることになっている。


佐竹とは、岩城領を伊達家が吸収したことで、佐竹との関係は少し悪くなっている。そのため、伊達実元が4月の芦名家を攻める際に、佐竹の介入が無いように、来年4月に佐竹領を牽制してもらうように交渉に行くことになっているが、北条からの帰りに佐竹によって金を贈呈し関係の改善を図ることになっていた。


 芦名との関係は、良好でもなく不良でもなかった。現在は、芦名の家臣に対する調査が行われており、芦名家の切り崩しを行う準備をしている。


 今まで、語られてこなかったが、伊達家の金山を掘っているのは甲斐から来た、大久保長安を筆頭として組織されている伊達金山衆であり、伊達家に大久保長安が居るのは、北条と武田が同盟関係にあるため、北条を経由して金山を掘り精製することができる人物を武田に紹介してもらい伊達家に引き抜いたためである。

 

 大久保長安は、武田勝頼に疎まれており伊達家からの誘いを快く快諾し、伊達家の家臣となっている。また、その時の伊達家と武田家の縁によって、遠藤基信の熱心な外交によって武田勝頼の妹である松姫が政宗の側室になることが10月に決まった。政宗は、輝宗に対して自分の結婚相手を頼んでいたのである。それは、北条と武田であったこれには、理由があるがそれは後に語ることにする。


人事面においては、政宗の内政、外交の手段は輝宗や家臣達にも賞賛されているが、政宗は年齢が9歳であり前戦を任せるわけにはいかない。政宗に戦を教える師をつけようと輝宗は考えていた。政宗自身も、現代の日本人であるので戦の陣形や戦に関することは本などでは、転生してから勉強はしてきたが駆け引きは分からないため輝宗に政宗は師事するべき人を頼んでいた。


 その人物とは、伊達稙宗の十二男、亘理元宗と留守政景の義父、黒川晴氏の二人を政宗の師としてつけようと考えていた。亘理元宗は、伊達の軍事面、外交面において筆頭武将であるが、北の葛西氏、大崎氏を抑えていたのである。


伊達家の北にある葛西氏は、葛西晴信を当主とする30万石の大名であるが開墾できる総面積では、45万石である。伊達家とは友好関係になるが、大崎氏との戦や、一族内での戦によって領土は貧困に喘いでおり、このために30万石の領土であった。内紛や大崎氏との戦にそなえ伊達家は援軍に行く必要があったためである。


大崎領は35万石の大名であり、大崎義直が当主である。伊達の属国となっている大名家ではあるが、大崎義直の息子である義隆は伊達家に敵対する意識があり、父親が病気がちのため政務をとっている。いつ、伊達領に攻めいってくるか分からない状況が続いていた。


この葛西と大崎の抑えであった、ために、亘理元宗は相馬連合軍との戦には参戦していなかった。しかし、春に芦名氏を攻めるため元宗に副将として、戦に出てもらう必要があることと、冬になって葛西、大崎の動きもないために、政宗の師とすることになった。


 黒川晴氏は、大崎義直の娘婿であり留守政景の義父でもある。戦の能力は高く、指揮する兵の指揮も高い。今回、政宗の要望によって晴氏を大崎氏から伊達家臣へと引き抜いた。輝宗もどうして黒川晴氏なのかと聞かれるが、それには大崎氏と葛西氏をこれから伊達氏の領土とするための布石であると説明している。が、実は政宗が史実で黒川晴氏に負けていることを知っていたためが一番の理由である。


 伊達家、忍者集団黒脛巾組は伊賀の忍びが主流であった。黒脛巾組の頭領は、伊賀忍びの小平太、副頭領は弥太郎である。実は、小平太は徳川の服部半蔵の弟、弥太郎は風魔の風間小太郎の弟であり、二人とも徳川と北条の密偵であった。


 初めは、伊達家に対して何の愛着もない二人であったが、2年前に伊達政宗の下につけられてからは、政宗の魅力に惹かれ当初は伊達の内情を漏らしていたが政宗家臣となってからは、それも少なくなっていた。


 あまりどうでもいい情報のみを、二人は徳川と北条に送るようにしたのである。その二人が、政宗に呼ばれた。何があったのかと、政宗の前に現れた二人は政宗の前に用意された席に坐するのであった。


「若君、本日はどうされたのでしょうか。我々、二人を呼び出されまして」


「小平太、弥太郎、いつも任務ありがとう。この度、伊達のために戦ってくれるお前たちに、私からの褒美を渡したい」


「なんでございましょうか」


小平太はこの時、自分達二人が密偵であることに気付かれたかと心配になった。

二人とも、お互いが密偵であることを知っている。もし、自分たちを殺すために呼んだのであればと心配になったのだ。


「黒脛巾組に1万石の領土を与える」


「私たちに、領土を与えてくださるのですか」


「そうだ、お前達の働きがあるからこそ、伊達の発展がある」


「ありがたきお言葉」


二人は、涙がとまらなかった。この頃の忍びの地位は低く徳川の忍び服部党ですら領土を持っていなかった。風魔も同じである。忍びが武士になったのである。


「領土は、私の管轄下ということになっている」


「他の武将の目もあるのでな。すまぬ」


政宗に頭を下げられ二人は、たまらなくなった。


「政宗様、今まで申し訳ありませんでした」


「どうしたのだ、急に」


「実は、私は服部半蔵の弟であり、副頭領の弥太郎は風魔の風間小太郎の弟なのであす。私達二人の目的は政宗様の同行を徳川と北条に知らせることでした。その私達に対してあなたは、領土を持って答えてくれました」


「そうだったのか。二人は、密偵であったのか」


「そうでございます。しかし、私達二人は政宗様に見せられ、どうでもいい情報のみを徳川と北条に流していました。伊達家を裏切ったのは事実、私達は殺されてもおかしくありませね」


政宗は、二人の目を片方の目でジッと見ていた。


「私には、目が片方しかない。しかし、私の代わりになってくれる目がここにある。お前たちは、伊賀と風魔を裏切ってでも私のもとで働いてくれるか」


「これからは、身命をとして働きまする」


「そうか良かった。二人に頼みがある」


「なんでございましょう」


「伊賀と風魔から信頼のおける者を、我が伊達に引き抜き黒脛巾組を組織してもらいたい」


「「なんと」」


「そして、徳川と北条には、どうでもいい情報をこれからも送るのだ。そして、我が伊達の力になって貰えるように、信じ込ませるようにしていかねばならん」


「わかりました。これからも政宗さまに、黒脛巾組一同ついて行きまする」


この時から、黒脛巾組は政宗の元で裏切ることなく力を発揮するのである。


政宗その後、黒脛巾組にある武将を探すように依頼していた。11月半ばに武将たち5人が見つかった。その5人を政宗の家臣に迎えるために、道頓の交易船に景綱と綱元を乗せ近江へと向かわせていた。


また、朝廷への献金の目的や、ある人物に会うためでもある。


12月半ばに近江に着いて、二人は道頓に会い挨拶をかわした。


「道頓殿いつも、伊達家との交易ありがとうございます」


「いえいえ、私こそ伊達様には儲けさせてもらっておりますから」


「それで、さる人物に会うことは出来ますでしょうか」


「今日、我が屋敷に来てくれておりますよ」


道頓客間にて、二人の商人が2人を待っていた。

1人は、中年の太った男である。横には、ほっそりとした利発そうな若者が座っていた。


二人は、商人の前に座り自己紹介を行った。


「はじめまして、私は伊達家が家臣、片倉景綱と申します。横に居るのが鬼庭綱元です。今度とも、良しなにお願いいたします」


太った中年の男性が、話はじめた。


「私は、小西隆佐と申します。こちらに座っているのが、息子の行長でございます。それで、伊達様より連絡がありました。我が息子を家臣にしたいとのこと、急にどうしてでしょうか」


隆佐は、太った体を震わせながら、景綱と綱元を見つめる。


「我が主の政宗様は、小西殿の息子である行長殿の評判を知り是非我が家臣としたいと願っておりまする。今回もご自分でお会いになりたいとのことでしたが、米沢を離れることかなわず、私達が勧誘に来たのです」


景綱は、真剣な目で隆佐を見つめた。その眼には、決意が満ちた目で見据えている。


「それで、どうでござろうか。小西殿のお気持ちを伺いたい」


「息子は、政宗様にお仕えしてもいいと言っておりますが、一つお願いがあります。出来れば、これからは私達とも取引をお願いしたく。どうでございましょうか」



綱元と景綱はお互いに目配せした。


「それは、こちらとしても願ってもないことでございます。小西殿は、中国地方大名の宇喜多家等との商売があると聞いています。私どもの農具などを、中国地方に売りたいと考えていたところです」


綱元は、輝宗、政宗から承諾されていたために即答した。


「それでは、息子をよろしくお願いします。米沢城下と港に、我が商家を作りますのでよろしくお願いします」


行長は、不安な顔で綱元と景綱に初めて声をかけた。


「小西行長です。これから、よろしくお願いします」


次の日、京に移動した二人は、朝廷に寄付したこともありお上より、奥州探題の確約を貰った。


また、安土城に行き織田信長に謁見し、伊達家との友好の証として海外の服や、伊達領で作った酒、鷹を送った。信長は、機嫌がよく色々な質問をしてきた。土地の話や、人物の話、同盟関係などである。綱元も景綱もある程度のことは答えたが、答えづらいことは別の話をするなど、警戒して話をした。


謁見が終わった後は、安土城下で一泊した後、北近江長浜城下にある前野長康の弟に面会した。前野忠康を家臣に勧誘しに寄ったのだ。


この頃、秀吉は長浜城に居たので、長浜城にて秀吉に面会した後、忠康に会うことができた。秀吉としても、自分の家臣が別の大名に居ることで、先々に自分の易になると考えたためである。忠康は驚いていたが、二人の勧誘を受け東北に行くことを決心した。前野家は、叔父である長康の息子が継ぐことが決まっていたからだ。忠康の家臣になる条件として、家族も一緒に家臣となることが決まった。


忠康の勧誘に成功した後、東北に向かった。前田利家の近くにある神社の境内で槍の練習をする武将が居た。そこに居たのは、前田利益である。


「おい、お前ら俺の家に何のようだ?」


槍の稽古をしていた。身体つきが筋肉の鎧で覆われている武将が2人に槍をむけ凄んだ。


「私たちは、奥州探題伊達輝宗が臣、片倉景綱と鬼庭綱元でござる」


景綱と綱元は、利益に対して頭を下げた。


「ふーん。その伊達の家臣が、オレに何のようだ」


憮然とした表情で慶次は、2人に警戒心を向けている。


「私たちは、前田殿を伊達家に勧誘に来たのです」


景綱が言うと慶次が笑いながら


「変わった人だな、伊達輝宗って人は俺みたいな前田の家を継げなかった男を家臣にしようなんてよ」


「我が主は、実はその子供の政宗様である。政宗様が前田殿を家臣にしたいと仰せである」


「なに、輝宗でなくその子供の政宗だと。そういえば、伊達の倅は変わり者だと噂を聞いたことがある。何でも、農具を伊達家が開発し売り出したのは、その政宗の力なんだろ」


景綱と綱元は、だまって慶次をみた。


「わかったよ。そんなに睨むなよ。条件がある、俺の親父利久も一緒に連れて行っていいか」


「それは、大丈夫でござる」


前田慶次、利久親子を家臣に迎えることができた。


2日後、2人は堺の町に居た。

鈴木重意と重朝親子に会うためである。道頓の仲介によって、雑賀孫一を家臣に誘うためである。道頓の客間、2人の野武士の格好をした武将と景綱と綱元が対面していた。


「あまり、長い話は好きじゃない。はっきり言ってほしい」

雑賀孫一とよばれる、鈴木重意が答えた。


「我々は、雑賀の鉄砲衆を伊達家の家臣に勧誘に来ました」


綱元は、おそるおそる答えた。野武士のような武将に凄まれたからだ。


「ほう、家臣になったら領土はいくらくれるんだい」


重意は、はっきりと貰える石高を聞いてきた。


「3000石の領土をお渡しします。それと、鉄砲を好きなだけ撃ってもらってかまいません」


綱元は、輝宗に許可されていた石高と、鉄砲の話をした。


「なに?どういうことだ?」


重意が、驚いた顔で聞き返してくる


「言った通りです。鉄砲を好きなだけ撃ってもらってもかまいません」


綱元が笑いながら答えた。


「貴重な硝石や鉛玉を使っていいのか」


確認のためなのか、体を踊りだして重意が聞いてきた。それは当然である。この時代の、鉛や煙硝は結構な金額になるため、本当に驚いていたのである。


「はい、もちろんでございます。そして、鈴木殿にお願いしたいのは、我が伊達家の鉄砲足軽に訓練をお願いしたい」


綱元は、そこで一呼吸おいた。


「分かった。織田信長との戦も長くなって、最近は本願寺様よりの資金も、なかなか送られてこない。それで、戦をしろとは可笑しな話だ。よし、わかった一族を連れていく。本当に、好きなだけ撃つからな」


こうして、雑賀孫一の勧誘に成功した。また、雑賀孫一を通して、織田家の九鬼水軍に負けたことによって最近、衰退の一途をたどっていた。熊野水軍にも声をかけ、伊達家にて水軍を作るため、勧誘を受けた熊野水軍長である、熊谷信頼も家臣となり一族や家臣を連れて伊達領に赴くことになる。これからは、伊達家の塩釜港で新しく安宅船や道頓を通して手に入れた西洋の船を作っていくのであった。


最後に大和の国に二人は居た。ある人物を勧誘するためである。その武将とは、柳生宗厳である。柳生宗厳を剣術指南役として柳生新陰流を兵士達に教えてもらうためである。

初めは、拒否されたが、周りには柳生に好意を持つ大名が居ないことや、柳生と敵対関係にある大名もいたために一族を連れて、家臣になることを承諾した。


1月半ば、景綱一向は勧誘した者達やその一族を連れて、伊達領米沢を目指すのである。

2月半ばには米沢に着く予定になっていた。




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