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伊達軍が目指す寒河江城は、寒河江高基が城主を務める平城である。当初は500の兵で守っていたが、天童頼定が率いてきた兵力は2500であり。多勢に無勢。城を囲まれた14日の内に三の丸を落とされただけでなく、戦での死傷者や逃亡の兵がでた事で300の兵で籠城している状況であった。
寒河江城を囲む最上義守勢の武将天童頼貞は、最上八楯の一人である。最上八楯とは、出羽国における国人の有力領主の連合である。天童はこの八楯の盟主であった。
城攻め15日目となった今日も朝早くから戦の準備を開始し、もうすぐで城も落ちると頼定が床几に腰かけ兵達を督戦していると。自軍の伝令の者と伊達家の旗を翻す伝令であろう武将が馬を急かしてくる様子を見咎める。
二人の伝令は、頼定のもとへと駆け寄ると乗っていた馬を降り膝を降り腰を据えると頼定に声をかけた。
「殿、伊達家より援軍が参っております」
「某は、伊達家の軍を束ねる総大将である留守政景よりの伝令でございます。これより伊達家は最上義守様に味方いたしまする。願いましては、天童殿の陣の横に我らの陣を敷くことを願いたく。某が先んじて参った次第でございます」
伊達家の伝令兵の言葉を聞くと頼定は、笑みを作り伝令兵へと声をかけた。
「おお!!ようやく、伊達殿が動いて下さいましたか。援軍を待ち望んでおりましたぞ。これで、この城も落ちたも同然。陣の件承諾いたしました。伊達殿に良しなにお伝えくだされ」
頼定の返答を聞き終えると伝令兵は進軍する伊達軍へと戻っていく。その姿を先程と変わって冷ややかな目で頼定は見ていた。今更援軍をよこしたとてこの城を落とす事はそう時間はかからない。
頼定の内心は援軍が来ることが遅すぎだとニガニガしく、感じていたのである。
その頃、城の物見櫓から遠く軍勢が近づいて来ることを眺めていた者がいた。それは、城主の寒河江高基である。城主寒河江高基は悩んでいた。もし援軍が自分の城を助けてくれるのであれば、頼定の軍は城を囲んでいるのをとき要撃する必要があるが、頼定の軍は囲みをとくことはない。援軍は、待ち望んだ義光の援軍ではなく。義守側の援軍であると考えたのだ。
頼定のもとを辞した伝令が伊達軍へと戻って数刻後、伊達勢は天童勢の横に陣を敷いた。伊達軍が陣を敷き兵達が落ち着いた頃、政景のもとに此度の戦に参加した相馬、桑折、石母田、政宗などの武将たちが集まることとなった。これからのことを話し合うためである。
この時政宗は、側近の鬼庭綱元、伊達成実、片倉景綱も率いて政景のもとへと向かっていた。景綱、綱元は一軍を任されてもいい年齢ではあったが、政宗につけられているため、一軍はまだ率いたことがない。政宗9歳、成実8歳である。戦に出るには、まだ早い年齢ではあったが、隊を率いるための訓練と戦の流れを学ぶために戦に出ているのである。これも輝宗の考えであった。
政宗が政景の元へと行く途中、ちょうど政景の元へと向かう相馬義胤と供の武将に出くわすと政宗が声をかけるよりも早く義胤が声をかけてきた。
「これは、政宗殿。此度の戦で共に戦ができること。楽しみにして参りました。評定で何度かお会いしたことはございますが。これまで話す機会がなく挨拶もそれほどしたことがございませんでしたな。某、相馬義胤と申します」
そういうと、義胤は政宗に対し頭を下げる。俺は義胤のこの態度に心底驚いた。相馬家は伊達家に敗れた。これまで仕えてきた重臣たちも伊達家によって討ち取られる者もいたのだ。
また義胤の父である盛胤は伊達家との戦で敗れた後、隠居し米沢城へと人質として赴いていた。相馬の石高も1000石へと落とされた。義胤は伊達家のことを恨んでいると政宗は考えていたため、義胤に会った時は恨み節の一つでも言われてもおかしくないと考えていたからだ。
「相馬殿、頭を上げて下され。某こそ相馬殿とこうして話ができることを喜んでおります」
政宗のこの言葉を受けると義胤は下げていた頭を上げ政宗を見つめる。そこには、まだ幼い一人の武将が居た。相馬家はこの者の策に負けたのかと、初めて会った時には驚いたが。その内政能力には驚くべきところがあり。相馬領も少しずつではあるが豊かになっている。
こうして、面と向かって政宗と話す事ができたことは義胤にとってありがたかった。
「政宗殿、恐らく政宗殿は我々が伊達家を恨んでいると思われていると思いまするが。我らは伊達家を恨んでござらん。確かに戦のおり亡くなった重臣たちは居りましたが、伊達家と相馬家は血がつながった一族でございます。色々とありましたがそれも終わったことでございます」
そういって微笑む義胤に俺は彼の笑顔に嘘偽りはないと判断する。これから相馬家は伊達家の力になってくれると。
「相馬殿のような戦に優れた方と一緒に戦に参戦出来るだけで某も安心でございます。某、戦においてはまだまだ学ぶことも多く。ご教授頂けるのであればありがたきこと。できれば、戦の話でも一緒に出来る時間があれば某嬉しいばかりでございます」
「政宗殿の時間があればいつでも某はかまいません。そして政宗殿の家臣の方々、これからもよろしゅう」
そう言って、小十郎、綱元、成実に義胤は軽く会釈をすると三人も義胤に軽く頭を下げる。
「政宗殿、そうそう紹介が遅くなったがここにおる者は某の弟で郷胤と申します。相馬勢の先陣を切ることが多く、此度の戦でも我が相馬勢の先陣をきることとなりましょう」
そう言って、義胤は弟である郷胤を政宗に紹介する。
「郷胤殿、伊達政宗でございます。以後、良しなにねがいます」
俺が名前を名乗ると義胤の横に居た郷胤が頭を下げる。
「政宗様、こちらこそよろしくお願いします」
その後、軽い話をしながら政景の元に行くと此度の戦に参加した全員が既にそろっていた。遅れたことを詫びると今しがた全員が集まったことを知らされ政景から指定された席へと、俺と義胤は席につく。通常の軍議であれば、供の者は参加出来ないが。政宗の供である小十郎達は、一緒に軍議に参加することを良とされていた。
これは、成実が軍議を学ぶためや小十郎や綱元が既に一軍を率いてもおかしくないためであるからであった。
政宗が席に着くのを確認すると政景が声を上げる。
「皆、これより天童軍と共に戦になるわけであるが。此度は最上義守殿の援軍である。見たところ、城は天童殿によって城内まで兵が入っているようだ。城も時期に落ちよう」
そう言って政景が集まった武将達に声をかけた時、陣内に政景の側仕えの武将が入って来た。
「今しがた天童陣より天童頼定殿が参っております。政景様に話したき儀があるとのこと。どういたしましょうか」
政景はその言葉に頷く。
「天童殿を陣内にお通ししろ」
「はっ」
武将が外に出て頼定を呼びに行き暫くすると陣内に頼定が入ってきた。入ってきた頼定は、厳めしい顔に口周りを並々と覆う口ひげを生やし目は細く所謂キツネ目であり頭は禿ており坊主頭であった。
頼定は陣内に設けられた床几に腰を下ろす前に援軍に訪れた武将達を見渡すと話はじめる。
「伊達軍の皆さん、援軍痛み入ります。私は、天童頼貞と申します。これからの戦、よろしくお願い申す」
頼貞は立派な口ひげを大きく揺らしながら武将たちに挨拶をした。政景は頼定の挨拶が終わると頼定に声をかける。
「私は、援軍の大将を任されております。留守政景と申します。私の右におりますのが、副将を務めます伊達政宗殿…」
その後、政景により全武将の名前の紹介が終わると軍議が開かれ、天童頼貞より現状の報告があった。
「現在、我らは二の丸まで攻めております。伊達殿の援軍が居れば城が落ちるのも早くなると考えまする。兵の配置や攻め方を考えるため、援軍には何人連れて参られたのか教えていただきたい」
「頼定殿、我らが援軍は5000でござる」
政景が頼定の疑問に答えると頼定が頷く。
「おお!!それはありがたい。某の兵も含めて攻城軍は、現在7500となりましたな。このまま力攻めすれば、城は明日にでも落ちまするな」
頼定が下賤な笑みを浮かべる。頼貞はこのまま戦を続けて城を落そうと考えているようだ。
俺は力攻めせずとも城は落ちたも同然と考え発言を求める。
「寒河江城に、降るように遣いをだしたらいかがだろうか」
「政宗殿の意見も一理ありますな。そうでありますな。兵が減ることもありませんし。降伏をうながすのも手かと思いますが、天童殿どうであろうか」
政景が追従する。それを聞いた天童は苦い顔となった。
なぜならば天童は、この城が欲しかったのだ。降伏を促した場合、寒河江高基がもし家臣になるとでも言い出せば城と領土を自分の物にすることができない。そのために、攻め滅ぼしたかったのである。
「そうは言うが。寒河江は戦う気があるようですぞ。私も降伏を促したのですが一向に聞く耳をもたない状態なのです」
頼定がそう言うが、本当は降伏の使者は出してはいない。頼定は城と領地が欲しかったため嘘をついたのだ。
「天童殿が降伏の勧告を行ってから時間もたっていると考えまする。それでは伊達軍の方から降伏を促しますが。どうであろうか天童殿」
政景から再度提案が出されると、頼定はこのままゴネても仕方がないと判断したのか。頼定も意を決し降伏を促す事を承知する。
「それでは石母田殿、降伏の使者をお願いしてもいいだろうか」
「分かり申した」
政景より石母田は使者として任命されると、石母田は軍使として寒河江城に向かった。石母田が寒河江城に入って1時間後、寒河江高基は伊達勢にも囲まれたために降伏を受諾した。寒河江城が落ちたその日は、寒河江城内で伊達勢は休むことになった。その翌日、驚くべき情報が伊達軍、天童軍に届られる。
寒河江城に朝早く、一騎の騎馬武者が訪れたのだ。義守からの伝令の騎馬武者である。
「天童殿、天童殿はどこにいらっしゃいますか」
「こんな朝早くから、どうしたというのだ」
頼定は寒河江高基が降伏して天童の家臣になったために、城と領土が自分の直轄地とならず。夜に深酒によって、二日酔いをおこしていたためイライラしていた。
「朝早くに申し訳ありません。我が主、義守様からの伝言でございます。義光様と和議がなったため。此度の戦は矛を収めるようにとのことであります」
頼定の顔が一気に赤く染まると怒気を強くして伝令に声をかける。
「今更ではないか!!わしは義守様からの依頼があり軍をおこしたのだ。わしは認めんぞ。援軍に来た伊達殿もおる。某はこれより他の武将達と議論する」
そう言って伝令を下がらせると頼定は側に居た小姓に政宗や政景に集まるようにと伝えて回らせる。小姓に呼ばれた武将たちは寒河江城の広間へと集められた。武将たちが集められると政景が頼定に声をかける。
「頼定殿、此度は何かあったのでしょうか。突然の呼び出しに驚いております」
「政景殿達に集まってもらったのは他でもございません。先程、義守殿より伝令が参りまして、義光殿との講和がなったとのことです」
「おお。それは喜ばしきこと」
頼定より講和の話が伊達軍に伝わると。政景は考えた。
此度の戦は、義守殿からの援軍の求めがあったために軍をおこした。義守殿、義光殿の講和がなったのであれば我々の援軍の意味がない。ここは、米沢に帰ることにすると考え、頼定に発言を求めた。
「天童殿、義守殿、義光殿の講和がなったのであれば、我々の援軍は意味をなしません。我々は、米沢に戻ろうと考えまする。それにもうすぐ雪が降る季節になります。雪の中の行軍は我々としても避けたい。申し訳ないが今回はここで、我らは撤退させていただく」
頼定は、怒りに燃えた顔で政景を睨みつける。
「政景殿の言うことも当然ではあるが。このまま最上領を我らが軍と伊達軍で攻めませぬか」
頼定のこの申出に頼定は驚きを隠せない。主君の領土を攻めるというのである。
「天童殿、此度の援軍は伊達家と最上家が同盟関係であるがためでござる。我々は、最上家と戦うことは考えておりません」
頼定は、政景の申出を聞くと顔をしかめ怒りのためか握り拳をつくっていた。
それを見てとった、俺はすぐさま頼定に声をかけた。
「天童殿、政景殿が言われるように我々はこのまま撤退いたします。天童殿はどうされるのですか」
俺の申出に頼定は冷静になったのか静かに語りかけてくる。
「わしは、これから近くの城を攻めようと考えている。今回、戦った部下たちに加増してやることができないゆえ」
お前たちが降伏を進めなければと言いたそうな顔をして頼定が答えると政景が頼定に声をかけた。
「天童殿、我らが伊達勢はこれより帰国いたします。それでは後日また会える時を楽しみにしております」
政景達が寒河江城の広間を辞すと翌日には伊達軍は撤退を始めた。今回の戦は出陣するだけであったが、帰国を開始した軍を最上義守よりお礼の伝令が訪れ。後日、米沢城に使いを送ることが伝えられた。
帰る道中、政景と政宗は馬上で話をしていた。
「政宗殿、今回は兵を減らすことがなく良かったですな」
「叔父上その通りでございます。しかし、天童殿は最上の叔父上と戦をすると言っていたが、このまま戦を続けて貰いたいものです。米沢に戻れば、天童殿に援助ができないか。色々と父上達と相談してみましょう」
「政宗殿、確かに最上の領内で内乱が続くようにするには、天童殿を使うことが一番ですな。あの強欲な天童殿が居る間は、最上義光が伊達領の北より攻めこんでくることもありますまい」
これより伊達軍が米沢にもどってきたのは、九月も半ばになる頃であった。戦の報告を戦に参加した武将達で行うことになり政景を筆頭に政宗達は輝宗のところに向かった。
「皆、ごくろうであった。兵士も減ることもなく雪が降る前に戻って来れたことは重畳である」
政景より此度の戦の報告が行われるのと同時に、政宗からの提案を政景は輝宗に行った。
「ふむ…。なるほど。天童殿と言う御仁は強欲であるようだな。最上領が落ち着けば、伊達領へと攻め寄せて来る可能性が、あの最上義光であれば…。やりかねん。政宗の言うように天童殿を使うことにしよう」
この時、伊達家には御用商人が二人いた。一人は、大阪の安井道頓、東北の鈴木元義である。元義の息子は、伊達家家臣の鈴木元信である。元親を使い。政宗の開発した農作業具を使って販売している。その利益は、伊達の収入源としても重要であった。また、販売する番頭は実は黒脛巾組の者である。情報収集も兼ねているのだ。鈴木元義に頼み、兵糧や弓矢などの援助を行うのである。輝宗より元義に命令がいきその後、天童に対する伊達家の支援が行われるのである。