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突っ込め!


 寝床を襲うのは、蒸すような暑さだった。

 燃える城の熱が肌に触り、不快だった。野営地に配置されたテントは背が低く、壁もない代わりに熱風を遮るものは何もない。

 じんわりとした熱帯の風と煌々とした赤色の光の帯が、睡眠を妨げている。

 簡易ベッドの上で何度目かわからない寝返りをうち、青年は憂鬱げにため息をついた。

 そもそもが、納得がいかない行軍なのだ。


 なぜ俺がここにいなければならない? そうだ。わかっている。俺がこの、頭を禿げ散らかした、腐れた貴族に仕えているからだ。選択したのは自分だ。それは、たとえ不快でも飲み込まなければならないことだ。

だが、百歩譲って俺自身の不手際を認めるとしても、この有様はなんだ。兵站はボロボロだし、連携は雑。そもそもこんな巨大な陣は不要だろう。それに、魔法使い部隊と砲撃部隊のみ前線の本部隊に徴収され、俺たち騎士連中は後方で周囲を散策するくらいなものだ。活躍の場がない。しかも、この遠征費用は貴族の自費という話だ。司令官はもしやトッテム上がりの貴族を馬鹿にしているのか? 裏切り者の汚名を着せられても懸命に頑張る兵たちをなんだと思っているというのだ。それにだ。貴族様も貴族様だ。威張り散らすだけでこの戦で何も出来ていないではないか。昼間に顔を見たら、功績を上げる機会もないことにたいそう不満そうだったが、また帰ったら俺たちがご機嫌取りをする羽目になるだろうな。実際に戦った部隊のフォローなんぞする暇もなく、だ。ふざけている。なんの旨みもないではないか。

そうだ。帰ったら、いきつけの酒場でエールを飲もう。あとは鶏肉のオーブン焼きだ。しこたま暴飲暴食に明け暮れてやる。たまったストレスをとっとと吐き出して―――。

そこまで妄想をふくらませたところで、青年は思考を切り替えた。

正確には騎士としての経験が切り替えさせた。

篝火を抱く陣の中を、探るように歩く気配を感じたためだ。

 土を踏む音に、金属が擦れる音が混じっている。知っている音とは違うが、メイルの擦れる音に近い。

青年は、慎重に簡易ベッドから足をおろし、枕元に置いた槍を手に取る。慣れ親しんだ感触に、心が定まっていくのを感じた。

古びれたテントの端から、ぬるりと足の影が見える。人のものだ。


「誰だ」


 槍を構え、青年が勧告する。

 その声に、不審な足が歩みを止めた。

 しばらく膠着が続き、青年が再度告げる。


「腰をおろし、地べたに伏せろ。不審な動きをするならば、命の保証はせん」


「なに、少し拝借しに来ただけだ。交戦したいわけではない」


 いきり立つ青年に、壮年の男性の声が届く。テントの布を押しのけ、声の主が姿を現した。


「な、誰だ」


 青年はその男の巨漢に圧倒された。自分よりも頭一つぶんは飛ぶ抜けている。動揺を隠そうと、槍の鋒を男の顔に向ける。


「呂奉先という者だ。槍は見つけたのだが、厩がなくてな。どこに馬はいるのだ」


 威厳のある声で、呂布は堂々と盗品である槍を掲げた。


「見つけた、って・・・・・・、貴様! それを返せ」


 青年が呂布の右手を狙い、槍を薙ぐ。寸分の差で鋒を交わし、呂布は槍を掴み、力づくで押さえ込んだ。

 青年は渾身の力で槍を引き戻そうとするが、全く動かない。

 葉を食いしばりながら、青年が言葉を続ける。


「離せッ」


「離せば襲うだろう。戦うのは構わんが、騒ぎを起こすのは不本意だ。・・・・・面倒だからな」


 一言多い呂布の言葉に青年が、構えを解き、槍をとることだけに力を注ぐ。顔を真っ赤にしながらの抵抗にも、呂布は涼しい顔を崩さない。


「それより厩はどこなのだ」


「う、厩だと? 槍だけで満足せずに。この馬泥棒が」


「失敬な奴だな。盗人ではない。この槍も馬も借りるだけだ。いつ何時までかは知らんが」


「そ、それを世の中では泥棒というのだ」


「違うな。恩を仇で返すのは不義だが、元々仇だらけの貴様ら相手に泥棒もなにもあるものか」


「なんだとっ」


「この、なんといったか。ああ、トッテムという国への裏切り者なのだろう、貴様らは。そんな奴らが、どの口で堂々と人を罪に問うというのだ」


 青年がたじろぎ、心に刺さった言葉を咀嚼し、飲み込む。

 それとこれとは、関係ない。そう強く思った。


「詭弁だろう、それは。貴様がしていることとは関係がない」


「あるだろう。ここは戦場で、貴様は兵士だ。他にどんな要因よりも、この2つの要素は強いと思うぞ」


「俺は・・・・・・騎士だッ! 兵卒と一緒にするな」


 青年が吠えた。矜持を守るように、言葉を告げる。

 青年は、言い訳している自分に気づいていた。自分が、どれほどの悪行に加担した、裏切り者であるかということに。

 呂布は淡々と、なにも考えずに言葉を吐き出す。


「騎士とはなんだ」


「何とは何だ。騎士は騎士だ!」


「だから、それはなんだ。言ってみろ」


 呂布は騎士など知らない。

 騎士がどういった職業で、兵士より位が高いか低いかも、知る由はなかった。


 それでも、騎士を名乗った青年には違うように聞こえた。

 まさか目の前の人物がそこまで無知だとは思えなかった。この世界の常識に等しいことを、知らないなどありえないからだ。

騎士とは何か。その言葉は、裏切りを美とせず、国と君主を崇め、精錬と誇り高き精神を全うするという、騎士道を青年につきつけた。

それは、今の自分とどれほどにいかほどのことが当てはまるのか。

青年は自問し、脱力した。もはや、騎士である誇りを呂布に言う気力もなかった。

どれほど言い訳しても、隠していた自分の気持ちまでは裏切れない。


「もう、良い。行け」


 短く、青年が告げた。先ほどまでに反抗的な感情はとうになくなっていた。


「どうした?」


「まだ俺を嬲るのか。行けと言っただろう」


 意気消沈とした様子の青年に、呂布は怪訝な顔を浮かべながらも、槍を放した。

 落ちることはなかったものの、槍は力なく稲穂のように揺れている。

 わけがわからない、と踵を返した呂布に、青年が言った。特に深い意味があったわけでもなく、思いつきの言葉だった。


「お前は、なんでこんなところにいるんだ」


「いや、それは言ってはならんといわれているのでな」


 呂布は幾ばくか間をおき、思案する。脳裏に浮かぶのは、頬を膨らませた少女の姿だ。


「まぁ、馬の礼もあるし、構わんか」


 ティアの懇願はあっけなく瓦解した。呂布としては、ティアのお願いを全て聞き入れる気はあまりなかった。どうせ、この敵陣を抜けることで公になる話である。

 呂布は遠くで赤く燃える城をみすえ、青年に振り向く。


「女王とやらに会いにいくのだ」


 青年はその所作で理解した。

 この男は、女王を助けるためにあの城へ飛び込む気だ、と。

 それは、呂布自身がまったく思っていない救出劇であったが、青年の騎士たる心根を揺り動かすには十分なことだった。

 堂々とした呂布の立ち姿に、青年は膝を付きながら恥ずかしく俯いた。


「左だ。厩はこのテントの左にある。嘶きが聞こえないように布を噛ませているが、近づけばわかるだろう」


 観念したように青年が告げる。

 呂布は、再度青年の変わりように眉尻を軽くあげた。


「すまぬな、礼を言う」


 足取りを変えず、呂布は青年が告げた方向へと歩いていく。

 

 どちらにとっても、短い出会いだった。

 青年は天を仰ぎ、そのまま寝転がるように大地に倒れこむ。

 土埃が少しだけ舞った。

 

―――負けた。 


 そう痛感した。

 そして、かつて思っていた理想の騎士像と乖離した自分の現状を考え、蹲るように腹を数度叩いた。


 



 ティアは気が気ではなかった。

 森の入口、背の低い木々の中で懸命に耐えていた。明かりのない暗い森で一人、というのは中々堪えるものがあったが、それよりも呂布の行動が気がかりでたまらなかった。


「まさか本当に行っちゃうなんて」


 はじめ巡回する兵から馬を奪う、と聞いたとき、いまティアのいる位置のほど近くまで兵が寄って来たとき、行動するものだとばかり思っていた。

 しかし、巡回する兵が減り、夜に近づくと、呂布は徐に方針を変更した。


『野営地の中から、選んでくる』


 そう短く告げて、呂布はティアの了解もとらず、岩肌を滑り降りていった。

 声を上げるわけにも行かず、ティアの影に右の掌を重ねることしかできなかった。


 どうして、あの人はこうなのか。ティアは眉根を寄せながら、目を閉じる。

 人の忠告も聞かないし、常識も通じない。

 ティアが想像していた暴虐さはないが、手綱をとりづらいことには変わりはない。

 女王様はなんというのだろうか。無鉄砲な将軍を、きちんと見てくれるだろうか。それに、周りの諸将との軋轢はどうなるのだろうか。

 今後のことを考え、ティアは深いため息をついた。


「腹の調子でも悪いか?」


「わっ、いつ帰ってきたんですかッ」


 右隣からの奇襲じみた声に、ティアが立ち上がり、慌てて再度しゃがみ込んだ。

 むすり、とした仏頂面の呂布が眼下を向きながら応える。


「今さっきだ。ほら、いい馬がいたぞ」


 みると、森と平原とのあいだの岩肌に隠れるように、馬が一頭くくられている。

 興奮しているのか、綱を振りほどこうと頭を懸命に動かしている。

 ティアは馬をみて、違和感について質問した。

 

「あれ、鐙がないですけど、大丈夫ですか?」


「鐙? なんだそれは」


「いや、あの。馬に乗るときの、背中につける座椅子というか・・・・・・」


ティアとて特段馬に詳しいわけではない。説明が難しいため、漠然な印象を伝えるしかできなかった。


「ああ、あれか。あれなら捨てた」


「捨てた? なんでですかッ」


「邪魔だったからな」


 しれっ、と呂布が答える。

 何が悪いのか、全く見当もついていない顔だった。


「いや、鐙がないと馬に乗ることなんて・・・・・」


「俺はいつもなかったから安心しろ。ほら、行くぞ」


 呂布のいた時代には、鐙はなかった。馬の腹を足のもので抑え、騎乗し、弓を打つ。それができるのが、并州においての騎兵の必須技能だったからだ。

 意見など意に介さず、呂布はこらえきれないようにティアの手をとり、岩肌を下っていく。

 

「えっ、もうですか?」


 半ば抱きかかえられるような状態に赤面しながら、ティアは抗議の声を上げる。性急だ、と言いたかったティアは、呂布の顔を覗き見た。

 口角が上がっている。今まで見たことがないほどに。


「俺が厩をあさったからな。あまり遅くなると敵陣に騒ぎが広がるかもしれん」


「私も覚悟というものが必要でして」


「しらん、行くぞ」


「・・・・・わかりました。でも、なんとなく急ぐ理由が本音は違う気がしますけど」


 半目で睨むティアに、呂布は素直に言葉を吐く。


「うむ、俺は、早く、馬に乗りたい」


「・・・・・わかりました。観念します。でも、城までの護衛、お願いしますね?」


「任せろ」


 短い返事だった。

 3万の兵に挑むという奇天烈な状況の自分を決心させるには、はるかに気遣いが足りないとティアは思ったが、同時に抵抗の意思はなかった。

 任せる、といったのだ。任せるしかない。どうせこの男に託す以外に方法はないのだし。

 妙に男気にあふれたティアの決断だった。


「では、ティア。馬に捕まっていろ。あと、馬に乗ったら絶対に抵抗するな。馬に身を任せろ。そのほうが安全だ」


「え? はい」


 呂布は、ティアを馬に添えるように触れさせると、手綱を渡した。

 絶対に離すな、と厳命したあと、再度岩肌を登っていく。


 先ほど潜伏していた位置まで戻り、呂布は徐に腰につけていた弓を取り出した。

 狐らしき獣の革でできた矢筒から、矢を抜いて、構える。

 そして、弓が痙攣するほど引き絞り、先ほど潜った陣よりもさらに奥、200m程先を見据え―――かすかに動く、人影に向かって矢を放った。

 風を切り、弧を描く矢が刺さる前に、呂布は次いで4本の矢を放つ。

 それぞれが別々の方向の篝火に向かって放たれた。

 呂布は結果を確認せず、急いで岩肌を飛び降りる。

 岩がぶつかり合うのも構わず、弓を腰に戻し、馬のそばに立てかけていた槍を手にとった。


「行くぞ」


 突然の行動にあたふたするティアを抱え、馬の尻に腰掛けさせる。馬が嫌がるように暴れだすが、呂布はそれを力尽くで押さえ込み、自分の体も場上に滑り込ませた。


 思い切馬の腹を蹴り、ティアから手綱を奪う。

 弾かれたように、馬が疾走を開始した。


 それは、ティアが想像していたよりもはるかに苦痛な状況だった。

 馬が揺れる。体が浮く。ずり落ちそうになる。

 単語ですら思考が回らない。ティアは必死になって、呂布の体に両腕できつく抱きついた。

 呂布は、口角をあげ、ティアに告げる。


「敵は背を見せている上、連携が杜撰だ。しかも見たところ、戦をする覚悟すらない、ならばこれで事足りる。・・・・・・耳を塞げ」


 どうやって? とティアが抗議する間もなく、呂布の胴体が膨らんだ。

 鎧を引き裂くように膨らむ動作に、ティアはひとつの事柄を想定し、肩をすぼめ、頭を腕の中に入れるようにして、耳を塞いで見せた。


 瞬間、音が爆発する。



「おぉぉぉぉぉおおおおおぉぉぉ!!」



 咆哮。

 呂布の鬨の声が、3万の兵を揺さぶった。

 呂布は両腕を広げ、手綱を持たず、下半身だけで馬を操った。

 うねりを上げて、敵陣へと音の大砲が襲いかかる。

 馬は雄叫びに呼応するように、その速さをぐんぐんと上げていく。

 戦場を駆る友の応えに、呂布は嬉しそうに鬣を撫でた。



 テントの隙間を縫うように、馬体が駆け抜けていく。

 速さに乗った馬体は止まることなく、一直線に敵陣を割いていった。

 陣は突然の奇襲にざわついているが、まだ現状を把握はできていない。兵がテントから顔を出すが、それだけだ。


「すごい、まさか敵の間をこんなにも簡単に移動できるんて」


「まだな」


 呂布の言葉通り、徐々に前方の篝火がその明るさと数を増やしていくのが見えた。

 まだ先は長く、未だいるのは陣の端であることに変わりはない。時間を敵に与えれば与えるほど、対応され、迎撃される可能性は高まる。

 事実、奥に進めば進むほど、慌てふためいたように武器を構え、呂布を見送る者が増えていった。


 馬はあっという間に森近くの陣を抜け、別の部隊の宿営地へと進んでいく。

 弓や槍を構えるものがちらほらと姿を見せるが、馬の足には敵わず、放ったはずの攻撃も、はるか後方をかすめていくのみだ。


 いくつかの陣を抜けると、前方で武器を構える兵が見えた。

 綺麗に2段に整列され、機を伺っている。指揮官らしき男が、右手をあげたままの姿で、こちらを睨みつけていた。

 硝煙の匂いが、二人の鼻腔を擽った。


「これは?」


「鉄砲です! 構えられてますよ!?」


 危険を承知で、ティアが呂布の右脇に顔を出した。風と振動で、既にフードから金色の長髪が飛び出ていた。


「騒ぐな! なんだかわからんが、馬首を切る! しっかりと捕まっていろ!」


 呂布はぐん、と手綱をとり、右へと大きく馬体をそらす。呂布も地に足を付けるほどに、自分の体を傾ける。

 身を振りほどくほどの衝撃と急激な方向転換に、ティアの体が大きく浮いた。

 喉が蒸せ、声が出ない。

それでも、ティアは懸命に呂布へと手を伸ばし、すんでのところで呂布に引き戻された。

 ティアは自分の全身から汗が飛び出してくるのを感じた。恐怖が、今頃になって襲いかかってくる。

 馬体へと座りなおす余裕もなく、ティアは馬の背にうつ伏せになることしかできなかった。

 それでも、視界の隅で、鉄砲隊がこちらを呆然と眺めているのを確認する。


「追ってこない?」


「敵はあくまで迎撃の構えだ。距離をとれば、馬ならば捌けるし、無駄な損害を出す気もないのだろう」


 そういって、呂布が手綱を握り締め、再度馬に喝を入れる。

 限界はないのか、と思うほどに体が加速していく。

 ティアは先ほどよりも悪い体勢の中で懸命に耐えた。

 歯を食いしばり、衝撃に振り落とされないように全身を固める。

 この周囲が流れていく速度で、落馬したら―――どうなるかなど想像もしたくもなかった。

 粛々と現状に耐えるティアに呂布は、


「こらえるな。委ねろといっただろう」


 なかば呆れるか、怒っているのか。とにかく、好意的ではない言葉を告げた。


 ふざけるな、とごちりたいのは山々だったが、そんな余裕はあるわけもない。ティアは少しだけ力を緩めながら、呂布の無茶な要求に懸命に応え、堪えることしかできなかった。


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